青天を衝け感想あらすじ

青天を衝け第40回 感想あらすじレビュー「栄一、海を越えて」

青天を衝け第40回感想あらすじレビュー

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青天を衝け感想あらすじレビュー

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日本はますます帝国主義に傾いていきました。

そのことを反省しているような渋沢栄一

渾身のロンダリング技術で「渋沢栄一は帝国主義に反対だったのか!」と刷り込んでいるわけですね。

それならば加齢所作をしても良いとは思いますが、髪は依然としてまだ黒く、口調はハキハキとしている。

文化祭ももう終わりだとは思います。

杖をつくようになりましたが、あんまり動作を鍛えていないのか、不自然です。しかもこの杖、忘れているようでもあり、ほぼ使いません。

 

実業界からの引退表明

明治42年(1909)6月――渋沢栄一は、第一国立銀行以外の役員を辞任し、実業界から引退すると表明しました。

今後は、民間外交に力を注いでいく予定とのこと。

伊藤博文と対面して、そのことを話すわけですが。

朝鮮半島を近代化させてやると言いたげな伊藤が出てきます。

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政治外交の筋書きはさておき、最後までこういう対話場面がどうにもしっくり来ないのは、椅子の座り方一つとっても行儀がよろしくないからでしょう。

栄一は前のめりに座っておりますが、彼の年齢ならば、どっしり背もたれにもたれかかるぐらいが丁度よいはず。とても明治の大物老人には見えません。

そんな栄一は、自身の間違いに気がついたそうです。

尊王攘夷から足を洗ったはずが、つい最近までどこか変わらぬ思想でいた、傲慢で自分勝手だったと自己反省をします。

反省をすれば全てチャラ、と言わんばかりのアリバイ的言い訳が続きます。

傲慢さとは、どこから来ていたのか?

列強に侵略されたらどうしよう! という怯えだったようです。

しかし、イギリスにせよ、フランスにせよ、アメリカにせよ、侵略という話はどこまで本気だったのでしょう。

植民地経営はつまるところカネですから、日本を支配下におくより、武器を売ったり貿易をしたほうが儲かったのであれば、わざわざ極東の地まで来て、自国の軍事力も摩耗する意味はあるのでしょうか。

明治以降、日本の外交や戦争について批判があると、非常にこの論調が多いものです。

「黒船が砲艦外交してきたんだ! だから自衛なんだ!」

自衛論ですね。

明治以降の日本外交の根底には、吉田松陰の『幽囚録』がありました。

その思想を辿っていくと後期水戸学にたどり着く。日本でそうした思想が形成されていった時期は、確かに英米の捕鯨船やロシアの南下に対する警戒心がありました。

だからといって、明治以降の日本の対外政策が免罪されるのか?

日本ではともかく、世界レベルでは通用しません。どうせ大河は日本でしか放送されないからと思って、こうした脚本になっているのでしょう。

栄一は、アメリカで排日運動が高まっていると言い出し、民間外交でなんとかすると宣言します。

伊藤も、栄一は喋り上手で嘘をつかない、戦の匂いがしないから大丈夫だそうです。

外交ってそんな簡単なんでしょうか。

私としては渋沢栄一ほど平然と嘘をつく大河主人公はそうそういないと思います。

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というか、外交担当者が嘘の一つもつけず、海千山千の諸外国相手にどう対処するのでしょう。

こんなリアリティゼロの綺麗事ばかりで塗り固められているから、結局のところ文化祭ドラマなんですよ。弛緩しきって緊張感ゼロです。

 

アメリカ横断

雑なVFXでアメリカ横断がスタート。

一瞬、昭和おじさんの好きな『ウルトラクイズ』かと思い、あの日テレアナウンサーの姿が頭に浮かんできてしまいました。

栄一はアメリカの商業会議所の招待に応じて、視察団の団長として渡米していました。

ナレーションで全てを進め、やっとこさ列車内が映るのですが、予算の都合を感じてしまい切なくなります。

列車内だけで話を展開すれば、削減できますもんね。立派な演説なんて金が許すわけもない。

ここで随行した高梨幸子はよいかもしれません。結髪がまともなだけで随分と真っ当に見えます。

悲しくなるのは、車窓から見えるアメリカの景色です。こちらも予算不足のせいか、VFXがお粗末。比較するのもどうかとは思いますが、どうしてここまでVOD作品と差をつけられるのか……。

