こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【青天を衝け第40回感想あらすじレビュー】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
世襲制度に怒っていた自分が世襲をする
ときは19世紀、ナポレオンが皇帝に即位すると、隣のイギリスは皮肉って散々バカにしました。
「世襲の王は嫌だと大騒ぎして、世襲の皇帝はアリなのかよ! わけがわからんな、お前ら何してんの?」
確かにフランス革命のことを踏まえますと、イギリスの皮肉もわからなくはない。
そしてこれは渋沢栄一にも当てはまるのですね。
彼は青年期、武士だからと身分で自分を差別するから幕府はダメだと激怒しておりました。
明治維新で、そんな世の中は終わりましたか?
海軍は薩摩。
陸軍は長州。
そう言われ、長州出身だと名前が書ければ陸軍で出世できると皮肉られたほどです。
反面、佐幕藩出身者には分厚い壁が立ち塞がりました。
現代の日本でも、山口県と鹿児島県は、自県出身の首相が多いと自慢されます。
それはただ単に、藩閥政治がゆるやかに継続しているだけではありませんか?
渋沢栄一も結局実力ではなく、長州に食い込んだからでしょう。大河の主役になるのは、お札の顔だからですよね。
そう問われると本作のスタッフは苦しい言い訳をしておりましたが、そこを突っ込むジャーナリズムすら存在しないのですから嘆かわしい。
伊藤博文暗殺への反応
本作は共感を重視していると思えます。
幕末明治人のメンタリティを無理矢理現代に近づけることで、「わかりみ〜」という投稿を狙う。そんな手法ですね。
といっても厳密に考えれば現代人とも言い切れない。20代以下は範囲外でしょうね。というか、そもそも彼らは大河なんぞ見ていない。
今回の大河スタッフが狙った層は、Twitterを使い、スマホを所有して、ハッシュタグで感想を書く年代。
最低でも30代、コアゾーンは40代以上でしょう。特に恋愛描写が昭和平成に青春を送ったような雰囲気でした。
だからファン向けの記事には「キターーーーッ!」と書かれてしまうのでしょう。
しかし20代だろうが、40代だろうが、現代と明治人では、まるでメンタリティが違います。
伊藤博文の暗殺にショックを受けた栄一は、アメリカで訴えていました。あの表現は、まるで明治時代の日本人も、同時代のアメリカ人も、人類普遍の同情心が湧き上がると言いたげな描写です。
これが大間違い。
明治の元勲たちが言うとすれば、こういったところ。
「いいなぁ。暗殺されたことで、歴史に名を残せるんだなあ」
「暗殺されるなんて最高の人生の終わり方だね!」
夏目漱石『門』でもそんな会話がありました。
この作品では、主人公・宗助が暗殺の話を聞き、うまそうに茶を飲んで感慨深げに運命を感じています。
暗殺されたからこそ、歴史に名を残す偉人となると喝破するのです。ただ死んだら、こうはいかないと。
今、もし、要人暗殺についてこんなことを書く小説があったら、大炎上まちがいなしでしょう。
なぜか? メンタリティの問題です。
志士とは古代中国やら日本史やらの英雄神話に憧れ、殺し殺されることこそが最高の人生だと信じていました。
幕末維新に登場する“志士”は憂国の士なのか それとも危険なテロリストか
続きを見る
フランスにも似たような精神性を持つシャルロット・コルデーという人物がおりましたが、あれは西洋史でも珍しい存在です。
暗殺の天使と呼ばれたシャルロット・コルデー 絶世の美女が凶行に走った理由とは
続きを見る
伊藤博文の暗殺犯を顕彰するなんて、あの国の人間はどうかしている!
