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【『SHOGUN 将軍』の歴史描写は緻密で正確なのか?】
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西洋人が文明をもたらすという時代錯誤の価値観
ブラックソーンはプロテスタントです。
メインヒロインであり、虎永に勝利をもたらす女神のような毬子はカトリック。
当時の宗教改革を踏まえると極めて御都合主義の描き方が『SHOGUN 将軍』の持ち味といえます。
一応、それとなくキリスト教徒同士の反目は描かれています。
しかし、カトリックの毬子が、プロテスタントであるブラックソーンとやたらと親しい時点で、どうしたってご都合主義としか言いようがない。
ブラックソーンと毬子のコンビは、宗派は横に置いて、西洋文明という光をもたらす存在としての役目を与えられています。
このコンビがいたからこそ、蛮族の長である虎永は勝利をおさめる――それが『SHOGUN 将軍』の伝えたいテーマなのでしょう。
しかし、これは日本人からすれば馬鹿馬鹿しいにもほどがある話。家康は西洋文明だのキリスト教の力で徳川幕府を切り開き、運営しようとはしておりません。
プロテスタント国のイングランドとオランダにのみ交易を許しました。
カトリックは悪名高いほど厳しい弾圧をしています。
幕府のカトリックへの忌避感は強く、イングランド王がカトリックの王妃を迎えたら、交易すら制限するほどの警戒ぶりでした。
徳川幕府がむしろ国家の礎として重視したのは、儒教朱子学です。
新進気鋭の若き儒学者である林羅山を登用し、徹底して浸透させようとしました。
家康のあと、五代綱吉はじめ他の将軍も儒教を重視しました。
中興の祖として名高い八代吉宗が参照した政策は、明太祖洪武帝・朱元璋のものです。
この傾向は日本だけにとどまらず、近世東アジアを考える上で重要な点です。
明のあとは満洲族の清に交替しますが、この王朝も政策面では明路線を改善しつつ踏襲しました。
漢族の明滅亡後、その文化的後継者を強く辞任した朝鮮王朝も、朱子学を徹底します。
東アジアの近世は、明の影響が極めて大きい。
それをすっ飛ばして、ブラックソーンと毬子が虎長の救世主扱いとは、一体何事なのでしょう。
そもそも冷静になって考えてみれば、近世東アジア最大の勢力は明とその後継である清であり、徳川幕府の日本はその下に位置していました。
そんな明をミッシングピース扱いする時点で、歴史ものとして真面目にやる気がないとしか言いようがないのでは?
では、なぜ、そんな歴史修正的な態度が許されたのでしょうか。
原作は1975年、オリジナルドラマは1980年発表ということが重要です。
英米にとって、日本との出会いは甘いノスタルジーがある
話が16世紀と20世紀、それぞれの後半を行き来しておりますが、もう少しおつきあいください。
考えてみれば当然のことながら、日本と海外の交流は、琉球、蝦夷地、中国大陸や朝鮮半島とのものが長く密接しており、それにロシアや東南アジアが続いてきました。
イギリスとアメリカとは接点が少ない。当然の帰結です。
第一の接点が、徳川家康と三浦按針、そして第二の接点が、幕末から明治となります。
当時のイギリスはロシアとの国際的な勢力争いである【グレートゲーム】を繰り広げておりました。
そのことを警戒した徳川幕府は、英露と距離を空けようとします。
しかし若い【志士】たちはそんなこと構わず、イギリスの吊り下げた倒幕という餌につられ、親英政権樹立クーデター【明治維新】を行います。
イギリスはロシアを牽制する政権を極東に打ち立てることに成功しました。
イギリス外交史を通してみても、なかなかの成功例といえます。
そして第三の接点は、より深いものとなります。
【太平洋戦争】を勝利したアメリカによる、日本の支配です。
あれほど凶悪で、特攻隊というおそるべき抵抗手段まで敢行してきた日本。
しかし降伏後はすっかりおとなしくなり、うら若き女性を米兵に差し出してくるほど。
日本の子どもたちは米兵の投げ与えるチョコレートを喜んで拾い、民衆はこぞってアメリカ映画を見に行くようになり、政治家もすっかりおとなしく従ってきます。
なにせ、マッカーサーが帰国するとなると「留まってくれ」と懇願するほどでした。
アメリカの支配がここまで歓迎され、理想的に実現できた国はありません。
この第二と第三の成功例を、日本史における普遍的な現象とすることは、甘美な歴史修正といえます。
