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【青天を衝け第40回感想あらすじレビュー】
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慶喜の自己弁護トーク
明治45年(1912年)、明治天皇が崩御し、時代は大正となります。
明治天皇崩御のあとの乃木希典夫妻の殉死を描かない作品か。明治も遠くなりにけり、ですね。
栄一は中国に行きたいと言い出します。
ここでも中国の人とハートフル交流だけを言っているあたりが浅い。
本当に『論語』が好きなら、曲阜(孔子の生地)に行きたいとでも言えばいいのに、まあ、儒教のことなんてスッカリ忘れた作品だから仕方ないですね。
そしてしつこく深谷アピールです。
序盤で舞台だった深谷のことぐらい、流石に制作サイドも真面目に学んだので、しつこく出すのでしょう。
成一郎と比べると栄一は動きがきびきびして老人に見えず、なんなら死すら克服しそう。時代からして鬼舞辻無惨仕様ですね。
そんな成一郎も享年77で亡くなりました。
大正2年(1913年)、慶喜は死を前にして、原稿に修正を加えています。
やけに白い紙。アスクルで買って業務用ページプリンターで印刷かけた、そんな風情が漂っています。
時間ギリギリで小道具担当者も泣きながら作ったのかもしれない。あまり厳しいことを指摘するのはやめておきましょう(言ってますけど)。
慶喜は昔話を始めます。
彼は都合の悪いことについては「ん? そんなことあったっけな」とシラを切っていたはずなのに、記憶力いいですね。
そして再び栄一の回想場面が入りますが……。
結局、この栄一って序盤から最後まで、発声が同じでした。回想シーンとまるで変わり映えがしない。撮影スタッフもプロですから、その点、気づいてないワケがないですよね。
そして慶喜はまた、自己弁護トークを感動的なBGMとともにするのです。
後述しますが、これが全部嘘だと大々的に知れ渡りつつあるんですよね。
慶喜が「生きていて楽しかった」と言われたところで、それはそうだとしか言いようがない。
女中と子作りし、自転車で畑を荒らし、趣味に生きる。
職を奪われ餓死する幕臣のことも、家を追い出された奥羽越列藩同盟の苦悩も、屯田兵のことも全部どうでもよくて、ぬくぬくと生きる。
駿府(静岡)は温暖な気候で、東海道沿いだから適度に都会で、暮らしやすい場所ですしね。
ここで回想シーンが入り、慶喜は馬に乗っています。
回想のたびに思うのは、高良健吾さんの演じ分けの巧みさと、吉沢亮さんの顔のライン変化ですね。
そしてこう叫ぶ慶喜。
「快なり! 快なり! 快なり!」
結局、またこれか……。バンザイ三唱といい、本当に何かを叫ぶのが好きなドラマです。
そりゃデ・アール大隈も怒りますよ
栄一のもとへ、中国から孫文が訪ねてきました。
なんだか中国語の発声も妙に聞こえます。
孫文も、革命資金が必要なので、渋沢栄一にも愛想よくはするでしょう。ただ、それを針小棒大に扱う理由がわかったようでわからない。
ハッキリ言えば、渋沢栄一が助言を求めるに値するほど賢く見えないのが辛い。
だってここでも「経済人になってみたら?」とか言いだすんだから……。
相手の立場など考えず、自分の成功談からしか物を語らないって、要は「オレもこれでうまくいったから、お前もやれよ」と後輩に仕事を手伝わせようとする地方のマイルドヤンキーみたいじゃないですか。
結局、孫文は内戦に巻き込まれます。
そんな孫文に謝らせるようなことまでさせていますが、彼が浅はかだから内戦を回避できなかったとでも言いたいのでしょうか。
大正3年(1914年)――ヨーロッパで、第一次世界大戦が勃発しました。
首相のデ・アール大隈重信が、栄一ら経済人に対し、日本の参戦に協力を求めます。最後までわざとらしく「であーる」を連呼します。
デ・アール大隈は加齢演技をしているのに対し、やっぱり栄一は若い。
「戦争のたびに民は苦しんでいるし経済も打撃を受ける!」
と反戦を訴えます。
何を今さら子供じみたことを言っているのか。本作は、やはり最後の最後まで「手柄は全部自分のおかげ、悪いの他人のせい」と言いたいようなスタンスですね。
そりゃデ・アール大隈も怒りますよ。
日清戦争で賠償金をせしめ、ゲスい笑みを浮かべていたことを思い出すと、一体何なのかと言いたくもなるでしょう。
とにかく言動不一致。
それにお金を儲けたいなら、むしろ戦争は大事でしょ。
明治時代の政治家は、ともかく戦争産業とベッタリ密着しています。金を儲けたいなら、戦争は欠かせなかったのです。
国防と大義名分をかざせるし、世論に危機感を煽れば動かしやすくなる。
何より動く金の桁が違う。軍事産業に一枚噛むだけでだけで、金はたんまり儲かります。
あんなに金儲け金儲け金儲けばかりを言い募る渋沢栄一が、戦争から金の臭いを嗅ぎつけないなんてありえるのか。
民衆を隠れ蓑にしていますが、儲からないからやりたくないだけではありませんか?
