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【小石川養生所と小川笙船】
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養生所
◆小石川養生所は享保7年(1722年)12月にスタート。
施設はなかなか立派で、
・病人長屋
・薬煎室
・薬部屋
・薬調合室
・役人詰所
・中間部屋
・台所
・物置
などから成っていました。
当初の収容人数は40名ほどでその約10年後には117名にまで病床数が増加。
以降、江戸時代を通じて運営され、明治時代になって廃止されました。
現場視察
◆徳川吉宗と言えば新田開発!
関東では「伊奈流」と呼ばれる開発技術がありましたが、当時ほとんど手詰まり状態に陥っていました。
そこで吉宗が呼び寄せたのが地元・和歌山藩の井沢弥惣兵衛(いざわやそべえ)です。
承応3年(1654年)生まれの治水家で、和歌山藩で30年もその仕事を任されていた人物。
幼少から算術に長けており、土木技術で天賦の才を発揮していたところで、江戸へ呼び出されました。
学校の授業では、ここまで踏み込みませんが、吉宗さん、さすがですね。
てか授業でこういう話をすれば覚えやすいのになぁ~。
50/50
◆五公五民とか六公四民とか。江戸時代って、ほんと搾取されすぎ……。
と言いたいところですが、現在の税率も、社会保障費やその他の必要経費を考えたら、人によっては五公五民ぐらい余裕でいっちゃってますね。
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