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【ドラマ大奥感想レビュー第10回】
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久通がみた「一炊の夢」
久通の前で、吉宗は己の自惚れを語ります。
武家の女子だから、金は卑しいと思っていた。石高制を見直せなかった。
それがお金を軽んじない意見が田沼という武家の女から出てきたことに感服しています。
吉宗が、田沼だけでなく家重も誉めると、傍の久通は、世はうまくできていると満足しています。
久道は今日が最後の出仕でした。
名残惜しいと頭を下げると、ここで吉宗が目を通していた『没日録』の内容が回想されます。
「のう久通。私はまことに運の強い女子であった」
おもむろに切り出す吉宗。4人の死がなければ、将軍はおろか、紀州家の主にもなれなかった。
そして久通を見る。
「私と跡目を争っておった尾張の吉通様を亡き者にしたのは、そなたなのか?」
「はい。私でございます」
人の良さそうな顔で、何ら逡巡する様子もなく、淡々と罪を認める久通。ゆっくりと頭を下げます。
幼い家継公もか?と問われると、病弱ゆえ手を下すまでもなかったと認めます。幼い命を摘み取らずに済み、幸いであったと。
「紀州の、姉上たちもか?」
「はい。私が自ら毒を盛って、弑(しい)し奉りました」
そう認め、さらに村瀬殺害も明かします。吉宗が暗い噂に左右され、気を挫かれたら困ると思い、お庭番に命じ始末したと。
「いえ、少し違いますね。最後は上様のためではございませぬ。見ていたかったのでございます。信様が将軍の座に就かれ、この国を導いていくのを」
そう語ると、いつでもお手討ちになる覚悟だと頭を下げます。どのみちこの冬は越せぬと言われていると続けると、あの剛毅な吉宗の目が涙で光っています。
「つらかったであろう、久通。今までずっと、一人で背負っていてくれたのじゃな」
「一炊の夢を見させていただきました。よき夢にございました。お信様、まことにありがとうございました」
そう頭を下げる久通。
彼女は信じていました。
信こと後の吉宗が、大大名にならずともせめて五万石の大名になれば、忠義に報いることができると語った日のことを。
そのとき、幼い久通は天命を受け取りました。信様なら国主どころか公方様になってもおかしくない器量の持ち主であると。
信様が天下を取るため――久通は己の手を血に汚してまで、尽くしてきたのでした。
偉大なる大御所亡きあとは
不思議な光景が見えてきます。
大奥では甘藷(さつまいも)が大流行。甘さが人気の秘密のようですが、これは重要な点でして、日本にもサツマイモとジャガイモは同時に入ってきています。
サツマイモは甘く、ジャガイモはイマイチ美味しくない。
そんなわけで、気候的にサツマイモの栽培が難しい東北と北海道以外では、ジャガイモは根付きませんでした。
幕末に来日した外国人は、こんなことを考える者もいました。
「この人らにジャガイモとサツマイモを紹介したら感謝されるんじゃない?」
そう思ったら、とっくに栽培されていたんですね。
なんでも黒木という男が作ったと噂になり、同じ名前だと言われた「黒木」という男が反論します。
青木昆陽という儒学者が大御所に命じられて作ったのだと。そして飢饉の備えとして、各地に広めたのだと。
黒木は事情通なんですね。大御所様は偉大であったと、振り返っています。
小石川養生所では、小川笙船、大岡忠相、水野進吉が赤面克服ができなかったと振り返っています。
水野は蘭学を許してもらったのに、結局薬がなかったと嘆いています。薬ではない抜本的な手段が必要なのでしょう。
小川笙船は、それでも大御所様の許しがあったおかげで、遺体解剖をして内臓まで調べた結果を語ります。それこそ確かな一歩だと振り返っている。
片桐はいりさんは、三船敏郎さんの大ファンだそうです。小川笙船がモデルである赤ひげ先生を演じていましたね。