孫文には「経済人になれ(金儲けすりゃいいじゃん)」と言ってたばかりなのに。
結局、日本は第一次世界大戦に参戦。
中国大陸や南西諸島にまで勢力を広げたせいで、欧米諸国に警戒されるようになったと説明されます。
であーるでーあるであーると、三白眼栄一。大正時代なのに日本政府はきっと愚かだったとしか思えない、しょうもない場面でした。
井上馨も雄々しく叫んでいます。
こんなわざとらしく新聞を読む奴がいるかよ……と呆れていたら、倒れて死ぬ。
もう、本当に何なんですか。現実にこんな死に方ある?
本作って「しょうもない死に方コレクション」かと思うほど無茶苦茶なシーンの連続でした。
孫の渋沢敬三のもとへ栄一がやってきます。
こうして袴をつけていると、七五三みたいですね。高校卒業おめでとうございます。
いや、自分の跡継ぎ問題ですね。
理科へ進みたい渋沢敬三をなだめすかし、命令ではないと言いつつも、外堀を埋めるように、逃げ場がないように「法科へ進め」と迫る栄一です。
なぜ渋沢敬三は大富豪・栄一の後継者となったのに“絶望”の涙を流したのか
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ここで中国進出とシベリア出兵が語られます。
栄一は「アメリカや中国が日本は軍国主義だ」と言い出したと愚痴愚痴。
来週は流石に出すようですが、中国大陸とぼかさず「満洲」と言わないのはなぜでしょう。
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そして今週も徳川家康だ……。
慶喜を褒め始めました。よくぞ生き抜いた、と、わけのわからん不気味なシーツ状態の中で語っています。
このパフォーマンスも、回を追うごとに背景が雑になってませんか?
最後まで文化祭でしたね。
総評
本作が終始一貫していたことはあります。
◆経歴事績のロンダリング
最初から最後まで「でもでもだって! 渋沢栄一と徳川慶喜は悪くないもん!」とネチネチぐちぐちしていた。そんな印象です。
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さきほど「孫文を出す理由がわからない」と言いましたが、うっすらと感じることはあります。
朝鮮半島にせよ、中国大陸にせよ。渋沢栄一を恩人であるかのように扱っていました。
まるで当てつけのようです。日本は渋沢栄一という大正義が親切にしてやったのに、恩知らずだと言いたげに思えるのです。
こういう特定の国を貶めたい人からすれば納得の展開かもしれませんが、2021年末にまでなって、こんなことを流す大河ドラマって一体何なんでしょう。
◆悪いのは誰かのせい・手柄は全部自分のおかげ
ロンダリングをしながら、自分は悪くないもん、悪いのは誰かのせいだもんと言い出す。
大隈重信が戦争を望んでいるから仕方なく……という誘導があり、こうした表現も終始一貫していましたね。
私がドラマを学ぶため手にした書籍でも、そんな趣旨の表現がありました。
渋沢栄一が、アジア・太平洋戦争における過程で無罪であったとは到底思えません。これは渋沢敬三にも通じるはずの思いでしょう。
それなのに、渋沢栄一をやたらと甘ったるい言葉で褒める書籍には、渋沢さえ生きていたらあの戦争は回避できたはずだと言いたげなことが並べてある。
何を根拠にそう言っているのか。大河の主人公だったら、どんな風に描いても自由だというのでしょうか。
◆気持ちよさばかりを求める
慶喜の「快なり!」連呼は本当に恥ずかしくて見ていられず、なぜだか自分を殴りたくなるほどでした。
今週も共感性羞恥心を大いに刺激されたのです。
しかし、これでいいんでしょうか?
最後の最後まで「チョー気持ちいい!(快なり)」が決め台詞ですよ。
結局この人って、自分が気持ち良くなることしか考えられない。誰かの苦しみなんて想像すらできない。『三国志』の劉禅すらマシに思えるほど、暗愚の極みに描かれています。
慶喜をとにかく悪く描け、と言いたいのではありません。徳川慶喜の数少ない長所である「聡明さ」すら消えていたのが悲しいのです。
判断基準が「気持ちいいor悪い」しかない人物に描いたため、命を賭けた幕臣たちも哀れな存在となってしまいました。
でも、なぜ、こんな人物像になったのか?
