数々の政治改革が実行され、その成否は様々に議論されますが、その中で一つ現代でも通じるような特筆すべきものがあります。
小石川養生所です。
病にかかった貧しい者たちを無料で診療したり薬を処方したり。
歴史的にも画期的な取組であり、そもそもは目安箱に投じられた町医者・小川笙船(おがわしょうせん)の上書がきっかけでした。
庶民の意見が将軍に掬い上げられ、江戸の街に実現する――そのあまりに劇的な展開は、山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』のモデルとされ、さらには時代劇の定番として、長らく日本人に愛されてきたものです。
そんな小川笙船は、2023年、大いに話題となったNHKドラマ10『大奥』にも登場していました。
頑固そうな職人肌の医師を演じたのは片桐はいりさん。
ドラマでの迫力ある姿に、いったい史実ではどんな人だったのだろうか?という疑問も湧いてきた方も少なくないでしょう。
宝暦10年(1760年)6月14日は小川笙船の命日。
本稿ではその事績を振り返りながら、東洋医学についても考察してみたいと思います。
【TOP画像】『赤ひげ』(→amazon)
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小石川療養所を生み出した小川笙船
小川笙船は寛文12年(1672年)生まれ。
町医者だった彼がなぜ歴史の脚光を浴びたのか?
きっかけは享保6年(1721年)の目安箱への投書です。
※以下は目安箱の関連記事となります
吉宗考案の「目安箱」はきちんと機能したのか~享保の改革に対する批判はあった?
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吉宗が小川の上書に目を通し、有馬氏倫に施薬院の設立を命じると、大岡忠相、中山時春らにヒアリングをさせ、実現へと漕ぎ着けました。
享保7年(1722年)12月に小石川養生所が開所、小川は初代肝煎(きもいり・団体の世話役)となります。
しかし、当初は思ったように人が集まりませんでした。
「将軍様と同じ薬草を使うなんてとんでもねえ!」
「薬草の実験台にされるんじゃねえか? なんかいろんなもの栽培しているっていうしな……」
「そもそもタダで治療してくれるわけねえだろ、きっと裏があらァ!」
ドラマ10『大奥』でもあったように、江戸っ子たちに警戒されたのです。
そこで小川が見学ツアーなどを行い啓蒙活動に努めると、今度は一転、入所希望者が殺到してキャンセル待ちになってしまうほど。
以降、小川は養生所で働き続け、享保11年(1726年)に子の小川隆好に肝煎を譲って隠居。
肝煎は小川家が代々務めることになりました。
そして小川当人は宝暦10年(1760年)まで生き、享年89という長寿で病死するのでした。
享保から幕府崩壊まで、無料で民衆を救った小石川療養所は享保の改革における功績の一つと言えます。
その設立に尽力したのが小川笙船であり、そんな仁あふれる医者をモデルとした伝説的な作品が『赤ひげ診療譚』です。
江戸期の医者は剃髪で髭もなかったはずでは?
そんな疑念も湧きますが、赤ひげが永遠の名作であることは誰しも認めるところでしょう。
三船敏郎が演じた伝説的な役のモデルを、片桐はいりさんが演じる。
男女逆転版だからこそ、新たな重厚感と説得力を感じさせる人物像でした。
疫病を克服せよ 江戸における医療改革
男女逆転版『大奥』には、大きな課題があります。
若年男性を激減させ、世を変えた赤面疱瘡の克服です。
家光編は女将軍の誕生までを描きました。
綱吉編では善政を敷けない女将軍の悲しみが描かれました。
そして吉宗編は、女将軍による治世への取り組みがより大きく取り上げられる。
史実の吉宗も【享保の改革】において医療の見直しを進めました。彼の治世においても、疫病は流行していたのです。
だからでしょう、吉宗は本草学者を登用しました。
丹羽正伯
野呂元丈
阿部将翁
植村政勝
阿部を除く3名が吉宗と同じ紀州藩の出身。
彼らが何をしたかというと、これがなかなか現代人から見ると興味深いものです。
各地に赴き、薬草栽培を見分する――。
こう書くと、偉い人が地方にやってくる見学のように思えますが、迎える側はなかなかピリピリしてしまいます。
会津藩では、丹羽を迎える際、江戸屋敷から本国へこう言い渡していたとか。
「あのお方は加納久通様と親しい。くれぐれも粗相ないように」
紀州人脈が築かれていて、丹羽から加納、そして将軍へと向かうルートが見えてきます。
加納久通~NHKドラマ『大奥』で注目された吉宗の側近~史実ではどんな人物だった?
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将軍や幕閣が命を下す視察には、御庭番がこっそりとついていくこともありました。
泰平の世での御庭番とは、人々の暮らしを良くするための政治が行われているか、見張る役割があったのです。
薬草栽培が全国へ広まる
韓流時代劇を見ていると、朝鮮人参がしばしば登場します。
高値で取引されるため、悪徳役人が清の官僚と結託するような生々しい姿も描かれる。
朝鮮人参は、東洋医学では最高級の薬剤とされ、その名の通り朝鮮半島で採れました。
満洲族は朝鮮人参を明に売ることで財力を得て、清建国への力として蓄えられたとされるほど。
たとえ金が国外へ流出してしまっても、医療のために買わないわけにもいかない――そこで吉宗が取り組んだのが、種を配布し、栽培させることでした。
朝鮮人参は、御三家を皮切りに、全国諸藩へと栽培が拡大。
希望すれば医者や町人にまで種子が配布され、日本全国で栽培が広まりました。
朝鮮人参には、いくつか呼び方があります。
高麗人参、あるいは御種人参。
御種人参の呼称は、諸説ありますが【享保の改革】で爆発的に広まったことが由来ともされます。
「将軍様より御種を頂戴したぞ!」
そうして人々が有難がったから「御種人参」になったというもの。
先の会津藩では栽培が順調で、「これは名産になるべ」と喜んでいたことが当時の記録にも記されています。現在でも名産となっていて、ゆるキャラまであるほど。
◆ 会津地方の名産「会津おたね人参(朝鮮人参)」非公認キャラ「おたねくん」(→link)
朝鮮人参だけでなく、様々な薬草の栽培が全国各地に広まっています。
小石川養生所には、御薬園があるとドラマでも描かれましたが、ここでは清や朝鮮で採取された薬草や薬木も栽培。
こうした種子や苗木が日本全国に広まってゆきました。
吉宗は大岡忠相に命じ、江戸庶民の懐事情について調べさせました。
すると20パーセント、5人に1人は自力で薬も買えないことが判明。
そうした貧民にまで薬を届けることが、吉宗の目指した善政であり、幕府は各地に薬の栽培を広めると、薬の作り方を記した書き付けまで配布したのです。
こうした全国規模の医療対策をもとに、ドラマでも赤面疱瘡との闘いが描かれるのでしょう。
MEGUMIさんが扮する大岡忠相は、名裁きをするというよりも、医療対策のうえで重要な役割を果たすことが考えられます。
そして、この赤面疱瘡対策は、今後、効果を上げてゆきます。
幕末になると、主要登場人物に男性が増えます。明治維新のあと、男性中心の世が作られるとすれば、吉宗の始めた徳川幕府の医療対策があったからと言えます。
大政奉還まで描かれるドラマがますます楽しみになりますね。
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