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【陳情令と魔道祖師の女性キャラ解説】
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魏晋南北朝~貴族女性が強い時代
虞夫人が江楓眠と手を繋いで悲運の死を遂げるとき――そこには夫婦愛があるように思えます。
これは何もフィクションとしてのお約束だけでもありません。
戦う妻という像こそ、まさしく魏晋南北朝に実在した女性たちの姿も見出せるのです。
当時の名門貴族の女性たちには、強い発言権がありました。
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この時代における強い女性の典型として、陽夏謝氏の出身である謝道韞(しゃどううん)がいます。彼女は幼少期から聡明でした。「詠雪の才」として知られる逸話があります。
謝安がある雪の日に、家族にこう語りかけました。
「雪が降っているね。何に似ているか言ってごらん」
その中で一族の男子・謝朗がこう答えます。
「塩を空中に撒けば似ていると思います」
そして謝道韞はこう言いました。
「風に吹かれた柳絮(りゅうじょ、柳の綿毛)が舞う様が似ています」
謝安はその答えに満足し、笑ったのでした。
『世説新語』「言語」
「雪は塩だ!」と単純に答えた謝朗に対し、謝道韞はより詩的に、リアリティのある答えを咄嗟に返す。
こんな女性の機知が愛されたのが、この時代でした。
そんな謝道韞は才知あふれる女性であり、かつ気が強い。毒舌で男性を言いまかすこともしばしばありました。
夫はこれまた名門貴族の瑯琊王氏出身の王凝之でした。彼に嫁いだあと、謝道韞は夫に失望し、実家でもイライラしております。
そんな彼女を叔父の謝安はこうなだめたのです。
「もうありえない、あんな人だと思わなかった! 思い出すだけでイライラしてくる……」
「まあまあ、でも、王郎(王の若君)はあの名門の出だし、そんなに悪い人じゃないよ。どうしてそんなに気に入らんのかなぁ?」
「でも、謝氏一族にせよ、親戚にせよ、才知あふれる男性ばかりでしょう。それがあの人は何なの? まったく、この世にこんなぼーっとした奴、あの王郎みたいな存在がいるなんて思いもよらなかったわ」
これは辛辣なだけではありません。
彼女の実家陽夏謝氏がいかに優れ、一族が才知を披露していたのか、わかる言葉でもあります。と
はいっても、謝道韞は同族に対しても辛辣。
彼女の弟・謝玄は当時どころか中国史屈指の名将です。
「赤壁の戦い」を上回る兵力差とされた「淝水の戦い」において大勝利をおさめました。
その弟すら、こうからかっているほど。
「あんたって進歩しないよね。雑務に追われてんの? それとも才能に限界があるとか?」
それでも謝玄は姉に怒るどころか「姉上にそう言われないよう、私もがんばるしかないわ!」となったと。
謝道韞のきつい性格は欠点とされるどころか、賞賛されていました。
「彼女ってハッキリしているよ、まるであの竹林の七賢みたいな雰囲気があるよね」(『世説新語』「賢媛」)
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そしてそんな謝道韞は、まさしく虞夫人のような振る舞いをしたと記録に残されています。
彼女たちの生きた東晋が斜陽となると、民衆反乱が起きました。
そんな「孫恩の乱」の最中、夫である王凝之と息子たちも殺害されてしまったのです。
これを聞いて、ただ泣いているだけでは済まされない!
謝道韞は侍女が担ぐ輿に乗ると屋敷から出撃し、自ら刀を振るって応戦、数十人を倒したとされます。
奮戦の末に生捕りにされたあとも、外孫をかばい、こう言い返しました。
「この子は外孫で王氏とは無関係です。殺すなら、私のあとにそうしなさい!」
これには孫恩も圧倒され、ついに彼女とその一族には手出しできなかったのでした。
生き延びた謝道韞は、尊敬される女性として余生を過ごすこととなり、死後も賢い女性として名を残したのでした。
困難の中、夫婦ともに戦い抜く。そんな女性が実在したのです。
これほどまでに女性が強い時代となると、女性から受け継ぐ才知も賞賛されます。
虞夫人は落命するものの、その紫電は江澄に伝わりました。息子が父ではなく、母から受け継いでいるのです。
この時代を代表する人物として、書道史に名を残す偉大なる書聖・王羲之がいます。謝道韞にとっては舅にあたります。
彼は幼いころ、衛夫人こと衛鑠に書道の手解きを受けたと伝わります。王羲之を語るうえで、衛夫人が指導する場面は欠かせないのです。
こうした世界観をふまえますと、魏無羨が虞夫人を「気が強い」と評することや、江澄と紫電の継承も理解しやすくなります。
強き母である虞夫人は賞賛され、敬愛されているのです。
できる男は女の才知も愛する
そんな世界観において、下劣とされる男がいます。
金光善です。
好色で片っ端から女性に手出しするところが嫌われますが、もうひとつ、彼がどうしようもない人物とされているとわかる場面があります。
妓女たちと戯れながら、子を宿した孟詩の身請けについて語る場面です。
彼は女は容色だけを愛でるもので、なまじ才能がある女は鬱陶しいと笑い飛ばします。
この言葉を魏晋南北朝時代の人々が聞いたら、視聴者と同じく、呆れ果てることでしょう。
『世説新語』「惑溺」にこんな話があります。
荀粲(じゅんさん、曹操の軍師である荀彧の子)は常々こう言っていました。
「女っていうのはさ、才知よりもなんといっても容色だよ!」
その言葉通り、美貌で名高い曹洪の娘を妻としました。
その妻に贅沢な衣装や家具を整え、彼女を熱愛しました。
妻が熱病に罹ると、外の庭で体を冷やし、彼女に寄り添い熱を下げたほど。
そんな愛妻が亡くなると、ショックのあまり間もなく亡くなってしまったのでした。
妻を一途に愛する感動的な話のようで、この逸話が収録された理由には批判する意図があります。
「荀粲は駄目な男だ。所詮女の見た目だけ愛しているのだから。みんな、こうなってはいかんぞ!」
女の中身を愛さないどころか、あまりに愛して、他にやることもないって?
