まんが戦国ブギウギ

まんが戦国ブギウギ70話 北陸の勝家や利家たちは信長訃報に大号泣

明智軍13,000に攻められ、敢えなく陥落した本能寺。

本能寺の変
なぜ光秀は信長を裏切ったか「本能寺の変」諸説検証で浮かぶ有力説は

続きを見る

業火の炎に包まれ焼け落ちる中に織田信長の遺体は見つからず、明智光秀が焦燥に駆られる頃、いち早く行動に出たのが中国地方で毛利と対峙していた豊臣(羽柴)秀吉だった。

和睦を結び、備中高松城の清水宗治を自害させると、後に「中国大返し」と呼ばれる進軍作戦で畿内へ。

清水宗治
秀吉の備中高松城水攻めで籠城した清水宗治が武士の鑑と称された理由

続きを見る

その頃、織田家中でも随一の実力者が揃った「北陸方面軍」は上杉家の魚津城を取り囲み、今まさに陥落のところだった……。

 

お好きな項目に飛べる目次


魚津城陥落

本能寺の変の頃、そういや柴田勝家って何してたの?

明智光秀を打ち破り、きっちりカタキを取った秀吉に対し、あまり知られていないのが、北陸方面軍かもしれません。

前田利家佐々成政を率いた勝家は上杉方の魚津城を取り囲んでおり、本能寺の変翌日には同城を陥落させていたのです。

佐々成政
信長の側近から戦国大名になった佐々成政~秀吉に潰された生涯53年

続きを見る

この頃、上杉の当主だった景勝は、後詰のため魚津城付近まで来ておりましたが、信州(長野県)や上州(群馬県)から本拠地・春日山城を脅かされる動きがあり、仕方なく越後へ戻ってしまいました。

ゆえに魚津城の12将は耳に鉄線を通した名札をつけ、討ち死にを覚悟したという書状が残っております……。

それが『魚津在城衆十二名連署状』でした。

魚津城の戦い
本能寺での出来事を知らずに陥落した魚津城の戦い~上杉武将達の切腹

続きを見る

 


やっときた知らせ

◆若かりし頃から信長に仕え、織田家の成長と共に自身も出世してきた柴田勝家に前田利家。

一時は弟・織田信勝(織田信行)を担ぎ上げ、信長の命も狙った柴田勝家ですが、家中がひとつにまとまってからは文字通り粉骨砕身で合戦働きをし、その地位も家臣では筆頭の位置にまで上り詰めておりました。

織田信勝(織田信行)
兄の信長に誅殺された織田信勝(織田信行)最後は勝家に見限られ

続きを見る

柴田勝家
柴田勝家はなぜ秀吉に敗れたか?織田家を支えた宿老62年の生涯とは

続きを見る

一方、少年の頃から信長と共に成長してきた前田利家は、君主と家臣という単純な結びつきだけでなかったでしょう。

笄(こうがい)事件とか思い出したりしたのかなぁ。

前田利家
前田利家~槍の又左62年の生涯~信長に追放されてもド派手に復活!

続きを見る

利家さんの本気で絶望している姿を思うと、まさしく走馬灯のように様々な記憶が甦ってきた気がしてなりません。
※続きは【次のページへ】をclick!


次のページへ >



-まんが戦国ブギウギ

×