土曜日の再放送に合わせて、大河ドラマ『豊臣兄弟』をマンガで振り返る――第29回放送の注目は山崎の戦いですね。
山崎の地で激突した秀吉と光秀、ドラマではどう描かれるのか、さっそくマンガへGO!
生け捕り

◆「変な改変」と認めちゃってる時点で危ういぞぉ~!
結局、全ては改変の中身次第なんですよね。歴史ファンを唸らせるオモシロ展開ならば誰も文句は言わない。
明智の生け捕りはどう受け止められたのか……。
精密射撃

◆山崎の戦いは、織田軍の総大将が織田信孝として描かれました。
主力は羽柴軍でも、信孝をトップに据えることで信長リベンジの正当性を得られたから――とはよく説明されますが、最初から秀吉は考えるまでもなく信孝を総大将としたでしょう。
ここから如何にして、豊臣政権へと持っていくか。
ドラマ中盤の見どころはそこでしょう!
茶の湯

◆秀吉と光秀が共に茶会に参加したことはあるのか?
というと、これがありまして。
天正六年(1578年)正月一日、織田信長が安土で開いた茶会に両名が招かれていたことが『信長公記』に記されています。
家臣12人が朝の茶会(茶の湯)に呼ばれ、以下のメンバーが集まりました。
織田信忠、武井夕庵、林秀貞、滝川一益、細川藤孝、明智光秀、荒木村重、長谷川与次郎、羽柴秀吉、丹羽長秀、市橋長利、長谷川宗仁。
すごいメンバーですよね。当時はまだ荒木村重とか林秀貞の名も……。
動機

◆織田信澄による陰謀説を匂わせておきながら、実は足利義昭が動機になったという、なかなか意味不明な展開でした。
違和感

◆平野長泰と片桐且元といえば、この後、柴田勝家との対決で活躍する2人。
「賤ヶ岳の七本槍」として知られる武将ですね。
2人の前に光秀の首は晒されておらず、こうなると南光坊天海になったという生存説が浮上なのか……。
※生存説の詳細については以下の記事へ
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南光坊天海の生涯|なぜ家康に重宝されたのか 光秀説の根拠は何なのか
続きを見る
フラグ回収

◆史実の与一郎は一体どんな最期を迎えたのか?
というと、そもそも与一郎の存在が怪しいので、逆にどうとでも描ける展開となっています。
大事なのは、秀長の跡継ぎとなった豊臣秀保だと思うのですが、全然でてきませんね。
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17歳で夭折の豊臣秀保|秀長の養子となった豊臣兄弟の甥はなぜ早逝したのか
続きを見る
なんのため?

決意表明

◆このあと秀吉は「賤ヶ岳の戦い」で織田信孝・柴田勝家と、「小牧・長久手の戦い」で織田信雄・徳川家康と戦います。
まさに政権奪取への道筋は信孝・信雄との対決でもありました。
と、その前に訪れるのが清須会議。
果たしてそこではどんなやりとりがあったのか?
よろしければ以下の別記事をご参照ください!
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清須会議は“名代”を決める場だった?秀吉が三法師を担ぎ上げた話は?
続きを見る
◆『豊臣兄弟』総合ガイド|秀吉と秀長の生涯・家臣団・政権運営等の解説
参考文献
- 太田牛一著/中川太古訳『地図と読む 現代語訳 信長公記』(2019年9月 KADOKAWA)
- 黒田基樹『羽柴秀長とその家臣たち ―秀吉兄弟の天下一統を支えた18人―』(2025年6月 KADOKAWA)
- 河内将芳 編『図説 豊臣秀長 ―秀吉政権を支えた天下の柱石―』(2025年3月 戎光祥出版)
文:五十嵐利休
【参考】
豊臣兄弟/公式サイト




