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 【まんが日本史ブギウギ163】
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見切り
◆真田幸綱の息子二人が戦死し跡を継いだのは、『真田丸』の草刈正雄さんが演じたことで一躍著名になった真田昌幸でした。
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- 真田昌幸の生涯|三成に“表裏比興の者”と評された謀将 その実力とは?- 続きを見る 
昌幸が大暴れするのは武田家滅亡後のことで、詳細は以下にございます。
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- 天正壬午の乱|滅亡後の武田領を巡り 徳川・上杉・北条・真田が激突した大戦乱- 続きを見る 
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- 第一次上田合戦|真田昌幸が魅せた戦術の妙 徳川軍を翻弄した“智略”とは?- 続きを見る 
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- 第二次上田合戦|少数の真田軍が徳川の大軍を撃破 昌幸が仕掛けた策とは?- 続きを見る 
重鎮
◆勝頼が武田四天王を失う一方、家康には【徳川四天王】がおり、特にこのとき大活躍したのが酒井忠次でした。
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- 酒井忠次の生涯|屈強な三河武士団をまとめ 家康を支えた徳川四天王の最重鎮- 続きを見る 
別働隊を率いて武田軍の背後に回り、信長や家康の本陣を構える設楽ヶ原に追い込んだのです。
設楽ヶ原は、事前に馬房柵が設置されただけでなく、窪地を利用した土木工事で「砦」と化していて、織田徳川連合軍は城で防御戦をしていたようなもの。
だから武田軍に完勝できた――という見方があります。
この辺り、信長の戦術眼が恐ろしいぐらいに的中していたのですね。
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- 長篠の戦い|なぜ信長は圧勝できたのか 勝因は三段撃ちではなく天然の要害?- 続きを見る 
【徳川四天王】
 ・本多忠勝
 ・酒井忠次
 ・榊原康政
 ・井伊直政
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著者:アニィたかはし
 文:五十嵐利休
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