歴史ドラマ映画レビュー

『SHOGUN 将軍』の歴史描写が日本をリスペクトし緻密で正確というのは本当か

2024/11/28

エミー賞を受賞し、一躍日本で話題になった『SHOGUN 将軍』。

その特徴の一つとして「日本人の俳優が起用され、歴史考証もしっかり行われた」というものがあります。

世界一になったのだから間違いないだろう!

ようやく日本の歴史がリスペクトされて世界に知らされた!

と、そんな記事も目につく一方、同作品を見た日本人視聴者からは「キャラの名前が全然戦国武将っぽくないし、五大老五奉行も揃ってなくて(視聴を)続けられなかった」なんて声も聞こえてきます。

一応のところ『SHOGUN 将軍』の登場人物にはそれぞれモデルがいます。

しかし、それを把握しておいた方がよいのか?

というと、日本史知識に疎い海外の視聴者ならばともかく、日本の場合はむしろ忘れた方がよいかもしれません。

戦国末期を舞台とした大河ドラマを数作視聴したことがある。

あるいはそういったフィクションを読んだことがある。

学生時代に習った日本史知識が薄れていない。

この程度の知識があれば、十分把握できるでしょう。

むしろ歴史好きの方からすると、いちいち引っ掛かり、どうにも入り込めないのが『SHOGUN 将軍』という作品。

そういった海外の日本史ベース作品によくある事情から見てまいりましょう。

 


登場人物が削除だらけである

日本史ではなく中国史の例から入って申し訳ありませんが、ハリウッドが制作に関わった映画『レッドクリフ』をご存知でしょうか?

レッドクリフ(→amazon

『三国志』で最も盛り上がる【赤壁の戦い】を描いた作品であり、その制作時にこんな話があったというのです。

「劉備と一緒に行動している男二人なんだけど、キャラが被るから一人カットしてもいいんじゃない?」

「男二人」とは、関羽と張飛のことです。

『三国志』ファンからすれば、どちらか一人をカットするなんてありえない! 何を考えているんだ! と、のけぞってしまうことでしょう。

しかし、歴史に何の思い入れもない、数字だけと向き合う制作者は、往々にしてそういうことを考えてしまうという例です。

『SHOGUN 将軍』の場合も、こうした考えのもとカットされたと思しき人物は数多く存在します。

アメリカの観客ならば引っ掛からなくとも、日本の観客からしてれみば欠席者だらけの会合を見せられたような気持ちになってしまいます。

そもそも『SHOGUN 将軍』では五大老と五奉行が全員揃っていないのです。

日本のフィクションで絶対そういうことがないとも言い切れませんが、全部で10話あって、本筋には関係ないお色気シーンが豊富のドラマとなると、どうにもバランスがおかしいように思えてくる。

問題は登場人物ではない。大事なのは当時の日本にあった価値観だろう。

そんな風な考え方もあるかもしれませんが、それもうまくはいきません。

 


「ロスト・イン・トランスレーション」の弊害

「ロスト・イン・トランスレーション」という言葉があります。

翻訳する中で、原語にあったニュアンスが消えてしまう現象のことで、日本語の場合、同じ漢字を用いる中国よりも、そうでない文化圏の方がより深刻なものとなります。

英語圏をターゲットにしている『SHOGUN 将軍』は、まさにこの弊害が大きい作品。

なまじ歴史が好きな日本の視聴者にとっては、砂を噛むような気持ちにさせられかねない。

『SHOGUN 将軍』を紹介する際、よく「日本の歴史を調べた」という触れ込みがありますが、私はネーミングセンスの時点で引っ掛かります。

たとえば「豊臣秀吉」を「中村秀俊」という、現代にもいそうな平凡な名前にしてしまうあたり、いかがなものでしょう。

漢字から伝わってくる豪奢な感覚が消え失せ、凡庸な印象を受けませんか?

