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【斬新日本史マンガ】臣籍降下も皇籍復帰も思いのまま、それが藤原スタイル!

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清和天皇の子どもを生んだ藤原高子。
息子の貞明親王は9才にして陽成天皇となった。

当然、政務はこなせるはずもなく、このとき権勢を握ったのは藤原基経である。

これを快く思わなかったのが嵯峨天皇の皇子で、源氏臣籍降下していた源融。

陽成天皇が内裏で事件を起こしたのを機に、次代の天皇を探していた藤原基経に対し、源融は自らが即位しようとするも、基経に
「源姓を名乗ったら、もう無理! はい、無理!」
と否定され、その道が閉ざされたかに見えた。

しかし、次の天皇のアテもなく、そこで藤原基経が打った手とは?

日本史ブギウギ、第45話、スタート!

 

キミに決めた

◆源融の皇籍復帰に待った!をかけた藤原基経。

そこで次に白羽の矢を立てたのは仁明天皇の第三皇子である時康親王でした。
あらためて天皇の系譜を確認しておきますと……。

第54代 仁明天皇……藤原良房
(833-850)
・承和の変(842)

第55代 文徳天皇……藤原良房
(850-858)

第56代 清和天皇……藤原良房
(858-876)
・応天門の変(866)

第57代 陽成天皇……藤原基経
(876-884)

第58代 光孝天皇……藤原基経←今ココ
(884-887)

第59代 宇多天皇……藤原基経
(887-897)
・阿衡事件(887-888)

光孝天皇の父・仁明天皇は4代も前のことだったんですね。

年数にして30年ちょい前。
55才にして即位だなんて、そりゃあ不自然極まりないことで。

平安時代藤原道長さんばかり目立ちますが、やっぱりその前から「藤原の道」は確かにあったのですなぁ。

 

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苦労人

◆基経の意向で、強引に即位させられた光孝天皇。

関白になった基経に対して勝手に気を遣い、自らの子どもたちは臣籍降下させます。
要は、権力闘争から遠ざけたのですね。

というのも藤原基経の妹・藤原高子には他にも天皇候補となる貞保親王(清和天皇の第四皇子)がいたからです。

しかし!
これが早計でした。

藤原基経と高子は仲が悪く、基経は貞保親王を天皇にはしたくなかったのです。
陽成天皇の二の舞いは避けたかったのでしょう。

にしても光孝天皇が気の毒すぎまして><;

特に「◯◯事件」とならないから受験でもほとんど注目されませんが、このあたりのやり取りはかなり濃ゆいんですよね~。

 

君子豹変

◆源定省(みなもと の さだみ)
後の宇多天皇となる定省は、光孝天皇の第七皇子で、源姓に臣籍降下しておりました。

源融に対しては
「臣籍降下したら皇位継げるわけないじゃんwww」
と言ったばかりの舌の根も乾かぬ状態。

いや、もう、なぜ基経さんがもっと注目されないのかわからない面白さ、否、横暴っぷりです。

しかし、彼には大きな問題があるのでした……。

 

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異母妹

◆宇多天皇の即位を後押ししたのは藤原淑子(よしこ/しゅくし)でした。

藤原基経の異母妹であり(父は藤原長良)、彼女自身は女官(朝廷内で働く女性官僚)の中でも尚侍(ないしのかみ)という最も高いポジションとなって、位階も従一位まで上がっています。

宇多天皇も定省時代に養子としていたのでした。

なお、女官や女房など、当時のややこしい女性の役職は、昨日の記事で整理しております。
よろしければご確認ください。

平安時代の女官ってどんな役割だったの? 尚侍・典侍・掌侍や女孺・女蔵人などを解説

 

【知っとくと平安時代が面白くなる! 貴族の王者・藤原四家】
・藤原武智麻呂→藤原南家 ※藤原仲麻呂(恵美押勝)
・藤原房前→藤原北家 ※藤原冬嗣・藤原良房・藤原時平藤原道長
・藤原宇合→藤原式家 ※藤原百川・藤原種継・藤原薬子
・藤原麻呂→藤原京家 ※マイナー・藤原浜成

※次週へ続く

【過去作品はコチラから→日本史ブギウギ

著者:アニィたかはし




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武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を連載。
従来の歴史マンガでは見られない角度やキャラ設定で、日本史の中に斬新すぎる空気を送り続けている。間もなく爆発予感の描き手である(編集部評)

 

 

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