中身のない奴だ、まったくけしからんな!
家庭を守り、責務を全うするのであれば、愛だけに生きていないで、もっと色々考えるべきだ。
だいたい、相手の容色だけを愛でるなんて、人としてまちがっていないか?
そんな戒めがあります。
容色は加齢によって衰えます。そこだけを愛していれば、冷え切った仲が待ち受けてしまう。
家庭を保つためには、中身もちゃんと愛しなさい。
今にも通じる思想があります。つまり、あの世界観では誰もが中身ごと愛しているのですね……金光善以外は。
あの曹操にも、こんな逸話があります。
曹操は妻の卞氏に耳飾りを持ってきました。上中下、それぞれランクがあります。選ばせて、こう聞いたのです。
「どうしてそれを選んだの?」
ここでもし彼女が「これが一番可愛いから」とか。「この色が好き」とか。そういう答えならば歴史には残らなかったことでしょう。
「上等なものを選べば贅沢が好きだと思われるし。かといってこれみよがしに安物を選ぶと、質素アピールがあざといし。だから無難なこれにしたの」
へえ! と、曹操は感心しました。流石、賢いことを言うなぁ、俺が選んだだけのことはあるよ! そうますます気に入ったのです。
そして賢明で謙虚な卞氏は、武宣皇后となりました。
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この卞氏は歌妓出身とされています。つまりはあの孟詩と同じ。
それでも曹操は彼女の出自を問わず、子を産み育て、当意即妙なことをいう賢さを深く敬愛したのです。
卞氏のことをふまえると、金光善は曹操よりはるかに劣るゲスだとご理解いただけるかと思います。
金光善が孟詩の聡明さまで愛していれば……もっと別の道はあったのかもしれません。
ジェンダー観点からみても新たな発見がある世界観
ジェンダーの観点からみても、この世界観はストレスが溜まらない配慮が行き届いています。
女の幸せは恋愛と結婚だけじゃないんだぞ。
結婚したからといって、夫の言いなりになってばかりではいかんぞ。
才能や義侠心で生きることも大事だぞ。
母親から息子が何かを引き継ぐことだって素晴らしいぞ。
そして、女の見た目だけを愛する男は、ゲスだ!
なんと配慮があることでしょうか。現代にも十分通じます。
これは何もフェミニストだの、中国共産党だの、そうした勢力に目配せをしているわけでもありません。
むしろこれぞ中国の歴史と文学の伝統といえます。魏晋南北朝当時を反映したからこそ、こうなったとも言えるのです。
ディズニー映画に、戦うヒロインであるムーランが登場したのは1998年のこと。それよりもはるか前に、中国文学には戦うヒロインが大勢いました。
そんなジェンダーでも先んじていた東洋の力を、作品を通じて感じ、さらに学んでいくことも楽しいのです。
子どもに字を教えるテキストとして『三字経』というものがあります。それにはこんな文章があります。
蔡文姫(後漢末の女流詩人、蔡琰のこと)は能(よ)く琴を弁じ、謝道蘊は能(よ)く吟詠す。彼の女子すら、且つ聡敏(そうびん)、尓(なんじ)ら男子、当(まさ)に自ら警すべし。
こんなに賢い女性がいるんだぞ。お前たち男だって気を引き締めなさい!
賢い女性は、この世界を動かし、人々を激励してきました。
『陳情令』と『魔道祖師』を、「女向けの軽いやつっしょw」とバカにされたら、作中や歴史上の女性のように、堂々と言い返してください。
この世界には、伝統と歴史がある。
噛み締めるほど教養が身につく!
女向けとされているこの作品だってこんなにスゴイのだから、あなたたちだって気を引き締めなさい!
そんな強気な姿勢を、彼女たちから学ぶことができます。
あなたの才知を恐れ、かわいけりゃいいと言う誰かがいたら、それは幸運なこと。
金光善のような下劣な人間と距離を置けるのならば、才知とはあなたにとって身を守る剣となるのです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
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【参考文献】
井波律子『破壊の女神』(→amazon)
井波律子『中国文章家列伝』(→amazon)
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井波律子『奇人と異才の中国史』(→amazon)
佐藤信弥『戦乱中国の英雄たち』(→amazon)
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