大奥コミック19巻&ドラマ版公式サイト

大奥コミック19巻&ドラマ版公式サイトより引用

この歴史漫画が熱い! ドラマ10大奥感想あらすじ

あの感動をもう一度!ドラマ10大奥を原作コミック版と共に振り返る

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よしながふみ原作『大奥』
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幕末描写は大河を超えた最新鋭だ

当初は、治療法を見つけるなど、絶対ムリではないか?と思えた赤面疱瘡。

この難儀な伝染病の克服に成功したところで、幕府の屋台骨はゆらぎ始め、幕末編に突入してゆく。

幕末編は、本作ならではの大きな特徴があります。

一般的に、幕末を描く物語は、薩摩長州土佐にせよ、会津目線にせよ、京都の政争が中心となります。

本来、政治的にはあまり意味のないテロ事件、芸妓との恋愛、組織内抗争が描かれてゆく。

見た目は派手で面白いのですが、ここで敢えて問いたい。

新選組の内部粛清やら、坂本龍馬のもとへおりょうが裸で駆けつけることに、どんな歴史的な意味があるでしょうか?

確かにエピソードとしては面白いのかもしれません。

しかし、後世に与えた影響はどうか?

冷静になってみると、幕末作品とは「どうでもいい瑣末事をクローズアップ」しているだけのように思えてくる。

大河ドラマですら、2015年以降の近代ものは、ミニマムなゴチャゴチャを描きすぎて、視聴者の熱意を繋ぎ止められなくなってきています。

と、まぁ、こんなことを申し上げると、幕末で京都以外に描くことなんてあるのか?と反論されるかもしれません。

その答えが本作『大奥』にはあります。

江戸目線でみた幕末は、京都で得体の知れない動きが起こっていて、誰かの勝手な思い込みで政局が転換してゆく。

テロ事件で政局がかき回され、マッチョイズムを振り翳した西郷隆盛が不気味な敵意をぶつけてくる。

徳川慶喜はまったくの無責任。

そんな京都から大奥へと届く、孝明天皇の御宸翰――いったい真実はどこにあるのか?

これは男女逆転SFだからそうなっているのかというと、実はそうでもありません。そうしたことで、かえって真相に近づけているという奇跡が本作幕末編にはあります。

幕末編には、いくらなんでも盛りすぎたんじゃないかと思えるほどマッチョな人物が出てきます。

まずは徳川斉昭

混乱し切った政局に乗り込んできて、我が子を将軍にしようと引っ掻きまわすただの迷惑なおっさんです。押しかけ登城のときのマヌケヅラは、実に素晴らしい。

井伊直弼は冷徹です。正論をかざしているものの、反抗的な者たちをあまりに苛烈に処断してしまう。

阿部正弘のような柔軟さがどうしてないのか? このマッチョな苛烈さが彼の弱点であり、彼自身と幕府の命を縮めてしまいます。

漫画ゆえの誇張とも思えません。

旧幕臣が苦々しく語る斉昭像。敵が「赤鬼」と罵る井伊直弼像。まさにそこにあると思えました。

その子の慶喜は、常にしらけ切っていて、やる気があるのかわからない。

肖像写真からもそんなしらけきった性格はどこか伝わってきます。これは当時からそうみられていたと伝わります。

優しく理想的な家茂と、ただただ空虚な慶喜。これもまさしく、幕臣たちがため息まじりに振り返った将軍像と一致します。

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漫画作品としてアレンジしつつ、人物像の描き方が史実を基にしつつあまりに秀逸。

