こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【小石川養生所と小川笙船】
をクリックお願いします。
像が来た
◆享保十三年(1728年)に来日したアジア象。
中国の商人がベトナムから長崎へ持ち込み、翌年享保一四年(1729年)には江戸城の徳川吉宗に会い、その後はなんと12年間も浜御殿(現在の浜離宮)で飼育されました。
※詳細は以下の記事をご覧ください
-
天皇に謁見するため従四位になった渡来象もいた!? ゾウと日本人の歴史
続きを見る
後継者問題
◆将軍様と言えば、必ずセットで語られるのが継嗣問題。
-
小便公方と呼ばれた将軍~九代・徳川家重は一体どんな人物だったのか
続きを見る
そもそも徳川吉宗が就任した経緯も特異だっただけに、
-
史実の徳川吉宗はクセの強い名君だった?ドラマ『大奥』冨永愛
続きを見る
自身の息子以降は安定化させたかったのでしょう。
そのために【御三卿】も設置。
-
御三家と御三卿って何がどう違う? 吉宗が田安家を創設した理由
続きを見る
盤石の体制を敷いていきます。
あわせて読みたい関連記事
-
享保の改革は失敗か成功か?目安箱や米政策をはじめとした吉宗の手腕
続きを見る
-
天皇に謁見するため従四位になった渡来象もいた!? ゾウと日本人の歴史
続きを見る
-
小便公方と呼ばれた将軍~九代・徳川家重は一体どんな人物だったのか
続きを見る
-
史実の徳川吉宗はクセの強い名君だった?ドラマ『大奥』冨永愛
続きを見る
-
御三家と御三卿って何がどう違う? 吉宗が田安家を創設した理由
続きを見る
-
吉宗考案の目安箱はちゃんと機能した?享保の改革に対する批判は?
続きを見る
-
大岡越前守忠相の大岡裁きは一件だけ?吉宗に抜擢された名奉行の真実
続きを見る
-
江戸期の火消しがカッコイイ! 始まりは家光時代の大名火消だった
続きを見る
-
江戸の民を救った青木昆陽『蕃藷考』サツマイモが奨励された理由とは
続きを見る
バックナンバーを全部読みたい!という方はこちらへ→日本史ブギウギ
戦国武将の物語が読みたい!という方はこちらへ→戦国ブギウギ
著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を掲載!