そんな憧れの先人と通じる役に対し、並々ならぬ想いがあったとか。その集大成ともいえる名演です。
貫禄ある大岡忠相も、大御所様の偉大さを振り返っています。
それでも大御所様が生きているうちに赤面に勝ちたかったと、悔しそうに語る進吉。
彼は眉毛が伸びるタイプの老けメイクで芸が細かい。若い美男としてだけではなく、江戸っ子おじさんになっても水野はいい味がありました。
ここで、鈴が鳴り、杖をついた吉宗が歩くシーンへ。
鈴の廊下には誰もおらず、小姓が一人付き添っているだけです。吉宗は『没日録』を右筆部屋に返しにきました。長く借りたまま、返却をし忘れていたとか。
するとそこには、村瀬の姿があります。
「ずっとお待ち申し上げておりました」
吉宗はここで倒れてしまいます。
赤面疱瘡にはまだ勝てていない――と、これまでの大奥の歴史が振り返られます。
そして臨終の床にいる吉宗の夢の中で、金髪の武士がこちらを見ます。
特定の誰かのようであり、西洋から来た何かのように思える。
そして現代の渋谷駅のスクランブル交差点を歩く、吉宗そっくりの女性がこちらを振り向きます。
「滅……びぬ……この国は……滅びぬ」
そう呟きながら、世を去る吉宗――ひとつの世の完成とともに、新しき世が始まります。
吉宗は、田沼意次に託していました。
青木昆陽のことを語り、蘭学は素晴らしいが、本丸である赤面対策に成果がでていない。そこで、この国から赤面疱瘡を駆逐することを託すのです。
「吉宗、今生最後の願いである!」
田沼意次はその思いを胸に、空を見上げます。
そのころ、長崎には一人の旅人がやってきているのでした。
先憂後楽:吉宗の果断、家重の憂鬱
前回、母と子が抱き合ったあの感動はどうなったのか?
そう失望してしまいそうな家重の治世ですが、理解できるような描き方をしています。
家重は壮大な考えが脳裏にあるのに、うまくアウトプットできないのです。むしろ生真面目だからこそ、行き詰まっているようにも思えます。
むしろ、やったフリだけうまく、空気が読めるのであれば、もっとうまく立ち回りができたでしょう。そんな不誠実で器用なことが彼女にはできません。
吉宗編は、東洋の国家である日本の近世が完成した展開といえました。その思想体系を探っていくと、将軍の使命も見えてきます。
家康が導入し、綱吉が読み解き、吉宗が広める――儒教朱子学が浸透した。
吉宗は赤面疱瘡流行を聞くと、すぐさま対処に移り、雨が降っていると、不作になると顔を暗くしました。
これは何か危機が起きてから行動するのではなく、起きる前から気に病んで憂いているからこそ、即座に反応ができたのです。
江戸時代中期ともなると、君主や官僚の心得として、「先憂後楽」が定着しました。
何かが起こる前に憂い、実際にことが起きて社会が静まってから楽しむ。そんな心がけです。
北宋の范仲淹『岳陽楼記』が出典であり、これが広く浸透したからこそ、上様や殿様が遊び呆けていると、みんな「なってねえなぁ、なんじゃありゃ!」となりますし、恥ずかしい目に遭った。
日本には数カ所「後楽園」という庭園があります。実はこれも「先憂後楽」から取られています。
なまじ聡明な家重は、このあたりの為政者の心がけにつまづいたように思えます。
不作でも困る。豊作でもいかん。となれば、いつまでたっても楽しめる日なんてないじゃないか! もうどうにでもなれ……と思い詰めてしまったと。
真面目なだけに苦しんでしまう、そんな家重が悲しい展開でした。
ちなみに、このあと「むしろ天下の楽に先んじて楽しむ人がいる」と苦々しく評された人物が出てくることでしょう。
徳川治済です。どんな人物なのか、楽しみにしておきましょう。キャスティング予想も既に始まっておりますね。
私としては、鈴木京香さんが快演全開で出てきたらよいのではないかと想像してしまいます。
本作は『鎌倉殿の13人』からのキャストも多いことですし。
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