そんな意見はちょくちょく見かけますが、同時代の日本人政治家までもが暗殺そのものをそう語っていたことがあったのです。
夏目漱石は作中にそれを反映しただけでしょう。
「まあ、暗殺する側の言い分も理解できるな」
こういう理屈もあります。しかも、日本人から。安重根を弁護した水野吉太郎は、彼は志士のようなものであると弁護していました。
東洋には「義挙」という発想があるためです。
せっかく渋沢栄一を主人公としておいて、さんざん「志士になる! 愛国心だ!」と煽って宣伝したのに、最終的に「かわいそう〜」って、なんだそれ。
浅い! そしてツマラン!
渋沢栄一と伊藤博文は、テロ仲間です。あの塙次郎暗殺事件についても語れたほど。
渋沢栄一と伊藤博文は危険なテロ仲間だった?大河でも笑いながら焼討武勇伝を語る
続きを見る
ですからドラマでは「暗殺してきた人物が暗殺される」その因果についての発言が見たかった。
大河を作るための膨大な資料を読み込んでいたら、当然浮かんでくる内容だと思ったんですけどね。
まさか本作がここまで杜撰だとは……私も甘かった。
算多きは勝ち、算少なきは勝たず
今週の漢籍です。
私は大河ドラマは「良くなるべき」だと思っています。
ゆえに毎週毎週ネチネチと陰険に、漢籍引用しつつケチをつけます。
勝ちたいときは『孫子』でしょう。
夫れ未だ戦わずして廟算(びょうさん)して勝つ者は、算を得ること多ければなり。未だ戦わずして廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり。算多きは勝ち、算少なきは勝たず。
勝てる奴はデータ分析をちゃんとする。勝てない奴はデータを真面目に分析してない。データ解析する奴は勝つし、しない奴は負ける。
さすがは孫子。これは今でも通じますよね。
◆日本人はなぜ「論理思考が壊滅的に苦手」なのか 「出口治明×デービッド・アトキンソン」対談 (→link)
以下の2つの記事から注目部分を引用します。
デービッド・アトキンソン(以下、アトキンソン):いちばんの原因は、日本人が「分析をしない」ことにあると思います。
たしかに高度経済成長期、日本のGDPは世界の9%弱まで飛躍的に伸びました。それは事実です。
しかしそのとき、「日本ってスゴイ!」と喜ぶだけで、何が成長の要因だったかキチンと検証しませんでした。さらには「日本人は手先が器用だから」とか、「勤勉に働くから」とか、「技術力がある」からなど、直接関係のないことを成長要因としてこじつけてしまい、真実が見えなくなってしまったのです。
出口:データで検証してこなかったのですね。ゆえに、こうドツボに陥っている。
◆「日本は負けた」系ニュースが急増しても事実を認めない人々の“負けパターン”(→link)
歴史を振り返ると、日本という国はこれまで、自分たちに都合の悪い客観的なデータを否定して、「日本は絶対に負けない!」と叫べば叫ぶほど事態を悪化させるという「負けパターン」を繰り返してきたからだ。
大河はじめ幕末ものは大いに関係があります。
アジア・太平洋戦争での大敗北は、そもそもが明治維新にあったのではないか? そう思い詰めた人もいました。
柴五郎が典型例でしょう。
GHQが時代物を禁じたあと、日本の時代作家たちも「武士道に原因があったのではないか!」と追い求める作品を大量に発表します。
たとえば、宮本武蔵に疑念を呈する作品が増えていく。
なぜか?
アジア・太平洋戦争時、青少年のロールモデルとされたのが吉川英治『宮本武蔵』でした。あんな武蔵なんか信じていたからダメだったんじゃないか? 武蔵はクズだろう! そういう欲求があった。
現在でも入手できる、武蔵批判の代表作が『魔界転生』です。
転生した剣豪たちを十兵衛が薙ぎ倒す 漫画『十 ~忍法魔界転生~』が不気味で面白い
続きを見る
大河ドラマだって第一作は『花の生涯』です。
薩長が否定してきた井伊直弼の再評価から始まっています。
第5作『三姉妹』だって、明治維新に人生を踏み躙られた女性の人生が描かれました。
しかし、そうした動きは長続きしなかった。
明治維新のイケイケドンドンを再生産した方がなんだかんだで視聴者受けがよく、売れる――作り手がそこに気づき、ゆえに作品を作る時代が被って繰り返されます。
何がダメだったか?
