竈門炭治郎

『鬼滅の刃』23巻/amazonより引用

この歴史漫画が熱い!

竈門炭治郎は日本の劉備だ 徳とお人好しが社会に必要な理由 鬼滅の刃

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【自己認識】の問題――人は心が原動力だから

炭治郎の「長男だから」という自己認識は、あくまで彼自身のもの。

周囲からすれば奇妙であっても、本人だけが信じているのであれば無害です。

その【自己認識】に苦しめられるようになっているのであれば、それはまた別の話でしょう。

そしてこの【自己認識】こそ『鬼滅の刃』の重要な点です。

心こそ原動力であること。己を鼓舞すること。それが重要です。

『鬼滅の刃』には、極めて合理的かつ、最先端のトレーニングが反映されています。

この点は作中の大正時代よりもはるかに先進的でした。

◆負傷の程度を各自把握している。できない伊之助は問題があるとされる

◆回復を重視し、治療とリハビリを無理なく行う

◆ケアワーカーへの感謝と敬意を忘れない

◆訓練の手順が適切で、見て盗むような非合理性がない

◆鬼殺隊は【ダイバーシティ】を重視する

◆精神カウンセリング要素もある

◆適性が低いものは、危険度の低い「隠」とする

◆福利厚生はバッチリ! 笑顔の絶えない職場です!

鬼殺隊はメンタルケアに配慮がなされています。無惨によるパワハラ三昧の運営体制とは対照的ですね。

心と精神を大事にするということは、その要素だけで無茶振りをすることではありません。

作中では、四肢や視力を失う人物が多数出てきます。

それでも彼らは立ち直り、生きていくと示される。

確かに四肢を失った時はショックを受ける。不便だし、あればよかったという悔恨が消えることはありません。それでも人は、精神力さえあれば、喪失を乗り越えて生きてゆけます。

一方、メンタルが壊れた人はどうにもなりません。

身体的にはどこも失っていないけれども、精神的打撃から立ち直れずに堕落してしまう人物も出てきます。

元炎柱であった煉獄槇寿郎(れんごくしんじゅろう)が典型でしょう。

人格が高潔であっても、精神的打撃につけこまれ、鬼となってしまう猗窩座(あかざ)もおりました。

いかに精神が大事であるか?

そのことを重視するとなれば、傷つかないようにケアすることはとても大事なのです。

鬼殺隊は選抜と任務こそ厳しいものの、いったん中に入れば合理的な配慮が隊士に対しておこなわれます。

胡蝶しのぶや不死川玄弥のように、腕力や才能が劣るものが、工夫次第でカバーすることも取り上げられます。

多様性を重視し、戦う精神を保てるようにしているのです。

そこは大正時代、かつ任務が危険であはりますが、かなり優しい環境を作る工夫が随所にあります。

これは日本の歴史を語る上で、重要な観点とも言えるのではないでしょうか。

大正後の昭和初期、日本は第二次世界大戦に参戦しました。

ちょうど炭治郎の子世代にあたる大正末から昭和初期生まれの世代は、従軍による死傷が甚大。

復員しても精神が破壊され、荒んだ生活を送った人も多いのです。

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そういう苦い教訓から日本はどう反省したのか?

と言いますと、それは私たちが自問自答すべきこととなるでしょう。

無惨が鬼を問い詰める様子を“パワハラ会議”と呼び、コラージュ画像を作ってしまう……これこそ、私たちはメンタルケアが十分になされていない日本社会を生きているという、何よりの証左ではないでしょうか。

 

【インセンティブ】の是非~ごほうびより大事なこと

『鬼滅の刃』は組織論として有用です。

そういう本は書店で平積みにされており「人気漫画から学ぶナントカ!」というのは、正直私も信じてはおりませんでした。

ただ、この作品に関しては合理性に富み、実際に研究を反映していると思えるところが興味深く、有効だと思えます。

『鬼滅の刃』は、暴力的な場面が多いため、子どもに見せることの是非はもちろんあります。

ただ、実際に子どもの心理を踏まえて役立つ点もあります。

子どもが嫌がることをやらせるにはどうすればよいか?

そのことも学べます。

子育てはじめ、動機付けとして「ごほうびルール」がよく知られています。

ちゃんとお皿を洗ってくれたら、歯みがきしたら、勉強をしたら、欲しいものをあげる!

