・死後に首が飛んで行った
とか
・丸の内の首塚をヘタにイジると祟りに遭う
など、今なお畏怖される存在であり、桓武平氏の名を現代に伝える代表の一つでもある。
しかし。
歴史の授業で習う将門と言えば、あくまでこの大きな騒乱であり、それ以前の軌跡に触れることはあまりない。
いったい将門はいかなる武将だったのか?
マンガ「日本史ブギウギ」、第50話、スタート!
そもそも坂東平氏って?
◆皇族から臣籍降下(臣下になって姓を賜ること)して、武士になった代表が桓武平氏と清和源氏ですね。
平氏には、主に以下の系統がございまして。
・桓武平氏(伊勢平氏)……50代桓武天皇の皇子から
・仁明平氏……54代仁明天皇の孫から
・文徳平氏……55代文徳天皇の皇子から
・光孝平氏……58代光孝天皇の孫から(武将ジャパン記事【桓武平氏】より引用)
桓武天皇の孫で、桓武平氏の太い流れを作ったのが平高望(高望王)でした。
高望は平将門の祖父でもあり、系図はざっと以下の通りになります。
桓武天皇
│
葛原親王
│
平高望(高望王)
│
平良将
│
平将門
将門の野望
◆関東に地盤を張っていた家を飛び出し、若い平将門は都へ出て藤原忠平に仕えます。
本人は桓武天皇の血筋ではありますが、臣籍降下しての五代目ですからポジションも高いものではなく、一介の武士という扱いになってしまいます。
そして「自分が天皇になる」というフラグを立てながら再び地方へ……。
捨てる神あれば拾う神あり
◆平将門の地盤となったのは、下総国北部にある豊田・猿島地方(茨城県西部)でした。
平安時代の東北地方は、蝦夷と呼ばれ外国扱いされていた時代です。
その入口近くですからかなりの僻地で……逆に言えば、中央から降った武士の勢力が確実に北進しているとも言えますね。
Win Win
◆常陸国新治郡(現在の茨城県中央部)で大きな勢力を保持していた平真樹(たいらのまさき)。
平将門は、その娘を正室に迎えます。
平真樹の姓は平氏ですが、桓武平氏かどうかは微妙だそうで。
いずれにせよこの関係が、後に、将門の戦三昧の日々に繋がっていくのです……。
国境の異変
◆平真樹は、源護(みなもとのまもる)と熾烈な勢力争いを繰り広げておりました。
嵯峨源氏の出自と推測されていて、護の娘たちは平国香や平良兼らに嫁いでおります。
平将門の父・平良将は、平国香や平良兼の兄弟。つまり将門にとっては叔父ですね。
かくして骨肉の争いへ……。
討伐作戦
◆平将門は、同族を含めた敵を次々に打ち破っていきました。
なぜ、こんなに強かったのか?
『将門記』によると、男気があって、出自も皇族ながら武芸でグイグイいくタイプの「ツワモノ」だったとされており、関東の荒武者たちがついていった――そんなところになりそうです。
しかし、暴れすぎて都へ呼び出され……。
特赦
◆中央政府も怖かったんですかね……。
呼び出された平将門は検非違使に問い詰められるのですが、朱雀天皇の大赦でアッサリ許されると、再び関東へ。
帰国後、早速、平良兼と戦うなど、争いは一層激しくなるのでありました。
とある紛争
◆源経基(清和源氏)と興世王(おきよおう)は、武蔵の国司として赴任すると、いきなり郡司であった武蔵武芝(むさし の たけしば)へ襲いかかりました。
困った武芝は平将門に助けを求めます。
これが終わりの始まりとは知らず……。
次週へ続く!
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※今なお丸の内のド真ん中に残っていて、この首塚を囲うようにして新しいビルが建設中です
※次週へ続く
【過去作品はコチラから→日本史ブギウギ】
著者:アニィたかはし
武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を連載。
従来の歴史マンガでは見られない角度やキャラ設定で、日本史の中に斬新すぎる空気を送り続けている。間もなく爆発予感の描き手である(編集部評)