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【ドラマ大奥感想レビュー第10回】
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江戸时代からあった“推し活“
感動の再会が終わると、藤波は片岡仁左衛門の役者絵を配り始めました。今で言うところのブロマイドですね。
推しのブロマイドを持ち歩き配布する。そんな布教に余念がない、江戸の推し活おじさんだと思ってください。
現代社会でも、推し活が話題であり、その言葉もかなり一般的になってきましたよね。
実は歴史が古く、江戸時代の推し活もアツかった。
わかりやすいのが「八代目市川団十郎 死絵」です。
推しが死んだ、あーん、悲しい! と、ファンが号泣する様が絵として売られ、戒名が決まる前に捏造してまでバンバン出回ったそうです(→link)。
しかも、推しているのが片岡愛之助さんの屋号である松嶋屋の大スター・片岡仁左衛門ってところが乙ですね。
それにしても、藤波の圧力がすごいですなぁ。
水野に後見人か?と尋ねられ、見物人だと謙遜しながら、吉宗に後見人にならないかと打診し、さらには杉下が回復したら見に来いとまで言う。
「お定め破りではないか?」とツッコまれても、上様に比べたら大したことはないという。
水野助命のことを冗談にできる藤波がすごい。まるで大阪のおばちゃんや!
パワーがあって、劇場まで観に来るだけでなく、周囲にもガンガン勧める。そんな応援を受け、ここまでやってきた片岡愛之助さんが、その様子を再現するように演じています。
この藤波の出番は凄まじかったですね。何もかも吹っ飛ばすような力が溢れていました。
杉下といい、藤波といい、「おばちゃん」になり、ジェンダーとは何か、改めて問われたように思えます。吉宗は「おじさん」に見えますからね。
その夜、杉下は、こんなにも幸せな時間があるとは思えなかったと吉宗に語ります。理想的な老夫婦のような姿がそこにはある。
そして杉下は、子である家重や、孫である家治に囲まれ、大往生を遂げました。
役立たずの種馬として大奥に流れ着いたのに、こんなに幸せな生涯を送れるとは……そんな万感の思いと共に生涯を終えたのです。
杉下の運命は、玉栄と対比されているように思えます。
種を残し、殺生に苦しめられ、実の娘すら決別していった様に思えた玉栄。
一方で、種がなく、それでも周囲を理解し、支え、救われた杉下。
まるで対照的となった二人の人生。
杉下は、吉宗側室という格式で、葬られました。性愛や子をなしたことではなく、別の形でのぼりつめた一生でした。
農民一揆だ、米よこせ!
夏なのに雨が続き、不作になるやもしれぬ――そう吉宗が懸念していると、悪い予感が的中してしまいます。
農民たちが一揆に立ち上がりました。男女逆転していても、米に迫る農民、怯える代官、みな見事で素晴らしい。後ろ手に縛られた代官が哀れよのう。
政治だけの問題とも言い切れません。江戸時代は今よりも寒波が到来しやすかったのです。それに対し、人口は右肩上がりで増えるため、社会システムそのものに歪みが生じていました。
それでもこうした農民一揆で、ある程度ガス抜きはできていました。
江戸っ子たちが武士を本気で怖がっていたかというと、そうでもありません。むしろ時には「ダッセ」とコケにしていたので、フランスの貴族と第三身分の農民ほどの緊張関係には至ってなかった。
家重は一揆の報告を耳にしても、どうにも反応が鈍い。幕僚が戸惑っていると、全て任せると投げてしまいます。
どうせ母上のところへ参るのなら、ここへ来なければいいと呟くと、田沼がサッと裾を翻しつつ、前に座ります。
このドラマは裾の扱いが皆一様に綺麗です。當真あみさんも所作が完璧で、田沼がどれほど聡明であるか一目でわかる。
彼女は、家重の中には政策があると理解しています。それなのに、家重は他の者と一緒に行ったらどうかと拗ねたように言い放つ。
そして家重は
「……勝ち筋が見えんのじゃ」
と呟きました。
聡明な家重には見えていました。
凶作になれば、百姓が餓死する。米の値が上がり、町人も飢える。
豊作になれば、米を商人に買い叩かれ、武士の暮らしが立ち行かなくなる。
どのみち詰んでいる。
しかし、どうしたらよいのかわからない。家重は聡明で完璧主義者であるがゆえ、納得いくように手を打てないなら、はなからやる気も起きない。そんな性格なのでしょう。
大岡忠光と田沼が苦しそうに見守っています。
家重と田沼意次は、貨幣経済をめざす
吉宗は、田沼からこの嘆きを聞いています。
吉宗は納得した様子。不作はどうにもできない。百姓一揆は自分がしめつけを強めたため。私のツケを支払わされているようなものだとわかっています。吉宗自身もろくな策が打てていない。
これは何も日本だけの現象ではなく、近世国家ではよくある現象でした。
全盛期を築いたとされる、イギリスのエリザベス1世。フランスのルイ14世。清の乾隆帝。彼らのような君主のあと、パッとしない治世が続きます。
君主の力量だけでなく、むしろ課題を強引に抑え込めたかどうか、そこにある。
吉宗は今でも大御所として崇められている。あやまちをあやまちと指摘できなくなった。
本人だからこそ、そこを冷静に判断できるものの、幕僚で同じことを言えるものがいるのかどうか。
すると田沼が、何か言いたげな仕草を見せている。吉宗が促すと、待ってましたと言わんばかりに意見を述べます。
田沼の提案は、百姓から年貢を搾り立てる前に、商人から税を取ることでした。
今、一番贅沢な暮らしをしているのは、大名でもなく、将軍でもなく、商人――これは史実でもその通り。
例えば庄内藩には、こんな戯れ歌が残っています。
本間様には及びもないが せめてなりたや殿様に
豪商の本間様ほどの金持ちにはなれないが、せめて殿様くらい贅沢な暮らしをしたい。
私が見学した江戸時代の建築でも、確かに酒田市本間家旧邸(→link)が一番立派でした。
水戸偕楽園ですら、本間家旧邸のあとでは地味に思えましたからね。ましてや米沢藩の建築なんて、とても質素でした。
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綱吉時代の貞享5年(1688年)には、井原西鶴『日本永代蔵』も刊行されています。日本史上初の経済小説とされます。
田沼の言わんとするところはわかる。
むしろ、なんで今まであいつら商人を野放しにしてきたんですか? 直接搾りましょう! そんな提案です。
なまじ吉宗は米にこだわりすぎたことが裏目に出たのかもしれません。
思わず吉宗が呆気に取られ、一人で思いついたのかと問いかけると、上様の考えだと返す――上様の推察を読み解いただけであると答える田沼でした。
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