【インセンティブ】ですね。

ただし、この手は危険であるという結果が出ています。

インドがイギリスにより植民地支配されていた時代のこと。政府は危険な毒蛇に対して報奨金を出すようにしました。これで危険な蛇が減るぞ! そう思っていたのですが……。

なんと、わざわざ毒蛇を養殖して持ち込む者が出てきたのです。

これではいけない!と慌てて中止すると、今度は金にならない毒蛇が野に放たれてしまい、逆効果となってしまった。

インドの国民性でもなく、ヒトはじめ生物界ではこういうことが起こり得る。

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『鬼滅の刃』にも【インセンティブ】の悪例が出てきます。

“サイコロステーキ先輩”です。

彼は弱そうな鬼を狙って倒して昇進を狙った結果、屈辱的な名前の由来となる死に方をしてしまいます。

そういう【インセンティブ】ではない士気のあげ方は、ちゃんと示されています。

善逸の場合、周囲から認められる欲求が根底にある。

伊之助は、彼の持つ問題行動を闇雲に制限するのではなく、戦闘術として伸ばすようにしている。

そんな中でも、最も好ましいとされるのが【徳】がある炭治郎です。

彼の心を動かすものは責任感です。

禰豆子を守る!

そのためにも仲間を守る!

そんな思いが常にありました。

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【責任感】から逃げるな!――無責任時代の終焉

作中、炭治郎は半天狗に向かって絶叫しました。

「貴様アアア!! 逃げるなアア!!! 責任から逃げるなアア」

これはまるで『鬼滅の刃』の意義を凝縮したかのようなセリフです。

炭治郎の「長男だから」というような【家父長制】が根底にある、第二次世界大戦以前の責任感は時代錯誤とされます。

ただ、そんな制度が変わった転期から、もう80年近くが経過。そうなると記憶も薄れたからこそ「長男だから」はただの天然ボケ扱いされるのです。

そんな第二次世界大戦まで、ちょっと時計を戻しますと……。

第二次世界大戦後、日本人はあることに絶望しました。

対戦した国は、こう振り返ったものです。

「日本軍の兵士や下士官は有能だ。だが上官の無能さは一体なんなんだろう?」

特攻隊を送り出し「君らだけを行かせはしない。最後の一戦で本官も特攻する!」と言っていた上官が生きることにしがみついている。

無謀な作戦で部下を大量死へ追い込んだ上官が生存し、自説を記したパンフレットを配布している……。

『鬼滅の刃』は「自己犠牲を美化していて、戦争を賛美している」という批判もあります。

ただ、自己犠牲も厭わない産屋敷家の姿勢は、日本軍上層部の責任放棄とは違いますので、そこを忘れてはなりません。

なんなんだ? どういうことだ? そんな不信感はモヤモヤと漂っていく。このあたりの対比は、ナチス高官を南米まで執拗に追い詰めたドイツと対照的です。

もう終わったことですし、そんなことをしたって犠牲者は蘇りません。

けれども、ドイツ人の心境はこんなところでしょう。

「逃げるな卑怯者!! 逃げるなァ!!!」

きっちりと過去を清算しなければならなかったのです。

フィクションでもナチスは永遠の悪党として裁かれ続けています。

 

話をドイツから日本に戻しまして。

むしろ日本社会は「無責任でスーダラダッタ♪」と進行してきました。

ゆえに炭治郎は“時代錯誤”とされるのでしょう。

1961年(昭和36年)『スーダラ節』が流行歌に。

1962年(昭和37年)公開の映画タイトルは『ニッポン無責任時代』。

1980年(昭和55年)の流行語は「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」。

1988年(昭和63年)に世間を揺るがした「リクルート事件」では、秘書の名義だのなんだの、責任回避の姿勢が問題視される。

2010年代半ば『鬼滅の刃』連載期間と重なる時期に人気となったキャラクター「仕事猫(現場猫とも)」には【オアシス運動】のパロディがあります。

【オ】レじゃない

【ア】イツがやった

【シ】らない

【ス】んだこと

なんとも無責任極まりない……戦後、日本人は無責任時代を歩んできたと言えます。無反省とも言える。

「二十四時間戦えますか!」

そんな兵士のような労働者への奮起は促す。過労死が”karoshi”として国際的に認識される一方、社会全体には責任転嫁する空気が流れている。それが日本社会といえました。

これは少年マンガの世界でも、反映されています。

『鬼滅の刃』の先輩にあたるジャンプマンガで振り返ってみましょう。

『北斗の拳』には核戦争への恐怖。『魁!!男塾』には戦争体験者がいる。1980年代半ばから後半までには、第二次世界大戦の影響が感じられました。

しかし、それ以降は急速にそうした死への恐怖感、責任感が薄れたヒット作が増えてゆきます。

1980年代から1990年代の大ヒット作『ドラゴンボール』では、死者の蘇生という願いが叶います。しかもその頻度は高まってゆき、生命倫理的に無責任と言える設定になっていました。