栄一は使節団をまとめ、全米都市や商業施設を見学したそうです。

せっかく栄一の見どころである場面なのに、写真だけでどんどん処理していくコスパ動画が続きます。

処理が荒い写真、揺れがほとんどない列車。唯一の救いは兼子だけです。ちゃんと加齢ができていて、発声も綺麗なんですよね。

微動だにしない列車の中で、揺れてびっくりする栄一にはなんだか感動してしまいました。

あと、やたらと出てくる通訳さんはなんなのか。扱いが妙なんですよね。脚本も演出も「この売り出し中の役者を見て!」と主張するようなくどさを感じます。

過去の放送で、栄一が英語を理解していたシーンとの整合性もいまいちズレてくる。

ドヤ顔の栄一が、排日について聞きます。

いかにもアメリカ人が狭量なように語りますが、これは政府も悪い。

それに、どれだけ排日運動が過激化しても、栄一や伊藤博文のように、殺人や焼き討ちまではそうそうしないでしょう。

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『青天を衝け』のようにテロ青春を賛美するドラマなんて、本作独自のセンスですし。

ここで栄一はタフト大統領とも会見を果たすのですが、ドンキホーテで買った感のある小道具が気になって仕方ない。

特に考証がおかしいのは花ですね。

しかもタフトまでもクズ!

唐突に女性を褒め出す。女性が表に出るという。レディーファーストを押し出す。

なぜ、このドラマの女性進出は、宴会に侍ることばかりなのでしょうか。たしかに当時はまだ意識が低いだろうけれども、おかしいんですよ。

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同じお札の顔の津田梅子に失笑されますよ。

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彼女ら女子留学生は、米国で容姿ではなく知性を誉められていました。

こんな描き方では、タフトにも失礼です。

挙句の果てに

「ニッポンバンザイ!」

って……やめてー!

見ている方が恥ずかしくなって画面を消したくなる万歳三唱。このドラマって「バンザイ!」しか繁栄を祝う言葉がありません。

徳川万歳。日本万歳。本当にワンパターンで視聴者をバカにしているとすら思えてきます。

 

伊藤博文暗殺

栄一はまたも狭苦しい列車で、兼子に茶を運ばせながら、偉そうに何か語っています。

彼が自分で茶を淹れるぐらいの気遣いがあれば、まだマシなんですけどね。

自分に酔いしれ、綺麗事ばかりを並べる人物から何を学べというのでしょうか。夫の戯言を聞いている兼子の美しさ、それだけは真実です。

というか、こんな時間稼ぎのために、40回放送と最終回を延長する理由がわかりません。

そして、このダラダラ旅の途中に、栄一は伊藤博文暗殺の報を聞き、衝撃を受けます。

「間違いだ! 何かの間違いに違いない!」

この驚き方もワンパターンです。

それより驚いたのは、その直後にマスコミ各社が栄一のコメントを取るため、まるで瞬間移動したかのように湧いてくることです。

しかも通訳なしに、栄一は日本語でコメントを一人でぶつぶついう。

ん? 伊藤に話しかけているんですか? 今週もスピリチュアルだ。

何より制作側は、こんな動揺をする人がいると本気で思っているのでしょうか。どこかに観客がいるとわかった上での言動じゃないですか。

まぁ、今週も誰かのロス狙いですね。とにかく誰かを死なせて、それっぽいBGMかけて、登場人物にアタフタさせる。人の死が数字に消費されて、もう本当にウンザリです。

しかもこのあと、マスコミ各社は消えて、あの目立つ通訳さんだけが何かしゃべっている。栄一はむすっとしたまま。

気になるのは、横顔の顎のラインですかね。

栄一は明治村感のあるホールでスピーチをします。

この会場って、以前の演説でも使われていませんでした?