さらには「淀の方」を「落葉の方」にするセンスもそう。そんな不吉で没落を予期するような名前をわざわざつけるものでしょうか。

これは登場人物の台詞にしてもそうなります。

本作に出てくる日本人は重々しく「日本の諺にはこうある」という前置きで、何かよくわからないことを言います。

これが非常に厄介。何をもとにしているかわからないし、そもそもそんな言葉はあったのか?と不明なことが多いのです。

そして漢籍引用をまずしません。

一応、書状にはあるというアリバイじみたコメントは読みましたが、果たしてどうなのやら。

中国史のみならず、日本史でも欠かせない漢籍の引用。

大河ドラマ『風林火山』の冒頭で、

大河ドラマ『風林火山』(→amazon

内野聖陽さんがこう読み上げるだけで、胸が高鳴なったファンも多かったことでしょう。

疾きこと風の如く

静かなること林の如く

侵略すること火の如く

動かざること山の如し

『孫子』の一節ですね。

孫子』は英訳が数種類ありますが、どうしても原文にあるニュアンスは抜けます。

そういう何かが抜け落ちた英訳をさらに和訳するようなことを繰り返していくと、原型もわからないシロモノができあがってゆきます。

『SHOGUN 将軍』で重々しく語られる警句だのことわざだのは、たいていがそういうシロモノです。

寿司という触れ込みのカリフォルニアロールは食べられるからよろしい。

しかし、このドラマの気取ったセリフは聞いているだけで背筋が寒くなってきます。

なお、この手の「東洋の“ゼン”にありそうな、なんちゃって格言もどき」は本作特有のものではありません。

苦笑しつつ受け止めるのであれば、それはそれで結構なことかと思います。

ところが『SHOGUN 将軍』は、日本人まで真顔で受け止めてしまっているのがどうにも心苦しい。

本作の考証担当者が「掛け軸等に漢籍引用が入っていて本格的だ」と語ってはいました。

確かに欧米目線からすれば、ものすごく努力した範疇に入るのでしょう。

しかし、全くもってなっていません。そこを指摘せずに褒めちぎるのはどうしたものでしょうか。

 

「ハロー効果」の悪用でそれらしく偽装している

大手新聞紙上において、本作の歴史考証担当者が「珍しい連歌の場面も入れた」と語っていました。

事前にそれを読んでいた私は、本当なのだろうかと楽しみにしていました。

確かにそれらしき場面がありました。

メインヒロインである毬子が茶室で、相手と上の句と下の句を分けた和歌を詠み合う場面です。

読んだのは二句だけであり、そのあと毬子は茶でもてなされていました。

連歌「会」とは到底言えない……。せいぜい茶室で歌を詠みあった程度の場面です。

本作の触れ込みである「考証をきちんとした」とは、所詮この程度なのか……と肩を落としてしまいました。

江戸時代以降のものと混同しないようにしたとも語られていますが、それも極めてあやしく感じます。

しかし、肩書きのシッカリした人物が、それらしく本作のことを語っているとなると、信じたくはなりませんか?

このような小手先の技法は、おなじみの手段です。

「ハロー効果」という用語もあります。立派な肩書きの人間がそれらしく語ったことは、信じたくなってしまうという普遍的な心理です。

思えばこの『SHOGUN 将軍』というドラマは徹頭徹尾それに満ちている気がしてなりません。

『SHOGUN 将軍』とは欧米でもよく知られた日本語で、これがタイトルの時点でエキゾチックで本格的なイメージがつきまといます。

豊臣秀吉の「TAIKO」とはインパクトが段違いといえる。

欧米のフィクションで「SHOGUN」がついたものを数えていけば、理解できることでしょう。

さらにエミー賞での快挙です。

日本のメディアでも絶賛ムードとなれば、眩さに幻惑される人は増えてゆく。

成功とはかくして生み出されます。

しかし、だからこそ、このドラマから歴史は学べません。むしろ有害といえるのではないでしょうか。

 