これは幕臣が読んでも納得するのではないかと思わされました。

あくまで大奥内にとどまるため、幕閣の成し遂げた産業等の要素はでてきません。

それでもここで描かれる真面目につくす彼らをみていれば、幕末への偏見はきっと解けることでしょう。

京都が政治闘争とテロでごった返す一方、江戸の幕閣はフル回転で働いていたのです。

この作品の幕末編は、生々しい。

あのわけのわからない理論を振り回し、大奥へ迫る西郷隆盛は、実にリアルです。むしろこれが江戸っ子のみた西郷隆盛ではないかと思えます。

上野公園にあるあの銅像は、むしろ西郷隆盛をあいくるしくデフォルメした姿だと指摘されます。

そんなデフォルメ前の不気味な巨像が、このSF男女逆転版で見られる。

これがどれだけ驚異的なことであるか。言葉を尽くしても足りません。

そして徳川慶喜。

何がなにやらわからぬまま江戸にやってきて、大奥からすれば、コイツのどこが将軍なのかと言いたくなる存在感。

あれもリアルです。

江戸っ子たちは家茂上洛の際は、その旅路で見る景色を浮世絵で鑑賞しつつ、哀惜をもって見送りました。

一方の慶喜は、意味のわからん、豚をやたらと食ってる無責任野郎です。

大奥からは徹底的に嫌われ、毛布にくるまってビスケットを齧る羽目になっていますが、そうなるだけの理由はあります。

人の心がない。

これは漫画だからそうなっているのではなく、実際に彼はさんざんそう言われてきています。

史実を丹念に追えばこそ獲得できるリアリズムが、この作品にはあふれているのです。

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男女逆転したからこそ、見えてくるものもある

よしながふみ氏の『大奥』が素晴らしいことはわかった。

さぞかし面白いのだろう。

しかし所詮は、男女が逆転したSFであって、何かを学ぶとかそういうレベルではないよね?

本作に対しては、この手の反論が常に付き纏います。

違う、ここが大きな勘違いのです。

男女が逆転したSFだからこそ、中身はより生々しくなっている。人々の苦痛や残虐さがより鮮明に見えてくる。

有功がこのうえなく愛おしいと抱きしめた家光。

しかし、その家光が吉原に大奥から追い出されたものを押し込めたことまで本作は描きます。政治家としての家光の果断と残酷さもそこにはあります。

綱吉は誤解されやすい人物であるところも、悪逆とみなされてもおかしくない所業も描かれています。

綱吉側近の柳沢吉保が、主人の代替わり以降はきっぱりと身を引いた潔癖さまで、この作品ならではの愛憎にからめて描く。

男女逆転したからこそ、かえって忠誠心が際立っています。

痛快極まりない吉宗も、人の心に無頓着で、かつ性的にはだらしがない。

吉宗は明君であるとはされますが、実は落とし子伝説もある、そんな設定まで反映しています。無頓着すぎる吉宗の子作りは、そんなところまで思い出させてくるのです。

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そしてこの男女逆転した意味は、幕末編の終幕においてさらに際立ってきます。

家斉以降、男女逆転が是正されることで、「性別により人の能力を判断する愚かさ」が問題提示のように浮かび上がってきます。

そして幕末に突入すると、勘違いしたマッチョイズムの体現者として、まずしゃしゃり出てくるのが先にあげた徳川斉昭。

男じゃないと駄目だと、ともかく性別からズカズカ入り込もうとする。

阿部正弘を手籠にしてやると脅す様は生々しいいやらしさがあります。

そして西郷隆盛は、女が国を動かしたから駄目になったと決めつけ、マッチョイズムを振り回しつつ、江戸に乗り込んできます。

これがSFならではの価値観かというと、実はそうでもありません。

近世から近代へ世が移る中、女性の権利がむしろ後退していく。そんな現象は指摘されます。

フランスの場合は、ナポレオンがその一因とされます。

彼の第一帝政は、フランスのみならず世界史的にも近代を推し進めたものとして評価されるものの、女権はむしろ制限されました。

ナポレオンはコルシカ島出身であり、田舎じみた男尊女卑を持ち込み、パリや都市部にあった女性が担い手となった文化を後退させたのだと。

似たような現象が、薩摩と明治時代の関係にもあてはめられます。

薩摩は当時でも、もっとも男尊女卑が厳しい土地柄。

さらには幕末に猛威を振るった水戸学は、性的規範がゆるく、それを掲げた徳川斉昭からして酷いものです。

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そんな勢力が新時代を作り上げることで、日本は明治以降、女性の権利が徳川時代よりも後退した現象が起こりました。

東洋的な儒教思想と、西洋由来の思想を組み合わせた、ハイブリッド型男尊女卑が生まれたわけですね。

あのおそるべき西郷隆盛は、擬人化された男尊女卑として解釈できるかもしれません。

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