そんな検証をするより、司馬遼太郎のイケイケドンドン小説でも読んだ方が気持ちいい。
高度経済成長期になると、日本人は反省を忘れ、戦争では負けたけど経済では勝つばかりに、戦国と幕末の作品でテンションを上げ始めたのです。
その呪縛からまだ逃れられないから、以下のように「お告げを聞くような」真似を大手メディアですら繰り返す。
◆ 渋沢栄一が説く「経営力」が欠けている会社重役の3つのパターン 栄一の玄孫が明かす「元気振興」(→link)
前述のとおり、同じ渋沢一族でも、孫の敬三の方が学ぶべきことは多い。彼は敗戦の尻拭いをした誠意あふれる人物でした。
しかし、2021年ともなると、もはや経済の優位性は破壊され、幕末の成功なんて現実逃避に落ちぶれています。
世界的に歴史の見直しが進む中、渋沢栄一のことなんてみな本気で興味関心なんて持っていません。
それはこんなニュースを分析すればわかります。
タイトルからして徳川慶喜に人気が集中し、2位以下も、ある意味、異常事態です。
第1位 徳川慶喜
第2位 土方歳三
第3位 渋沢平九郎
第4位 渋沢栄一
この題材でなければ今後の出番は二度とないであろう。準主役になってもおかしくないであろう成一郎が低迷。主人公の栄一も4位です。
圧倒的な第1位の徳川慶喜は、役者のプロモビデオ状態だからこその順位でしょう。
後述しますが、本作の慶喜描写の正確性は映像化作品でも最下位ではないかと思われるほど悪質です。
第2位の土方は、史実における本人人気が反映されたものでしょう。
出番は少ないし、そもそも渋沢栄一の人生とは、ほとんど関係がありません。
このワンツーの時点で、既存の演者と歴史上人物の人気に頼っただけで、本作が手抜きであることが明瞭明確にわかります。
正直なところ、大河の未来は明るくはありません。
今、NHKは刷新の最中のようで、こんなニュースがあります。
◆「ガッテン!」「生活笑百科」が終了…“中高年切り捨て”進めるNHKのお家事情(→link)
注目は以下の部分です
「昨年、みずほフィナンシャルグループ会長を務めた前田晃伸氏がNHKの会長に就任してから、新番組や新企画の開発が急ピッチで進んでいます。’21年度の半年間の受信料収入は3千414億円で2年連続の減収。これが年々さらに減少すると経営陣はみています。
長期的に受信料を払ってくれる若い世代を掘り起こすために、バラエティでもドラマでも若年層をターゲットとした新番組作りが最重要課題だと考えているのです」
割と当たっているのではないでしょうか。
しかし今年の大河は、若者をむしろ遠ざけました。
慶喜がここまで主役を食っているということは、要するに慶喜役のファン層と『青天を衝け』のファン層の年齢は重なる可能性が高い。
つまり、今年の大河は若い層を掘り出していないと私は分析します。
しかも、今年の層は、今年一年かぎりで離れる可能性も考えられます。
『青天を衝け』が露骨に小道具や衣装に手を抜いていた理由もわかる。今年に使う金があるならば、来年以降に回すほうがよろしいでしょうから。
鼎の軽重を問う
昔、楚・荘王は周の鼎の重さを問いました。なぜそんなことを?
鼎というのは王位の象徴。その重さを問うということは、宮殿に持ち帰って自分が管理してやると婉曲に問うようなことでしょう。
つまりは、権力者・権威者の実力や能力を疑うということ。
別に私は大河の作り手になる妄想なんて抱きませんが、制作陣の実力に疑義を呈してもよいでしょう。
本作のチーフ・プロデューサーは、こんなことを語っておられます。
◆青天を衝け:草なぎ剛は「天性」慶喜役で改めて増す存在感 CP「こういう人だったのでは」と(→link)
「あなたってまるで徳川慶喜みたい……」って?