脚本家のインタビュー記事に答えがありました。
そこでもやはり「おかしれぇ」「ぐるぐるする」と言っているのです。
要は、人物像の造形も、ご自身の経験やフィーリングをベースに作っていたんですね。だから、本作の人物は、誰も彼もがノリと娯楽性だけで生きていた。
しかし、それを歴史劇の大河ドラマで、やってしまっていいのでしょうか。
私がしつこく文化祭だ、と指摘しているのは、そういう雑な作り方からです。
「焼きそばいくらにする? 250円?」
「半端じゃね? そこは300円っしょ、ふつー」
「マジで?おかしれぇじゃんw」
「ねーねーちょっとぉ、お化け屋敷行かない?」
「おー! ぐるぐるするから楽しみだな!」
とまぁ、脚本家のフィーリングに沿ったどうでもいい会話が一年間ベチャベチャ続き、痺れるような駆け引き、大人の会話はついにありませんでした。
今週だって、列車がろくに揺れることもなく、杜撰で手抜きな作品としか思えません。
特に『鎌倉殿の13人』の情報が解禁され、三谷さんの歴史への情熱を感じるにつれ、今年のいい加減な作り方に腹立たしさが止まらない。
難しいことは何も言ってません。
プロにはプロの、大人には大人の仕事をして欲しいだけです。
本物の高校生が文化祭ではしゃいでいるのならば、そこまで咎めることなどありません。
「これがプロの味!」という触れ込みのレストランだったのに、ゴムのようなパサパサした焼きソバを出されたから、怒りが湧いてくるのです。
黄禍論
今週のバカげた台詞の中でも、とりわけ恥ずかしくてたまらなかったのがコチラ。
「みんながわかりあえたら大丈夫なのぉ!」
確かにその通りなのです。人と人の交流でヘイトは減らせる。
しかし、そんなことで解決できないから、未だに世界中で差別が問題になっているのでしょう。
大河という作品である以上、単なる理想論や性善説を掲げた陳腐な言葉ではなく、一歩一歩進んでいくような具体性のある対策を掲げてください。
小学生やディズニーランドが「世界は一つ」というのはワケが違うのです。
アメリカ西海岸で日系人移民が増え、排日運動が巻き起こっている。そんな説明がありましたが、あまりに雑で緩い表現です。
実際は明治政府の失策が関係しています。
富国強兵――歴史の授業でも慣れ親しんだこの四字熟語の後半部、つまり強兵を重視した明治政府は、国民が結婚し、子を持つように奨励しました。
江戸時代まで、次男以下となれば結婚できないことも多く、そんな状況を変えようとしたのです。
子孫繁栄という観点から考えると、良い話のようで、現実問題、ことはそう単純ではありません。
子供は養育費がなければどうにもなりません。
結果的に育てきれない赤ん坊も増える。
少年漫画の『鬼滅の刃』では、その設定が反映されていました。
あの作品では、虐待されて売りとばされる幼い子ども、寺に捨てられる子どもがでてきます。それだけ子どもの命を気にしていられない。当時ならではの事情が反映されているのです。
生まれた子どもが育てばどうなるか。
人口は増え、それに応じた経済力や新規開発が必要になる。
しかし、需要と供給が噛み合わず、日本で暮らせないとなると、移民でもさせるしかない。
中国系の場合、苦力(クーリー)という奴隷としてアメリカに連行された人が多かったものですが、日本の場合は違います。
国策としての移民です。
とりわけ、ブラジル移住の場合は、国を挙げて嘘をついたものだからタチが悪い。
ブラジルにいけば土地があるよ! 狭い日本にいるよりいいよ!
そう誘っておいて、たどり着いた先は荒地でした。
地球の裏側まで来たら帰るわけにもいかない。日系人の苦悩はかくして始まるのです。
例えば漫画原作のドラマ『その女、ジルバ』(→amazon)では、日系移民の苦労が描かれていました。
南米だけではありません。満洲、台湾、朝鮮半島、樺太、東南アジア……日本は領土を拡大し、移民を推進します。
では日本では人が余っていたんだな、と思われるかもしれませんが、それも単純に言い切れません。
これは日本だけでなく世界中で見られた傾向ですが、低賃金でキツい仕事をする安い労働力が求められ、海外から日本へ移り住む人たちもいました。
要するに日本から出入りする人が多かったのです。
その根本を見ていけば、経済に行き着くことは当然です。
養いきれない日本人は移民してください。低賃金労働をこなすために、海外から移住してきてください。
全ては経済のため、これぞ資本主義――そうなることは当然であって、その「資本主義の父」が何を言ったところで虚しいだけです。
ちなみにアメリカでは、日系人の差別を認め、謝罪し、かつ顕彰するようになりました。今年もその象徴的な出来事がありました。
◆米海軍 駆逐艦「ダニエル・イノウエ」就役 日系人の名前は初(→link)
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