『SHOGUN 将軍』世界のミッシングピース

本作の原作小説は1975年刊行で、およそ半世紀前のことでした。

それだけ年数が隔たっているのであれば、歴史認識や社会情勢も当然変化しています。

歴史は完結したもので不変かというと、そんなことはありません。

『SHOGUN 将軍』は東西冷戦下の価値観や願望が反映された作品です。

半世紀も後になって、それをたどることがどれだけしょうもないか。改めて考える必要があります。

『SHOGUN 将軍』の世界観には、巨大なミッシングピースがあります。

そのカケラとは、16世紀末の世界で欠けていたものではなく、20世紀後半、西側世界で欠けていたもの、つまりは中国です。

16世紀末は明でした。

この明の欠落が、実に有害で、日本史知識にむしろ悪影響を与えるのではないでしょうか。

家康がモチーフである虎永たちは、ブラックソーンがもたらした大筒をみて、文明の光を目にした野蛮人のように恐れおののいていました。

それを見て、私は往年のハリウッドSF映画で、猿が文明の証に触れた場面を思い出しました。

実際の徳川家康が大筒を見てそこまで驚いたかどうか。

三浦按針の船が流れ着いた際、積荷に大筒があることを喜んだことは確かです。戦場で猛威をふるったことも確かです。

しかし、家康が大筒を知らなかったことはまずないと思われます。

家康が従軍した【朝鮮出兵】では、明軍の“仏郎機砲”が脅威として認識されていました。

存在を認識しているからこそ「おお、あれが我が手に入るのか!」と喜ぶほうが自然です。

そう考えてくると、あの野蛮人が大筒に驚く場面は、極めて意図的なものだと見えてきます。

明のフランキ砲(北京 首都博物館蔵)/wikipediaより引用

火縄銃にせよ、ポルトガル人による伝来ではなく、倭寇による伝来という説も有力です。

日本では火縄銃に用いる火薬を生産に限界があります。

輸入が必須。

となると貿易を行う倭寇としてはうまい話となるのです。

 

西洋人が文明をもたらすという時代錯誤の価値観

ブラックソーンはプロテスタントです。

メインヒロインであり、虎永に勝利をもたらす女神のような毬子はカトリック。

当時の宗教改革を踏まえると極めて御都合主義の描き方が『SHOGUN 将軍』の持ち味といえます。

一応、それとなくキリスト教徒同士の反目は描かれています。

しかし、カトリックの毬子が、プロテスタントであるブラックソーンとやたらと親しい時点で、どうしたってご都合主義としか言いようがない。

ブラックソーンと毬子のコンビは、宗派は横に置いて、西洋文明という光をもたらす存在としての役目を与えられています。

このコンビがいたからこそ、蛮族の長である虎永は勝利をおさめる――それが『SHOGUN 将軍』の伝えたいテーマなのでしょう。

しかし、これは日本人からすれば馬鹿馬鹿しいにもほどがある話。家康は西洋文明だのキリスト教の力で徳川幕府を切り開き、運営しようとはしておりません。

プロテスタント国のイングランドとオランダにのみ交易を許しました。

カトリックは悪名高いほど厳しい弾圧をしています。

幕府のカトリックへの忌避感は強く、イングランド王がカトリックの王妃を迎えたことを契機に日英関係は中断へ向かいます。

徳川幕府がむしろ国家の礎として重視したのは、儒教朱子学です。

新進気鋭の若き儒学者である林羅山を登用し、徹底して浸透させようとしました。

林羅山/wikipediaより引用

家康のあと、五代綱吉はじめ他の将軍も儒教を重視しました。

中興の祖として名高い八代吉宗が参照した政策は、明太祖洪武帝・朱元璋のものです。

この傾向は日本だけにとどまらず、近世東アジアを考える上で重要な点です。

明のあとは満洲族の清に交替しますが、この王朝も政策面では明路線を改善しつつ踏襲しました。

漢族の明滅亡後、その文化的後継者を強く自認した朝鮮王朝も、朱子学を徹底します。

東アジアの近世は、明の影響が極めて大きい。

それをすっ飛ばして、ブラックソーンと毬子が虎長の救世主扱いとは、一体何事なのでしょう。

そもそも冷静になって考えてみれば、近世東アジア最大の勢力は明とその後継である清であり、徳川幕府の日本はその下に位置していました。

そんな明をミッシングピース扱いする時点で、歴史ものとして真面目にやる気がないとしか言いようがないのでは?

