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【陳情令と魔道祖師の女性キャラ解説】
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孟詩~容色だけを愛されて
温情が恋愛感情にほだされ、“侠”のない男と結ばれたら?
そんな憂鬱なifは金庸原作武侠ドラマ『射鵰英雄伝 レジェンド・オブ・ヒーロー』で見られます。
温情役の孟子義が、穆念慈(ぼくねんじ)を演じています。結ばれた刹那は愛があろうと、その先まで見据えねば不幸に陥りかねないのです。
この世界にも、そんな典型例がおります。
女性としての容色のみを愛された孟詩。金光瑶の母です。詩という名からは、文才があると想像できます。
孟詩は妓女でした。
妓女とは美しさだけを愛されるわけではありません。手練手管のみならず、詩を詠み、楽器を奏で、歌う芸術性が求められる。孟詩は才知あふれる妓女として有名でした。
そして名門の金光善のお手つきとなり、男児を産みます。
彼がもし、己と我が子の才知を愛していれば、きっと運命は変わるはず――しかし金光善は、女の容色だけを愛する下劣な男でした。
母の願いと恨みは、金光瑶に引き継がれて悲劇を巻き起こしてゆきます。
秦愫~愛だけしか頼れなければ……
愛はあった。
それでも駄目だった。
愛にすべてを賭けるというのは、美しいようで、夫が下劣であれば破滅する。
そんな作中最も酷い結末を迎える女性が、金光瑶の妻である秦愫(しんそ)です。
愫とは誠意、真心の意味。名の通り、彼女は誠実で、真摯な愛に生きていたのでしょう。
彼女は『笑傲江湖』に登場する悲運の女性、寧中則と岳霊珊を連想させます。
最愛の夫に欺かれ、悲運の最期を遂げるのです。
彼女たちの過ちは、愛する相手をまちがえたこと。彼女自身に罪はないのに……報われぬ運命を体現します。
女侠の伝統
まずは武侠の伝統から、本作の強い女性の考察をしてみましょう。
武侠よりはるか前から、中国文学では、戦う女性像が伝統的にあります。
巾幗英雄(きんかくえいゆう):花木蘭が元祖とされる。従軍し、戦う女性のこと。頭巾で頭を包むことからこう称される。
女侠(じょきょう):武芸を身につけた女性のこと。武侠ものでは女侠がいなければ話にならない。
中国では伝統的に女戦士が強い!
これに対し、日本の時代ものではここまで女性が強くありません。
武侠好きが吉川英治『宮本武蔵』を読むと、「お通は何のためにいるの?」という感想を抱くこともあるとか。
お通の是非はさておき、武侠ものならば宮本武蔵の横に立ち、武器を振るっていてもまったくおかしくはありません。
男性を龍とし、女性を鳳凰とみなす。そんな思考がありますから、武侠ものでは師匠の妻も「師娘」(しじょう、師匠の妻)と呼ばれ、尊敬を集めます。
むしろこの作品はブロマンスものであるせいか、どうしても女侠の存在感が薄くなってはおります。ドラマ版はその調整をしているように思えます。
武侠らしさを女性で最も体現しているのが、虞夫人と侍女たちといえます。
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女の人生は結婚後も続く
次に、中国の伝統的な価値観を考えてみましょう。
古典的なディズニー映画のお約束とは別の世界がそこにはあります。
白馬に乗った王子と結婚して終わり?
いやいや、女の人生はむしろそこからが本番。家を守るために智勇を尽くしてこそ、東洋の女性といえます。
ここでもう一度、江離厭について考えてみましょう。
彼女が可憐であるのは、なぜでしょうか?
あの優しさ、そしてお料理、かわいらしい姿……そうした理由は思いつきますが、それだけでしょうか?
意地悪なことを指摘します。
彼女がああも可憐なイメージのままであるのは、結婚と出産後、ほどなくして亡くなった悲運もあると思えるのです。
江厭離は理想のお姉さんです。夫・金子軒との甘酸っぱい恋も含めて穏やかに思えます。
しかし、それでも気の強さはチラホラと見えていました。魏無羨が侮辱されると、断固として謝罪を求めていたのです。
愛する人を守るためならば、強くなる!
それこそが結婚後の女性に求められたこと。しばしば子を抱えた虎にたとえられるほどの猛烈であっても、むしろ賞賛されます。
とはいえ、虎と化した妻とはどうなのか……そんな思いもあるわけでして。
中国の古典『紅楼夢』の主人公である賈宝玉は、こんな台詞を吐きます。
「女の子の体は水でできているけど、男の子の体は泥でできている。だから女の子を見ていると気持ちがスッキリするけど、男の子を見ているとムカムカしてくる。そんな女の子だって結婚して男と交わったら泥と混ざってしまうから、台無しになるんだよな」
それな、未婚美少女最高! 深く頷き、作中の美少女たちに現実逃避する読者も少なくなかったことでしょう。
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建前は「家を守ってくれてありがとう」。
しかし本音は「妻が怖い。あの可憐だった彼女はいずこへ……」とぼやいている夫がそれこそ多かったもの。中国の笑話集やコメディには、恐妻家ネタが定番です。
「あの人はたいしたもんだけど、家に帰れば恐妻家だってさ」
「マジかよ、俺と同じじゃね、親しみ感じるわ!」
そんなネタとともに語られてしまう。明代の名将・戚継光がその典型例です。
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この伝統は武侠ものでも引き継がれたのか。
前述の通り黄蓉は、結婚前後の印象変化が激しく、失望される武侠ヒロインです。彼女なりの言い分はあるとはいえ、そこはさんざん突っ込まれます。
武侠大好きな周星馳(チャウ・シンチー)は、さらにネタとして取り込みました。
映画『カンフーハッスル』には、ふてぶてしい“小龍女”というおばちゃんが出てきます。
みんな大好きな小龍女だって、結婚してしばらく経てばこうなるんじゃないの?
そんなネタに観客は大爆笑したのです。
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身も蓋もない言い方をすれば、江厭離はそうなる前に退場したと。
じゃあ彼女が結婚してしばらくしたらどうなったのか?
その役割を担ったと思えるのが弟・江澄です。外叔父でありながら金凌に過保護でともかく手厳しく、内心鬱陶しがられている。あれは、子のために厳しくなった親の古典的な像といえます。
そもそもその年齢なら実子がいてもよいのではないか?
そんな困惑を感じてしまいませんか?
あれは亡き姉の役割を彼なりに代理しているのかもしれません。
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