草なぎさんを侮辱するのも大概にすべきではないか?と眉間に皺が寄りました。
こんなの悪口でしょう。私は絶対に言われたくありませんね。
そしてデタラメな人物描写については、安藤優一郎先生がついに苦言を呈されておりました。
◆「NHK大河ドラマでは描きづらい」薩長と戦わず逃げた徳川慶喜の苦しすぎる弁明 「風邪を引いていた」「覚えていない」 (→link)
どういうわけか本作は、幕末の誠意ある研究者からのコメントを扱ったニュースが少なかったものです。
それが最終盤についに来ました。
まとめますと、
「鳥羽・伏見の戦い……だって風邪ひいちゃって、もう知らなかったんだもん!」
という慶喜の言い訳は早い話が戯言、笑止千万、信じる方がどうかしているということです。
『青天を衝け』もマヌケなんですよね。嘘を採用するにせよ、風邪を引いたという部分は無視していますよね?慶喜が咳き込む場面でもあれば説得力があっただろうに。
でも、受信料を使ってNHKが大河で流すとこうなるんですよ。
◆ 青天を衝け:じっくり耳を傾けたい慶喜の言葉 静かで重い“告白”「欲望は、道徳や倫理よりずっと強い」(→link)
慶喜の静かで重い「告白」は視聴者の心も捉え、「ずっと抑え、ずっとため込んで、ずっと後悔してきた慶喜」「いちいち言うことが深いし重いし説得力半端ない」「昨今の人生訓にもなりそうな慶喜のお言葉」「草なぎ慶喜の苦しみながら紡ぎ出す言葉、独白に引き込まれた」などの声のほか、「今日は、慶喜様の肉声を聞いたような気がしました」「個人的に徳川慶喜役は、すっかり草なぎ君のイメージになりました」「徳川慶喜役を草なぎ剛さんがやってくれてよかった。間違いなくドラマ史上最高の慶喜」といった意見もあった。
◆ 【大河ドラマコラム】「青天を衝け」第三十九回「栄一と戦争」多様な人々の心情をすくい取った徳川慶喜の存在(→link)
だが、常に前向きに突っ走る栄一の視点だけでは、そういった人々の心情に目を向けることは難しい。それを補ったのが、波乱の前半生を過ごした後、すべてを抱え込んで静かに生きる慶喜の存在だ。
その前に慶喜に会った惇忠は「残され生き続けることがどれほど苦であったことか」と労われるが、この言葉は慶喜にこそ当てはまる。そして栄一にも。
◆『青天を衝け』39話。「あなたに比べたらまし」渋沢栄一のボンクラ息子が慶喜に爆弾発言(→link)
そのため、慶喜も戦を回避して幕府を救う道を模索していたのだが……。
「人は誰が何を言おうと、戦争をしたくなれば必ずするのだ。欲望は道徳や倫理よりずっと強い。ひとたび敵と思えばいくらでも憎み、残酷にもなれる」
現在の世界情勢や、SNSでのトラブルにも通じる。
確かに私もタイムスリップできたら慶喜に、生存欲求や、女中と子作りに浸った欲望について聞いてみたいところではあります。
女性スキャンダルが痛すぎる斉昭&慶喜親子 幕府崩壊にも繋がった?
続きを見る
鳥羽・伏見の戦いで注目すべき慶喜の大失態~幕府の敗北は当たり前?
続きを見る
このように大手媒体でも感動しまくっているわけですが、根底にあるのが大嘘、史実と正反対でも、果たして感動できるのかどうか?
大河は歴史の勉強になるという。
しかし、図書館にこもって一時間もすれば嘘と認定できることに感動している大河ファンを見ていると、やはり鼎の軽重を問いたくなる。
一番問いたいのは、大河製作陣ですけどね。
※続きは【次のページへ】をclick!