では、なぜ、そんな歴史修正的な態度が許されたのでしょうか。

原作は1975年、オリジナルドラマは1980年発表ということが重要です。

 

英米にとって、日本との出会いは甘いノスタルジーがある

話が16世紀と20世紀、それぞれの後半を行き来しておりますが、もう少しおつきあいください。

考えてみれば当然のことながら、日本と海外の交流は、琉球、蝦夷地、中国大陸や朝鮮半島とのものが長く密接しており、それにロシアや東南アジアが続いてきました。

イギリスとアメリカとは接点が少ない。当然の帰結です。

第一の接点が、徳川家康と三浦按針、そして第二の接点が、幕末から明治となります。

当時のイギリスはロシアとの国際的な勢力争いである【グレートゲーム】を繰り広げておりました。

そのことを警戒した徳川幕府は、英露と距離を空けようとします。

しかし若い【志士】たちはそんなこと構わず、イギリスの吊り下げた倒幕という餌につられ、親英政権樹立クーデター【明治維新】を行います。

イギリスはロシアを牽制する政権を極東に打ち立てることに成功しました。

イギリス外交史を通してみても、なかなかの成功例といえます。

幕末以来の付き合いとなるハリー・パークスと伊藤博文/wikipediaより引用

そして第三の接点は、より深いものとなります。

【太平洋戦争】を勝利したアメリカによる、日本の支配です。

あれほど凶悪で、特攻隊というおそるべき抵抗手段まで敢行してきた日本。

しかし降伏後はすっかりおとなしくなり、うら若き女性を米兵に差し出してくるほど。

日本の子どもたちは米兵の投げ与えるチョコレートを喜んで拾い、民衆はこぞってアメリカ映画を見に行くようになり、政治家もすっかりおとなしく従ってきます。

なにせ、マッカーサーが帰国するとなると「留まってくれ」と懇願するほどでした。

アメリカの支配がここまで歓迎され、理想的に実現できた国はありません。

この第二と第三の成功例を、日本史における普遍的な現象とすることは、甘美な歴史修正といえます。

ここまで考えてくると、ヒロインが「マリコ」という現代でも多い日本人女性名であることも、そのマリコがすんなりブラックソーンに心を開くことも腑に落ちます。

英語を話す男に献身的な日本人美女は、まさしく理想的なヒロインなのでしょう。

この歴史修正の厄介なところは、日本人も共犯関係にあることです。

近代において、文明化を成し遂げる国家と文明とは、西洋列強のみとされました。

明治以降、東アジアの一員であるより、西洋列強の末席にあることを己のアイデンティティとしてきたのが日本です。

この歴史修正は、戦後まもなくは見直しの機運が高まりました。

船橋聖一氏のベストセラーを原作とした大河ドラマ第一作『花の生涯』は井伊直弼が主人公です。

【明治維新】を絶対正義とする【薩長史観】のもとでは、吉田松陰を処刑した井伊直弼は許されざる大悪人です。そんな彼の評価を見直す気風が当時はあったことがわかります。

しかし、高度経済成長期となると、【明治維新】を美化する司馬遼太郎氏の作品がヒットを記録し、大河ドラマの原作にも多く取り上げられてゆきます。

日本人の歴史観はまたも戻ってゆきました。戦争では負けたものの、経済では他のアジアを圧倒できた時代背景もあるのでしょう。そしてその歴史観は現在も払拭されておりません。

中国や韓国と異なり、日本は儒教に支配されたことがない。

漢文教育は日本人に不要。

こういった歴史修正の文言は、日本で氾濫しています。

しかし止めようもありません。

人間は往々にして、苦い真実よりも甘い嘘を受け入れるもの。

アジア人よりも白人に近い、我々は他のアジア人とは異なるという脱亜入欧から、まだ抜け出せ切っていないのでしょう。

『SHOGUN 将軍』のトンデモ描写は喜ばれる一方、今年はフランスのゲーム『アサシンクリード シャドウズ』に黒人の弥助が登場するとして炎上しました。

これも明治以降の日本人を支配する価値観から読み解けます。

日本人は白人には劣るけれども、それ以外の有色人種よりは上である。そんな価値観が存在します。

白人が馬鹿にしようと受け入れるのに、他の有色人種がそうすると「和を乱すな!」と怒り出す。

実にわかりやすい話ではないですか。

 

