土曜日の再放送に合わせて、大河ドラマ『豊臣兄弟』をマンガで振り返る――第28回放送の注目は本能寺の変後の動きですね。
京都や近江で足場を固める光秀に対し、北陸で動けない柴田勝家。
そうした状況で豊臣兄弟はどう動くのか、さっそくマンガへGO!
本能寺

◆本能寺から出てきたのは森乱(森蘭丸)……ではなく弥助だったんかーい!
確かにこちらのほうが史実準拠ですね。
宣教師の黒人奴隷だった弥助は信長の家臣となり、事件当日も本能寺にいたとされます。
ヤスケ

◆弥助の年齢は26~7歳ほど。
身長は約188センチ(六尺二分)で当時としては超絶大柄であり、10人分の力を持つ屈強な大男だったと『家忠日記』に記されています。
※家忠日記……徳川家康の家臣である松平家忠が記した日記
戦国無双

◆徳川家の家臣からは、石川数正と本多忠勝ぐらいしか顔を見せてないのも気になりますね。
今後は豊臣兄弟のライバルになる彼らの存在。
しかも石川数正は徳川を出奔して秀吉のもとへ駆けつける、そんな両者因縁の対決だけに今後は要注目でしょう。
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石川数正の生涯|なぜ秀吉の下へ出奔したのか 豊臣政権の崩壊後はどうなった?
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情報

◆すでに謙信は亡くなり、景勝が当主の上杉家を攻撃していた柴田勝家。
本能寺の変から4日後の6月6日に凶報を受け取り、すぐさま出陣!とはなりませんでした。
上杉家や一向一揆がいて、動けなかったのです。
訃報

◆本能寺の変のとき、45才前後――この秀吉、さすがにリアクションが幼稚すぎるじゃろ!
実際、信長の訃報を聞いたとき、本物の秀吉はどんな反応をしたのか気になりますね。
個人的には、大河ドラマ『麒麟がくる』の佐々木蔵之介さんが秀吉像に近いのでは?と思うのですが……悲しい顔をしながら、口元が歪んでいる。
宣言

◆そもそも当時は、少人数での移動が非常に困難です。
秀長数名での移動もかなりの無茶。
兄弟の実母・大政所や足利将軍までスイスイと色んなところへ行き来していましたが、あくまでドラマだからですね。
なお、話題の「中国大返し」は、現在、通常の進軍だったよね?と指摘されています。
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中国大返しの全貌|秀吉による伝説的な進軍 実際は普通の行軍だった?
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号泣

◆事件後、京都で色々と書状を送っていた秀長と、備中高松城から進軍してきた秀吉。
両者は尼崎城で再会しました。
草履

◆秀長が織田家に仕えた直後、信長からもらった草履。
第3回放送で変則的な「懐で温めておきました」エピソードが盛り込まれ、その後2人に分け与えられたものです。
まるで本能寺後のために用意されていたかのような草履でしたね。
なお、毛利と無事に和睦を済ませて尼崎城までやってきた秀吉ですが、一つ疑問に思いませんか?
なぜ毛利は和睦に応じたのか。
秀吉の背後に襲いかかれば楽勝だったのでは? もしかして毛利では本能寺の変のことを知らなかった?
その点の疑問につきましては、以下の記事をご参照いただければ幸いです。
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なぜ毛利は秀吉を追撃しなかったのか|中国大返しの"裏側"で起きていたこと
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◆『豊臣兄弟』総合ガイド|秀吉と秀長の生涯・家臣団・政権運営等の解説
参考文献
- 太田牛一著/中川太古訳『地図と読む 現代語訳 信長公記』(2019年9月 KADOKAWA)
- 黒田基樹『羽柴秀長とその家臣たち ―秀吉兄弟の天下一統を支えた18人―』(2025年6月 KADOKAWA)
- 河内将芳 編『図説 豊臣秀長 ―秀吉政権を支えた天下の柱石―』(2025年3月 戎光祥出版)
文:五十嵐利休
【参考】
豊臣兄弟/公式サイト




