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【金光瑤】
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家父長制に挑む“父殺し”
そんな金光瑤ですが、儒教規範で最も罪深いことをしています。
父を殺す――。
どの文化圏でも悪行とされます。
こと儒教文化圏では究極の悪!
ゆえになかなかフィクションでも扱われなかったものですが、武侠の代表的な『笑傲江湖』で実現されたともいえます。
武侠の世界では、師父とは実父に等しいもの。
この作品の主人公・令狐冲(れいこちゅう)は孤児であり、養子にされているからには意味が重くなります。
それでも令狐冲は、陰謀の限りを尽くした師父・岳不群を手にかけるのです。
画期的な出来事といえます。とはいえ、実父ではない。
そんな『笑傲江湖』発表から半世紀を経て、ついに血を分けた実父殺しにまで到達した。
それが『陳情令』と『魔道祖師』の金光瑤です。
ここで父殺しの理由とされること。それは金光善の好色そのものといえる。
母が私を産んでもどうして放置した!
なぜ貴様は誰彼構わず手を出すのだ!
実父の並外れた好色に怒り、金光瑤は手を下します。
これも実は重要なのです。別の理由、政治的な対立といったものではなく、父の好色そのものを断罪しています。
【家父長制】そのものへの断罪ともいえる。
人間が農耕を行い、財産を蓄えるようになると、どこの文明圏でも女性差別が生じます。
蓄えた食料があれば子を増やすことができる。そうなれば資産を持つ権力者は、女性を財産としてみなすようになる。
父は種であり、母は畑だ。重要なものは種であり、畑はどうあってもよい。ぞんざいに扱ってもよい。
女を縛りつけ、見下すさまざまな規範はかくして生じてゆくのです。
そうやって無責任に、無軌道に”種蒔き“をするとき、そこに傷つくものはいなかったというのか?
そして蒔かれた種から殺意が芽生える。【家父長制】にとっては想定外であり、悪夢そのものといえます。
権力者が好色で何が悪いのだ!
いや、悪いに決まっている。そう返し、父を殺す金光瑤からは、21世紀前半の到達すら感じさせます。
こうした庶子の父殺しは、他の国のフィクションでも増えています。
日本の漫画『ゴールデンカムイ』は、母を狂わせ、そんな母と自分を捨てた父を殺します。
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世界を席巻したドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』では、庶子のラムジーが、実父・ルース・ボルトンを刺殺します。
庶子による父殺しは、いわば社会のゲームチェンジといえます。
社会のルールは変わりました。
男が庶子を儲け、それを艶福家だなんだと誤魔化される。そうしたことに作り笑いをする時代はもう終わった。
そう告げるような展開が、定着しつつあるのでしょう。
殺人はむろん犯罪であり許されないことではあります。
ただ、不誠実な親への反逆はそうではない。儒教はじめ従来の道徳では悪とされてきたけれども、子には子の言い分もあるはずだ。
魏晋南北朝をモチーフとした作品で、行為はともかく動機は理解できると示す。
そんな野心的な悪役であるのが、金光瑤です。
愛を裏切り、愛に滅びる
金光瑤は愛情深い。そして儒教規範に沿っている。それがあの帽子に象徴されています。
あの帽子は母が我が子が被るように願ったもの。そして礼儀作法の象徴といえます。
見栄え重視なのか、『陳情令』と『魔道祖師』では男性の頭部装飾がラフな部類に入ります。時代背景のみならず、発表当時の流行も反映しており、実はなかなか興味深いものがあります。
魏無羨は長い髪をそのまま、まとめもせず垂らす。温寧もそう。
あれはルールを無視しているか、あるいは正気ではないという意味がある。
対極にある金光瑤は、ルールに沿った服装をしています。
金氏らしい煌びやかな服装に、あの几帳面な帽子。そして彼ならではのチャームポイントとして「纓(えい)」をあげます。
冠や帽子がずれないようにつけておく紐。
『陳情令』では冠を被っている人物は多いものの、纓をつけているのは金光瑤くらい。それが彼を縛る象徴のようにも思うと、物悲しいものはあります。
母から受け継いだ才能と礼儀正しさ。父からの血。
それさえあれば彼の願い吐かなかったのかもしれませんが、彼は重大な裏切りをしたためにその身を滅ぼします。
策謀の数々も、もちろん悪い。
のみならず、彼は儒教規範に照らしても、人間としても、最悪のことをしでかしました。
義兄を手にかけ、かけられて
金光瑤は保身のために、次から次へと家族を手にかけてゆきます。
父。異母兄。妻子。
義兄と崇めていた聶明玦殺しから狂ってゆきます。この謀殺から彼の陰謀が発覚するのです。
中国文学史上最も有名な義兄弟といえば、劉備・関羽・張飛の桃園三兄弟でしょう。今でもコメディになるほど、親しまれている場面です。
「我ら三人、生まれし日、時は違えども、兄弟の契りを結びしからには、心を同じくし、助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。同年同月同日に生まれることを得ずとも、同年同月同日に死せん事を願わん!」
義兄弟はこう天地に誓うもの。
劉備は義弟たちが命を落とすことによって、正気を失うかのような怒りにかられます。
一方、金光瑤はその大切な絆を裏切ってしまう。義をともに誓った義兄を手にかけてしまう。そして不幸のどん底へと転がり落ちてゆきます。
ありとあらゆる愛を裏切ってきた金光瑤。彼の破滅を決定づけるのは、義兄への裏切りでした。
それでも二兄である藍曦臣は、彼を愛する義弟だと信じようとします。そして「阿瑤!」と呼びかけ続けます。
最期のときまで二兄こと藍曦臣は優しい。そんな藍曦臣の手にかかるからことこそ、最も残酷な仕打ちと言えました。
もしも金光瑤が、愛を全部捨て去り、己の利益だけを追い求めていたら、そこまで辛くはない。負けたと割り切れたかもしれない。
しかしなまじ二兄こと藍曦臣と信頼していたこそ、そこには究極の不幸がありました。
策士として策に溺れるだけではなく、義兄への愛にも溺れる惨い最期でした。
愛を捨てきれないからこそ、金光瑤の死は見るものの胸を打ちます。
金光善が到達できなかった境地に、彼はたどりついていたともいえるのです。
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