どうせ政治家のパフォーマンスでしょ┐(´д`)┌
歴史を振り返れば【江戸の三大改革】だってそうじゃんね……と思われがちですが、その中で比較的成功したと言えるのが【享保の改革】であり、大きく変わったシステムが取り入れられました。
【目安箱】です。
庶民からの意見を将軍様が直接見る――超画期的なこの政治改革。
あまりに話が出来すぎていて、どうせこれもパフォーマンスなんでしょ……と断じられそうですが、実際にいくつか変わったこともあるのをご存知でしょうか?
本日はそのうちの【小石川養生所】に注目!
貧しい人々を診察・治療する無料の病院で、小川笙船という町医者の提言により始まりました。
それは一体如何なるものだったのか……マンガ『日本史ブギウギ』第196話スタート!
赤ひげ
◆小川笙船は寛文12年(1672年)生まれ。
町医者かつ漢方医で小説『赤ひげ診療譚(著:山本周五郎)』(→amazon)の主人公モデルとして知られますね。
採用通知
◆目安箱の存在を知った小川笙船は享保6年(1721年)、幕府に『意見書十七条』を提出。
そのうち「施薬院を設けて貧しい病人を救う」という意見を幕府が採用されました。
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肝煎
◆小川笙船のアイデアが実現化。
ただちに小石川薬園内に施薬局が設置され、それが【小石川養生所】となりました。
ちなみに「肝煎」とは、こうしった施設の「長」を表す言葉でもあったりしますね。
小川笙船は息子の小川丹治と共に世話人(肝煎)に命じられて、後に家やお金も貰い、さらには幕府公認の医者に……という話もありましたが、高齢を理由に断っています。
実際は金銭や名誉を目的として始めたものではないのでしょう。
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