1582年に起きた【本能寺の変】は、畿内と周辺の軍事・政治環境をガラリと一変させた。
織田家内での権力争いは【清州会議】によってひとまず決着。
三法師の後見人となった豊臣秀吉と、信長の妹・お市を嫁に迎えた柴田勝家で家中は二分されたまま奇妙なバランスを保つ。
一方、畿内の喉元にあり、一歩間違えれば大坂・京都などの中枢に影響を与えかねない四国の事情は決して看過することができない。
四国の覇者・長宗我部元親は、いかに動くのか?
一時は織田信長と袂を分かち、独立独歩の旗幟を鮮明とさせていた、四国勢のまんが戦国ブギウギ75話、スタート!
そごう額
◆三好元長を父に持ち、あの三好長慶や安宅冬康と兄弟だった十河一存(そごうかずまさ)。
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その髪型(月代・さかやき→剃り上げた頭部)である【十河額(そごうびたい)】は、勇将・一存に憧れる家臣たちに真似をされたと言います。
一方、彼ら三好勢と四国で敵対したのが、土佐の長宗我部でした。
織田家(明智家)とよしみを通じ、一時は、四国の大部分を自国の領土とした長宗我部元親。
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しかし、信長から突然発せられた「長宗我部は土佐だけね」指令によって、同家は織田家と交戦状態に陥ってしまいます。
それが本能寺の変によって全てがガラリと変わってしまい……。
中富川の戦い
◆本能寺の変後、四国を完全統一させるため、元親はすぐに進軍。阿波の勝瑞城を取り囲みます。
追い込まれたのは十河存保など、いわゆる三好一派。彼らの後ろ盾は豊臣秀吉でした。
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四国と畿内の玄関口にも当たる同地域は、秀吉としても簡単に引くことの出来ぬ要衝です。
ちなみに、チョンマゲの下にある禿げた月代(さかやき)ですが。
かつては髪の毛を一本ずつ抜き、頭部が血だらけになったこともあったそうで。戦国期から剃髪が主流となり、江戸時代には専門の毛剃職人も生まれました。
ちなみに月代が増えた理由は、マンガにもあるように頭部の蒸れ防止です。鉄砲の増加により兜が頭部全体を覆うようになり、頭髪が生えたままだと邪魔で蒸せたんですね。
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