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【まんが日本史ブギウギ163】
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見切り
◆真田幸綱の息子二人が戦死し跡を継いだのは、『真田丸』の草刈正雄さんが演じたことで一躍著名になった真田昌幸でした。
真田昌幸は誰になぜ「表裏比興」と呼ばれたのか 65年の生涯で何を成し遂げた?
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昌幸が大暴れするのは武田家滅亡後のことで、詳細は以下にございます。
武田滅亡後の領地を奪い合う「天正壬午の乱」徳川・上杉・北条に真田を交えた大戦乱
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第一次上田合戦で魅せた真田戦術の凄さ~徳川軍相手に昌幸が仕掛けた策とは?
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第二次上田合戦で少数の真田軍が徳川の大軍を撃破! 昌幸の恐るべき戦術とは
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重鎮
◆勝頼が武田四天王を失う一方、家康には【徳川四天王】がおり、特にこのとき大活躍したのが酒井忠次でした。
酒井忠次は海老すくいだけじゃない!三河武士をまとめた重臣の生涯
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別働隊を率いて武田軍の背後に回り、信長や家康の本陣を構える設楽ヶ原に追い込んだのです。
設楽ヶ原は、事前に馬房柵が設置されただけでなく、窪地を利用した土木工事で「砦」と化していて、織田徳川連合軍は城で防御戦をしていたようなもの。
だから武田軍に完勝できた――という見方があります。
この辺り、信長の戦術眼が恐ろしいぐらいに的中していたのですね。
長篠の戦いで信長の戦術眼が鬼当たり!勝因は鉄砲ではなく天然の要害だった?
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【徳川四天王】
・本多忠勝
・酒井忠次
・榊原康政
・井伊直政
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を掲載!