黄昏に輝くノスタルジーの星としての『SHOGUN 将軍』

まだ冷戦下にあった1970年代から80年代にかけて、そんな甘ったるい作り話が受け入れられるのは、納得ができる話といえます。

しかし、2024年になっても通じるというのは、極めて不健全で歪んだ話と思わざるを得ません。

オリジナル版『SHOGUN 将軍』がヒットしたあと、アメリカは苦い現実に直面する時代へ突入します。

アメリカは戦争で勝利をおさめにくくなってゆきました。

1990年代に冷戦は終結し、アメリカと日本が属する西側が勝利をおさめたように見えました。

しかし皮肉にも、アメリカの優位と正義はこれ以降、急速に衰えてゆきます。

クーデターを支援するなり、軍事において屈服させ支配した国は、日本よりはるかに手強く、頑強な抵抗をしてきます。

特に中東は、アメリカの支配に対し断固として抵抗。

その延長線上に、911テロという悲劇が待ち受けていました。

そしてオリジナル版『SHOGUN 将軍』が無視していた中国大陸は、急速に力を伸ばしている。

こうして見てくると『SHOGUN 将軍』は満身創痍となったアメリカが縋った、古きよき時代のノスタルジーのように思えてなりません。

Amazonプライムのドラマ『ザ・ボーイズ』で、ホームランダーが掲げているような、古臭いアメリカ人が好きそうなドラマかもしれません。

トランプが大統領選に当選した後、支持団体は「トランプがアメリカを再度偉大にする」というコピーをつけた画像をSNSに投稿しました。

金髪のスリムな美男美女と少年少女が微笑む、白人家庭の画像です。

さて、この家族は『SHOGUN 将軍』を見てどう思うのか。

野蛮人に我々が文明をもたらしたと大笑いしながら見るのか。はたまた、猿どもが目立ってけしからんと怒るのか。想像してみるのも一興。

ここで、もう一度問いかけます。

そんなドラマを日本人がありがたがる必要はありますか?

それって、米兵がばら撒くチョコレートに群がっていた精神性が抜けきっていない証では?

クエンティン・タランティーノは、どんなにもてはやされていようと「リメイクという時点で『SHOGUN 将軍』は見ない」と語っていました。

これには同感です。

今さら焼き直すべき作品とも到底思えないのです。

 

正統進化を遂げた見るべきドラマは他にある

半世紀前、冷戦下のしょうもない歴史観に酔いしれるアメリカ。それに喜ぶ日本。

あまりに不健全な空気に息が詰まります――と、書いてくると、反論はあるでしょう。

ならば2020年代にふさわしい、日本史を描いた歴史ドラマはあるのか?

これがあるのです。3作品を挙げてみましょう。

①2007年 イギリス・BBC『ウォリアーズ 歴史を動かした男たち』エピソード4「SHOGUN」

ウォリアーズ 歴史を動かした男たち

ウォリアーズ 歴史を動かした男たち~徳川家康編/huluより引用

サブタイトルが一致する作品ですね。

徳川家康以下、全員が英語を話すドラマであり、英語圏制作ドラマとして登場人物の省略といった、『SHOGUN 将軍』にも見られる欠点はあります。

しかし一話完結、放映時間の短さを踏まえると許容範囲。

BBCのこのドラマでは、家康が【関ヶ原の戦い】で勝利をおさめた要因として、小早川秀秋をクローズアップしています。

単純化しているものの、毬子の説得が勝利の決定打とされる『SHOGUN 将軍』よりずっと良心的でしょう。

イギリス制作なのに三浦按針は登場せず、日本でも自力で導入した火器が戦場を左右していたと説明がなされています。

『SHOGUN 将軍』ではカットされた【関ヶ原の戦い】がこのドラマのクライマックスであり、そのことを思えば、どんなに言い訳をしようと『SHOGUN 将軍』は竜頭蛇尾だと思わされてしまいます。