1990年代のヒット作である『るろうに剣心』を見てみましょう。

この作品の主人公には、若くしてテロリスト「人斬り」となった過去があります。

しかし時代が変わり、名前を変えると「不殺」と言い切るようになります。

殺人という過去は、その程度の改心で償えるのかどうか。果たして過去の因縁のせいで、主人公である剣心は周囲を暴力に巻き込んでゆきます。

自分の過去からすれば想像できるリスクを直視しなかった、極めて無責任な主人公とも言えます。

敵味方とも、この作品の人物は自分とその狭い周囲のみを考えていて、明治人らしい「社会をよりよくしよう」という思想が抜け落ちていました。

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2000年代のヒット作である『デスノート』は、血を一滴も浴びることなく殺人できるノートを、特に努力もなく偶然で手にする夜神月が主人公です。

将棋の駒を動かすように、いとも簡単に人の命を弄ぶ作品であり、生命倫理軽視の極みとも言えます。

デスノートは実在しません。

けれども、SNSの書き込みによって命が失われることは、現実のものとなりました。

1990年代末期からのヒット作『ワンピース』は、歴史をたどれば暴行と殺戮を繰り返してきた海賊を美化しているともとれます。

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同時期にヒットした『NARUTO』は忍者が題材です。

ただ、過去の忍者ものになったような緊迫感のある殺戮、命が軽い描写は感じられません。

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2000年代からのヒット作『銀魂』は、日本でも屈指の殺伐とした幕末維新をパロディにしています。

こうした作品の特徴は、歴史の暗部を描く責任から逃げていることです。

1980年代から2000年代のジャンプマンガは、とにかく命をカジュアルに扱い、責任感に乏しく、歴史の暗部から逃げる傾向がありました。

こうなると作者一人の問題でも、読者の問題でもなくて。根本的な社会の価値観、道徳観念、そしてシステムがそうなっていたのでしょう。

それはなぜなのか?

『るろうに剣心』は、政治的な面倒を避けるために、編集部の意図により明治初期を時代設定としたと明かされています。

編集部がそう判断するということは「政治みたいな意識高いことは避けたいよね」という空気があったということです。

そしてこの時代は、アンケートハガキシステムが活用されていた時代でもあります。

人気さえ続けば、整合性に矛盾があろうと話は続いてゆく。

かっちりとしたプロットを組み立ててゆくよりも、蛇足だろうと長々と続ける作風が正解でした。

キャッチーな展開をして、アニメにして、ゲームにして、映画にして、ともかく関連商品を売る。そういう消費システムが有効だったのですね。

当時は、バブル経済の影響がまだ残っていた時代。ともかく、売る・金になることが正解でした。

そうなると、人気キャラクターだろうとそう簡単に殺せなくなる。

無理があろうと、真剣さが薄れようと、生き返らせることだって仕方ない――。

こうして振り返ってみると『鬼滅の刃』がいかに型破りかつ、当時の作品に対するアンチテーゼであるかわかります。

炭治郎はじめ、作中の人物は命の尊厳を訴える。

家族や愛する者が次から次へと亡くなってゆく。

ほとんど復活はしない。

あれほど人気があるにもかかわらずキッパリと連載終了し、引き伸ばすこともない。

かつてなら100巻に迫る長期連載にでもなりそうな勢いでした。

それがワニ先生一人の意図かどうかは不明です。当然のことながら編集部サイドも姿勢を変えたのでしょう。

人間は自由に生きた方がいい。縛り付けるルールはいらない。そういうことは言われてきています。日本では体罰や厳しい躾の弊害も問題視されてきた。

自由を奪うこと。責任を厳しく問うこと。そのことへの反発はずっとあったものです。

けれども、基本に立ち返ってみましょう。

厳しい規範、理不尽な校則は確かに悪いものです。

そうはいっても、何の制約も、制限もないままでは、人間は際限無く堕落していくことも確かです。

「おやつばっかり食べていると、ご飯が食べられなくなるよ」

「遊んでばかりいないで、宿題もしようね」

「小さい子のことはちゃんと見守っていないといけないよ」

「散らかしたものは片付けなさい」

子どもにこう言うことは、虐待ではありません。

ただでさえ、子どもは誘惑に弱い。ドーパミンの分泌等、大人とは異なる脳の働きがあります。自由で楽しければいいと言い続けたら、ルールが守れない人間が生まれてきます。

ありのままに生きたらいい!