しかも栄一の演説が……まるで上達していない……安西先生も嘆くレベルで、本当に高校生が文化祭終了の挨拶をしているように思えます。

まぁ、それで丁度よいかもしれません。なんせスピーチ内容も高校生レベルです。

「ズッ友宣言していた友人が死んだよ! 人生で色々な人が死んだよ!」

そして、怒涛の回想シーン。

時間稼ぎなのか、ロス煽りなのか。

つくづく死に方がおかしいドラマだったとしみじみ考えてしまいます。

スピーチは続きます。

「お互いを知り合えたら憎しみなんか生まれないよ! 考え方の違いを理解しようとしなかったんだよ! わかりあえれば悲劇なんかないよね! 日本人を排除する西海岸もひどいや! でも親切にされて学んだもん! ペリーもハリスの頃よりズッ友になったよね! 愛だよ愛だよ愛だよぉ!」

栄一くん、個人的な体験を一般化するのはいかがなものでしょう。

そして

「日本には己の欲せざるところ、人に施すなかれという忠恕の教えが広く知れ渡っているんだよ! 互いが手に手を取りあえがきっといい世の中になるよ! その心情を広げよう!」

最終回だからがんばって『論語』の有名な一節を入れてきました。

ところが……最後のセリフがマヌケ過ぎて涙……。

「ノーウォー! ノーウォー!」

これには全米が泣いた……ワケないでしょ。

そりゃ礼儀として感動したと示すことはあるでしょうけど、心の底から受け取るかどうかは別。

それに渋沢栄一は、先人が語り継いできた儒教の教えを、まるで自分のもののように簒奪することは控えて欲しい。

あらためて幼稚なスピーチでした。

内容も、演技も、演出も。何もかもが文化祭です。

兼子はじめ周囲の反応がいいから、なんとか見られる印象ですが、どうせSNSやニュースで「今も通じるよね!」と飛び交うのでしょう。

 

成一郎は加齢表現も上手なのに……

栄一は兼子に肩を揉ませつつ、通じたかどうかとかブツクサ言っています。

相変わらず揺れない列車。本当に動いているのでしょうか。

途中、駅に到着すると、日本人の移民親子が唐突に出てきました。

本作は、最初から最後までセキュリティ意識がゼロですね。こんなにホイホイと見知らぬ誰かが近寄れたら危険で仕方ない。

伊藤博文が暗殺されたばかりでは?

排日運動に警戒しているのでは?

そもそも、この移民はなぜ栄一の列車や車両が特定できたのですか?

本当に手抜きすぎる作品で泣きたくなる。

こんなもん、予算の問題ではなく脚本に難がありすぎるのです。

そのころ日本では成一郎が敬三に何やら話しかけていました。

実は、孫の渋沢敬三の方が学べることは多い。栄一や篤二に比べて、立派な人物です。

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そんな敬三なのに、肝心な昆虫採集の所作がなんだかおかしいんですよね。

バカ息子の篤二がその姿を見ていますが、敬三の父というより兄にしか見えません。

まぁ、それをいうなら栄一もそうですね。三世代ではなく三兄弟。

そしてまた徳川慶喜と来たもんだ。

慶喜に頼らないと人気が出ないドラマなので、初回から最終回まで出ずっぱりなのでしょう。

明治44年(1911年)、篤二が妻子を置いて家を出て、スクープされました。

玉蝶という芸者にひっかかったそうです。渋沢の事績である経済関連はとことん削られ、最終回直前までバカ息子騒動をやるんですから、ワケがわかりません。

うたのキンキンした声と雑な和装所作も、結局、改善せず。

そして、篤二は廃嫡。

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篤二の廃嫡については、栄一の決定というより、渋沢家の女性たちの声が反映されていた。彼女らが激怒したから、栄一も篤二をかばえなかったのでは?

まぁ、すべては栄一のゆるすぎる下半身が諸悪の根源にも思えてきます。

唯一の救いは、ここでも大島優子さんですね。白くスッと伸びた兼子の首がしみじみと美しい。値千金、時代劇のために作られたのような素晴らしさですから、なるべく早く、次の大河に戻れるよう、祈るばかりです。

このあと再び敬三と成一郎タイム。

渋沢成一郎は白髪もあり、歩き方も、発声も、ちゃんと加齢ができていてうまいんですよね。

高良健吾さんは本当によい役者だと思います。

なぜこんな素晴らしい役者が『花燃ゆ』と、この大河に出ているのだろう……哀しすぎる。

素晴らしい大河にまた戻ってきて欲しい。捲土重来です!

そもそも史実の渋沢成一郎にしたって、彰義隊を率いた人物で見どころ十分でした。

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客寄せに土方歳三を登場させるのではなく、成一郎を中心に函館まで描いていたら、このドラマにも存在意義は見出せたでしょう。

本作の男性部門No.1の役者を選ぶのであれば、間違いなく彼に一票を投じます。

問題はそれを描く制作側。なぜ活かしきれなかったのか……無念です。

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