『SHOGUN 将軍』はVFX効果が喧伝されました。

『ゲーム・オブ・スローンズ』路線ならばそれでよいのでしょうが、日本で城を用いてロケしたほうがよいこともこのドラマからはわかります。

『SHOGUN 将軍』の持つ欠点をカバーした、むしろBBCの方が勧められる「SHOGUN」といえます。

②2019年 アメリカ Amazonプライム『MAGI 天正遣欧少年使節

現在日本では視聴不能地域となっています(→amazon

天正遣欧使節を描いたドラマです。

これも『SHOGUN 将軍』に欠落した要素がみっちりと詰まった傑作といえます。

このドラマはカトリックとしてローマ教皇に謁見する少年使節をテーマとしながら、むしろキリスト教の持つ罪を問いかける作品といえます。

近世において、キリスト教による文明化を掲げた西洋諸国が、世界各地でどれだけ破滅的な結果をもたらしてきたのか。

そのことを投げかけているのです。

このドラマに登場する宣教師の中には日本人を見下し、侮蔑の眼差しを投げかける者もいます。

船倉に押し込められ、奴隷として売られてゆく日本人の姿も描かれます。

織田信長は西洋との交易に可能性を見出すものの、豊臣秀吉は警戒し、弾圧する様も描かれました。

このドラマの斬新なところとして、宣教師の活動を聞いた秀吉が、朝鮮出兵のアイデアを得る場面があげられます。

近世につきまとう侵略という問題を、歴史的に問い直す刺激的なドラマとなっているんですね。

原案は若桑みどり氏。

脚本と音楽は、大河ドラマ経験がある鎌田敏夫氏と大友良英氏が起用されました。

台詞も音楽も違和感がないだけでも『SHOGUN 将軍』で感じるストレスがありません。むしろ引き込まれます。

日本ロケ、バチカンロケも美しく、衣装や小道具まで、見応えがあり珍しいものがたくさんみられます。

③2020年 日本 NHK大河ドラマ『麒麟がくる』

『麒麟がくる』(→amazon

このドラマは『SHOGUN 将軍』の歴史観とは真逆にあるといえます。

日本近世は朱子学を基に築かれたと描く作品です。

日本に染み込み、歴史修正の根幹にある「脱亜入欧」を否定する描写を意欲的にしています。

主人公である明智光秀が初めて目にする織田信長の姿は、船に乗って海から浜辺に上陸するものでした。

織田家が支配する尾張は海に面しており、交易で財を為していることが象徴された場面といえます。

しかしその交易国はあくまで明です。

ドラマ後半になると信長のもとには宣教師が訪れるとはいえ、それより遥か前に信長は明との交易を志向していたとはっきり描かれている。

信長が西洋の甲冑や衣類を身につけ、ワインを飲む場面はしばしばフィクションにおいて登場します。

しかし『麒麟がくる』の信長はそのようなことは一切ありません。

本作で大きく掲げられているのがタイトルにもある「麒麟」です。

麒麟とは儒教の聖獣であり、泰平の世とともに到来すると考えられています。

信長はこの麒麟を花押に用いていました。

光秀は漢籍を引用し、儒教理念を掲げ、その実現を目指します。

しかし、最終回に近づくと、光秀は信長ではなく、家康こそ実現ができるのではないかと見出してゆく。

日本の近世はあくまで朱子学の理念のもとで実現するという、本来の姿を取り戻す作品といえます。

こうした良質な作品を見ることは、『SHOGUN 将軍』鑑賞後のデトックスになるかもしれません。

時代背景が異なるとはいえ、日本版『ゲーム・オブ・スローンズ』を見たいのであれば、2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』がおすすめできます。

スタッフが『ゲーム・オブ・スローンズ』を鑑賞し、意識したというこのドラマは、衝撃的な場面が繰り返されてゆきます。

標的に信頼させておき、唐突に暗殺する場面。

弟・義経の首桶を抱きしめて号泣する兄・頼朝など。

史実を基にして十分衝撃的なドラマが作れると証明した作品です。

 

『SHOGUN 将軍』のシーズン2はあるのか?