『アナと雪の女王』でエルサはそう主張します。それが感動的なメッセージとなり得るのは、彼女が抑圧されていたからです。

日頃からダラダラとしていて、お菓子を食べまくり、勉強はろくにしない。やりたくないと思えばそう言い、弱いものいじめてゲラゲラ笑い転げる。

そういう人間が「ありのままの姿を見せる!」と訴えたところで、何の感動もないどころか、呆れられるだけでしょう。

ましてや『デスノート』の夜神月が「あーあ、ありのままにデスノートに名前を書けたらいいのになぁ」と言おうものならば、邪悪の極みでしかありません。

ありのままに自由に生きる!

その解放の喜びがあるとすれば、前段階で厳しい状況や自由の制限がなければいけないのです。

炭治郎たちがその条件を満たしていることは、言うまでもありません。

付け加えておきますが、随分と往年のジャンプマンガに厳しいことを書いたとは思います。

ただ、それも時代の産物であるからには仕方ありません。

どんな人間も、その人間が好む作品も、社会の影響を受けます。作者の意図通りにならなくとも、そこは仕方ないのでしょう。

 

弱い者を助け守る――それこそが自然の摂理

2010年代後半から2020年代を代表する、そんなマンガとなった『鬼滅の刃』――だからこそアフターコロナ時代にも対応できそうな概念があふれています。

かつての日本社会を代表するマンガとして、もう一度『ドラゴンボール』の元気玉について考えてみます。

サイヤ人という先天性の強者たる孫悟空はじめ、特定のキャラクターが使う大技。

人間、動物、草、木等、周囲から元気を少しづつ集めるものですね。

これは果たして感動的でしょうか?

無責任かつ危険極まりない技と言えませんか。

瀕死状態のものが元気を奪われて命を落としたら責任を取れるのか?

その元気の中に悪意ある何かが入っていたらどうするのか?

自分自身のものではない力を濫用したらどうなるのか?

元気玉は心が綺麗でなければ使えないという制限があったものの、ストーリーが進むとそれすら厳格に運用されなくなってゆきます。

その危険性に、当時の日本社会は気づかなかったのか、あるいは余裕があったのでしょう。

元気を税金だと置き換えてみれば、いかに危険で悪質かわかるかと思います。コロナと戦う現代、その弊害は見えてきます。

ボランティア頼みの災害時やイベント対応。

NPO法人や民間の善意頼みである子ども食堂。

維持できない組織が最後に頼るクラウドファウンディング。

犯罪被害者や自殺を思いとどまる人が頼りにする、そんな電話相談までもがボランティア頼み。

そして増え続ける税と社会保障費の負担。

自己責任論が声高に叫ばれる日本社会ですが、もうそれにも限界があります。

人間の社会は、貧しい人々や体が不自由な人、健康でない人。そうした弱い人を助けた方がよいと判断して、発展してきたものです。

別に綺麗事でもなく、そうした方が社会が安定するからそうしてきたのに、それが崩壊すれば、暴力や悪事で自力救済するリアル『北斗の拳』ワールドが到来するのに……そういう叡智を人類は学んだはずです。

そうではないと、大災害や疫病の流行時に絶滅するかもしれない。

回復できないほど社会が壊れるかもしれない。

だからこそ、炭治郎のような【徳】のある人物が出現するようになっている。綺麗事やお花畑論を声高に叫ぶ人間が必要となってくる。

そういう人類史の奥深いところまで、原点回帰まで、炭治郎は突きつけてきます。

彼のような誰かは、人間社会にとって必要なのです。

そしてもう一度、彼の言葉を思い出したい。

「強い者は弱い者を助け守る そして弱い者は強くなり また自分より弱い者を助け守る これが自然の摂理だ!」

このことを人類は守ってきたからこそ、私たちの命は繋がれてきたのです。

主役の話だけに壮大な結論に至りました。

私が強く思うのはこのこと――炭治郎のような誰かのことを「ウザイ」といじめたり、仲間外れにしたり、笑いものにするような社会にならないでほしい。

その人はきっと、あなたをいつか助けてくれ、世の中をよりよくしてくれる。

人はそうして進化してきた。

みんなの力です

誰一人欠けても勝てなかった

生きていることは それだけで奇跡

あなたは尊い人です

大切な人です

精一杯生きてください

最愛の仲間たちよ

最後に、本稿を記載するにあたって、私が目を通していた書籍をピックアップさせていただきます。

皆様、よろしければ一読どうぞ。

【おすすめ文献】

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ティモシー・スナイダー『暴政』(→amazon)→短く簡潔で読みやすく、意義がある本です

ジャレド・ダイヤモンド『危機と人類』(→amazon

ユア・ノヴァル・ハラリ『サピエンス全史』(→amazon

スティーブン・ピンカー『21世紀の啓蒙 :理性、科学、ヒューマニズム』(→amazon

ご拝読ありがとうございました。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

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