さまざまな困難を乗り越え、幸福となった者もいる中、不幸にして落命した者もいる。
それが『陳情令』と『魔道祖師』の結末です。
悪事について思えば、ハッピーエンドはあり得ない。
しかし、笑顔が見たかったとも思わされてしまう……それが金光瑤という人物です。
なぜだろう? なぜ、彼は幸せになれなかったのか?
不幸の根源を辿ってみましょう。
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魏晋南北朝――それは“血族ガチャ”地獄
『陳情令』と『魔道祖師』は、明確に時代設定がなされておりません。
ただし、思想背景やさまざまな要素から、だいたいその時代をモチーフとしていると推定できる点が多いことは確かです。
・椅子と床に座る状態が混在しており、床に座ることが多い
→椅子が定番となる時代は宋
・仏教がまだそこまで大きな力を持っていない
→これより後の時代だと、少林寺のような強大な仏門がおなじみの存在として立ち塞がる
・竹簡と紙が混在している
・「清談」という言葉は魏晋時代に用いられていた
・「東瀛(とうえい)」という東にある地名
→日本をさし、遣隋使が派遣されるようになった後には、もっと明瞭なイメージが形成される
そして最大のものが、この時代にあった価値観や思想が反映されているということです。
作品のモチーフとみなせる『笑傲江湖』の場合、明代が舞台となります。
あの作品で対立する勢力は「門派」であり、血縁関係による結びつきはそこまで濃くはありません。
同じ武芸の流派あるいは宗教、思想等によって団結しています。
◆ 『陳情令』と『魔道祖師』の五大世家は、地名+姓氏。血縁関係がわかりやすい
例:雲夢江氏の魏無羨。この時点で、彼は一族の血縁者ではないとわかります
◆『笑傲江湖』の場合、五岳剣派は流派名のみであり、血縁はそこまで問われない
例:崋山派の令狐冲。こう書かれていても、彼が流派の血族の中でどういった位置付けなのかわかりません
こうした身分制度は、中国が時代によって異なる人材制度を用いていたことを反映していると考えられます。
そのことが、人によっては呪縛となって立ち塞がるのです。
魏晋南北朝時代は、門閥貴族制がありました。当時は「九品官人法」という人材登用制度があり、血筋を重要視したのです。
その制度の欠陥は、こんな言葉に残されています。
上品に寒門なく、下品に勢族なし。
上流には貧しい者はいないし、下流に生まれたら有力者として成り上がることなどできない。
当時の貴族のボンボンときたら、酷い有様でした。
顔之推『顔氏家訓』「勉学」では、当時の様子がこう嘆かれています。
車から落ちなければ著作郎。手紙に挨拶を書ければ秘書郎になれる。そんなふうに世間じゃあ言ってますよ!
着物にはプンプンするほど香を焚き込め、顔はツルツルに剃り上げて、白粉つけて口紅塗って。チャラチャラした車に乗って、高いヒールのついたサンダルを履くわ。
試験では平然とカンニングするわ。詩も盗作する始末!
中国ではメンズメイクは一般的ではないものの、例外だった時代があります。それがこの時代です。
髭も中国では伸ばすことが伝統的。宦官と区別するためにも、ある程度歳を取れば伸ばし、綺麗に手入れをするものでした。
それなのにこの時代は例外。
いい歳こいてまで、髭をツルツルに剃っているって、お前ら一体どういうことなんだよ!
そう顔之推はお怒りのご様子であると。
これぞ魏晋南北朝――男性が最も美しかったと評される時代です。
イケメンが多いだけならまだ無害とはいえる。問題は身なりばなりに気を使い、中身を磨かないことですね。
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そもそも人間の価値は中身ですべき、そんな建前が崩壊しきっていました。
魏無羨は金子軒に対して「孔雀め!」と憎々しげに吐き捨てます。それは魏晋南北朝貴族ボンボンへの目線に通じるものもあると思えるのです。
まさに当時は“血族ガチャ”、生まれついての要素で人生が決まってしまう。苦しみが満ち、かつ堕落がはびこりつつありました。
王朝交替があまりに頻繁であり、血族同士が一致団結しなければ血筋を残せない。危険性がつきまとっていました。
血縁者を重んじ、名家同士が婚姻関係を結ぶ一方、潜在的に危険な一族は排除する。処世術が何よりも求められたのが、この時代です。
そんな時代に、卑しい母から生まれた金光瑤は、どれほど悔し涙を飲まされてきたことか……。
彼が甥である金凌を見つめる目線も、どうしたって考えてしまいます。
父も、母も、名門出身である。この甥と自分とは、どこで差がついたのか?
生まれた瞬間です。
中国文学は、時代背景の問題点を指摘してこそ
ファンタジーだろうが。武侠だろうが。エンタメには時代の問題を反映させてこそ役立つのだ。
そんな願いを中国の作家たちは抱えていました。
血族によって人材を抜擢する「九品官人法」は隋に廃止されました。
それより後世は科挙が人材登用制度となります。
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実力さえあればのしあがれるという価値観が生じると、そのことが武侠ものの時代背景にも反映されます。
荒唐無稽なチャンバラのようで、歴史上にあった権力闘争を反映させているのです。
かくして科挙の時代以降が舞台となると、こうなります。
「すごい奥義さえあれば俺も強くなれるぞ!」
科挙合格=奥義書を得た!
中でも地獄のような奥義争奪戦が繰り広げられるのが『笑傲江湖』です。
この作品の時代背景として、宦官が猛威を振るった明代があります。まっとうに科挙突破を狙うより、自宮というチートを使った方が出世できます。
なんとこの世界観では、最強の奥義は去勢しなければ使いこなせない!
習得すれば武林(武侠ものの“天下”)を取れるが、それは自宮と引き換えだ……さあどうする?
「奥義のために俺は男を捨てるぞーッ!」
「なにッ、人として大事なものを失ってまで力が欲しいのか!」
そうなってしまい、あいつもこいつも大事なものを切り落とす。そんなおそるべき修羅場が待ち受けています。
これは何もただのゲテモノ趣味ゆえのことではありません。
「おおっ、明代の弊害をよく表しているなぁ」
こうなります。
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さらには作品発表当時の文化大革命への目線も反映されています。
友情や信頼を犠牲にしてまで権力を得る。
それって人間としてどうなのか? そう問いかけています。
さて、ここまで踏まえていかがでしょうか?
魏晋南北朝の理不尽のみならず、あの世界観に現実への嘆きもあるとすれば何でしょう?
華流とは実に深淵な世界です。
それでも彼は、儒教規範を選んだ
とはいえ、金光瑤には選択肢があった。
彼とは別の道を、魏無羨が示しています。魏無羨だって「下僕の子だ!」とさんざん馬鹿にされています。
しかも母である蔵色散人が、若い頃に江楓眠とよい仲であったと噂されていた。そのせいで、江楓眠の妻である虞夫人から厳しい言葉を投げかけられます。
魏無羨自身に責任がないことでつらくあたられる。
それでも、魏無羨には彼を庇う人がいました。江楓眠も、江厭離も、彼を庇うために立ち上がります。魏無羨が生まれを馬鹿にされても飄々としていられるのは、周囲の助けもあるのです。
飄々とした性格。
そして周囲の優しさ。
この二点が運命を分けたのでしょう。
金光瑤の言動は、自分を拒んだ規範の中で成り上がるために駆使されます。
孟瑤という名前を捨てて、金氏に認められ、甥の補佐をする。名門と義兄弟の契りを結ぶ。
彼はルールの中でこそ輝く性格の持ち主でした。ルールを破って自由を求める魏無羨とは異なるのです。
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