『SHOGUN 将軍』は原作部分がドラマ化されています。

シーズン2を望む意見もありますが、果たして現実的な話かどうか考えてみましょう。

私としては、厳しいと言わざるを得ません。

メインヒロインである毬子は【関ヶ原の戦い】の前に殺害されています。この作風ならば毬子が徹底抗戦して討ち死にしそうな気もしますが、どうでしょうか。

あるいはブラックソーンが乱入して、救い出すシナリオもありかもしれません。

【関ヶ原の戦い】のあと、ブラックソーンは重用されるかというと、これも難しいところです。

あくまで交易の窓口としては重用されるものの、幕府に欠かせぬ重臣になったらなったで、トンデモ展開になりそうな予感がします。

そもそもが東の『ゲーム・オブ・スローンズ』ともいえるサムライウォーズは【関ヶ原の戦い】で一旦は終結します。

関ケ原合戦図屏風/wikipediaより引用

一気に早送りして【大坂の陣】を迎える展開もあるのかもしれませんが、原作がないからには下り坂になると想像できます。

これはあの『ゲーム・オブ・スローンズ』にもあてはまります。

あの作品も途中で原作該当分が尽きてからは、展開が急激につまらなくなったと酷評されたものです。

いずれにせよ『SHOGUN 将軍』は、シーズン2が作られるかどうかはわかりません。もしそうなれば「どうしてシーズン1で終わらせなかったのか……」と嘆かれる出来となるのではないでしょうか。

 

2020年代の歴史ドラマはどうなるのか?

オリジナル版『SHOGUN 将軍』放映後に起きたことから、予測できることもあります。

1981年に第一作が発売されたアメリカ産RPG『ウィザードリィ』には、職業としてサムライとニンジャが採用されました。

サムライはもとは「レンジャー」だったものが『SHOGUN 将軍』に夢中になった制作者が急遽変更。

結果として、サムライは戦士でありながら魔法使いの呪文が使えるという、珍妙な職業となったのでした。

もとは「アサシン」であったニンジャも無茶苦茶です。

装備が何もない、つまりは全裸の時にこそ一撃必殺攻撃成功率があがるという設定です。

モンスター側にもサムライとニンジャは出てきますが、これはプレイヤーキャラクター以上に無茶苦茶な設定でした。

モンスターがアニメとして動くようになった作品からは、サムライはわけのわからない奇声を発していたものです。

このことは、まっとうな日本史を学ぶわけでもなく、ノリでジャパンを消費する需要が高まったことを示した一例とも言えるかもしれません。

『SHOGUN 将軍』の成功は日本が魅力的だと誘導したい見解はよく見かけますが、オリジナル版の需要を踏まえるとある程度想像ができるのではないでしょうか。

ニンジャを全裸斬首ユニットにされて無邪気に喜んでいる場合だったのかと、私は考えてしまうのですが。

そしてもう少し『ウィザードリィ』の話を続けますと、また予測できることがあります。

このシリーズは後に「モンク」という職業が登場します。

少林寺僧をモチーフとしているとわかる職業です。

このように、日本要素が一歩先を行っていても、やがて中国要素も加わってきます。

この流れが今後VODドラマでも進むとすれば『SHOGUN 将軍』の後継枠としてマテオ・リッチやカスティリオーネを扱った明清を舞台としたドラマが登場することもあるのかもしれません。

もっとも、そうなるとすればむしろ『MAGI』の流れを汲むので、私としてはそうならないだろうとは思いますが。

では中国要素は無視できるのかというと、私はそうは思えません。

これはむしろアメリカよりも日本の大河ドラマが先行しています。

前述した通り『麒麟がくる』は明からの影響を重点的に描いていました。

『鎌倉殿の13人』にも、『光る君へ』にも、宋人が登場して重要な役割を果たしています。

こうした作品に対する中国人大河ドラマファンの意見を見ていると、ここが狙い目かと思えたものでした。

中国では廃れた文化が日本に残っていること。

日本において漢籍教養が重視されていること。

こうした要素が、中国人視聴者を惹きつけるフックとして機能しているとわかったのです。

『SHOGUN 将軍』のような、日本人女性サービスカットで惹きつけるよりも、こちらの方がはるかによいものだと私には思えました。

日本においても、韓流ドラマと華流ドラマの人気は高まっています。

配信で海外ドラマを見るのであれば『SHOGUN 将軍』よりも面白い海外の時代劇はいくらでもある時代です。

『SHOGUN 将軍』がフォローしている『ゲーム・オブ・スローンズ』にせよ、2010年代に一世を風靡した作品であり、時代はそこから進んでいます。

『SHOGUN 将軍』で歴史を知ることは確かにできます。

しかしその歴史とは、16世紀後半の日本のものではありません。

20世紀の冷戦下という時代に咲いた徒花のような価値観を学ぶうえでは、確かに有効な教材かもしれません。

そしてその教材は、この徒花は早晩枯れると示しているのです。


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【参考】
『SHOGUN』公式サイト(→link

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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