ここまで考えてくると、ヒロインが「マリコ」という現代でも多い日本人女性名であることも、そのマリコがすんなりブラックソーンに心を開くことも腑に落ちます。
英語を話す男に献身的な日本人美女は、まさしく理想的なヒロインなのでしょう。
この歴史修正の厄介なところは、日本人も共犯関係にあることです。
近代において、文明化を成し遂げる国家と文明とは、西洋列強のみとされました。
明治以降、東アジアの一員であるより、西洋列強の末席にあることを己のアイデンティティとしてきたのが日本です。
この歴史修正は、戦後まもなくは見直しの機運が高まりました。
船橋聖一氏のベストセラーを原作とした大河ドラマ第一作『花の生涯』は井伊直弼が主人公です。
【明治維新】を絶対正義とする【薩長史観】のもとでは、吉田松陰を処刑した井伊直弼は許されざる大悪人です。そんな彼の評価を見直す気風が当時はあったことがわかります。
しかし、高度経済成長期となると、【明治維新】を美化する司馬遼太郎氏の作品がヒットを記録し、大河ドラマの原作にも多く取り上げられてゆきます。
日本人の歴史観はまたも戻ってゆきました。戦争では負けたものの、経済では他のアジアを圧倒できた時代背景もあるのでしょう。そしてその歴史観は現在も払拭されておりません。
中国や韓国と異なり、日本は儒教に支配されたことがない。
漢文教育は日本人に不要。
こういった歴史修正の文言は、日本で氾濫しています。
しかし止めようもありません。
人間は往々にして、苦い真実よりも甘い嘘を受け入れるもの。
アジア人よりも白人に近い、我々は他のアジア人とは異なるという脱亜入欧から、まだ抜け出せ切っていないのでしょう。
『SHOGUN 将軍』のトンデモ描写は喜ばれる一方、今年はフランスのゲーム『アサシンクリード シャドウズ』に黒人の弥助が登場するとして炎上しました。
これも明治以降の日本人を支配する価値観から読み解けます。
日本人は白人には劣るけれども、それ以外の有色人種よりは上である。そんな価値観が存在します。
白人が馬鹿にしようと受け入れるのに、他の有色人種がそうすると「和を乱すな!」と怒り出す。
実にわかりやすい話ではないですか。
黄昏に輝くノスタルジーの星としての『SHOGUN 将軍』
まだ冷戦下にあった1970年代から80年代にかけて、そんな甘ったるい作り話が受け入れられるのは、納得ができる話といえます。
しかし、2024年になっても通じるというのは、極めて不健全で歪んだ話と思わざるを得ません。
オリジナル版『SHOGUN 将軍』がヒットしたあと、アメリカは苦い現実に直面する時代へ突入します。
アメリカは戦争で勝利をおさめにくくなってゆきました。
1990年代に冷戦は終結し、アメリカと日本が属する西側が勝利をおさめたように見えました。
しかし皮肉にも、アメリカの優位と正義はこれ以降、急速に衰えてゆきます。
クーデターを支援するなり、軍事において屈服させ支配した国は、日本よりはるかに手強く、頑強な抵抗をしてきます。
特に中東は、アメリカの支配に対し断固として抵抗。
その延長線上に、911テロという悲劇が待ち受けていました。
そしてオリジナル版『SHOGUN 将軍』が無視したいた中国大陸は、急速に力を伸ばしている。
こうして見てくると『SHOGUN 将軍』は満身創痍となったアメリカが縋った、古きよき時代のノスタルジーのように思えてなりません。
Amazonプライムのドラマ『ザ・ボーイズ』で、ホームランダーが掲げているような、古臭いアメリカ人が好きそうなドラマかもしれません。
トランプが大統領選に当選した後、支持団体は「トランプがアメリカを再度偉大にする」というコピーをつけた画像をSNSに投稿しました。
金髪のでスリムな美男美女が、少年少女と微笑む白人家庭の画像です。
さて、この家族は『SHOGUN 将軍』を見てどう思うのか。
野蛮人に我々が文明をもたらしたと大笑いしながら見るのか。はたまた、猿どもが目立ってけしからんと怒るのか。想像してみるのも一興。
ここで、もう一度問いかけます。
そんなドラマを日本人がありがたがる必要はありますか?
それって、米兵がばら撒くチョコレートに群がる精神性は抜けきっていないのでは?
クエンティン・タランティーノは、どんなにもてはやされていようと「リメイクという時点で『SHOGUN 将軍』は見ない」と語っていました。
これには同感です。
今さら焼き直すべき作品とも到底思えないのです。
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