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【自転車の歴史】
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日本人は自転車が何かわからなかった
海を越えたヨーロッパでは、大ブームであった自転車。
前述の通り同時代の杉元と谷垣はプルプルしてしまい、ろくに乗れておりません。
たしかに幕末の外国人居留地には自転車が持ち込まれていました。
とはいえ、庶民にとってはワケがわからない存在なのです。
乗り物という認識すらなく、激突する事故が多発。
明治3年(1870年)には大阪で、自転車の路上運転が禁止されたほどです。
ブームからはほど遠い状況でした。
しかし同年、東京では竹内寅次郎という人物が「自転車」という言葉を生み出しました。
許可を得て、製造しようと思い立ったのです。
明治10年(1877年)。
石川孫右衛門がアメリカからの自転車を輸入し、日本初のレンタサイクルを開始します。
これがかなりの人気を博し、同時期、この自転車に目を付けた職人たちがおります。
【廃刀令】で商売あがったりになりそうな、刀鍛冶たち。彼らは刀から自転車へ、金属加工技術の発揮先を変えようとしたわけです。
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そしてついに梶野仁之助が、明治12年(1879年)、日本初の自転車製造・販売を始めることとなります。
国産自転車への道のりは遠いもの。
当時の自転車店は、修理が中心でした。
自転車はリッチな証だった
明治20年代ともなると、自転車がぼちぼちと普及し始めます。
アメリカからの輸入品がほとんどです。
その価格は現在の貨幣価値で500万円ほど!
そりゃあ杉元や谷垣のような、一般家庭出身者では乗れたはずもありません。
当時の家族写真には自転車がよく映っています。
それは「自転車を買えるほど、我が家はリッチです!」というアピールなのですね。
鯉登家の家族写真に自転車が映っていても、何ら不思議はないでしょう。
昭和33年(1958年)の廃止まで、自転車には所有税すらかかっていたほど特別な存在。
明治20年代末期からは、自転車レースも開催され、若者たちが歓声を送りました。上野不忍池は、自転車レースの熱気が溢れていたとか。
彼らは華族や大商人の子弟ばかりです。
当時のスポーツ振興を支えていたのは、鯉登や『いだてん』に登場する三島弥彦のようなボンボンたちでした。
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同時期、海外から自転車で曲乗りをする外国人が来日したこともあり、サーカスの目玉として定着してゆきます。
山田サーカス団も、こうしたブームにあやかっているわけです。
杉元たちが山田サーカス団公演を終えて、年号が大正に変わりますと、それまで男性のものであった自転車が女学生へも普及し始めます。
時代がくだるにつれ、自転車は庶民的な乗り物として当然のものとして、生活に欠かせないものとなりました。ずいぶんと時間がかったのですね。
大人気漫画およびアニメ作品『弱虫ペダル』によって、自転車ブームが到来。
それからかなりの時間が経っています。
実はこのブームが、初めての自転車ブームではありません。
色々とカタチを変えながら、私たちの暮らしに大きな影響を与えて来ました。
当たり前すぎる乗り物だけに、さして注目は集まらないかもしれません。
が、人の暮らしと関わり、変えてきた、そんな乗り物でもあるのです。
自転車のペダルを踏みながら、明治の人はこんなことができなかったのだなぁ……なんて思いを馳せてみるのもよいかもしれません。
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文:小檜山青
【参考文献】
谷田貝一男、自転車文化センター『どんどん進化する!自転車の大研究―しくみ・歴史から交通ルールまで』(→amazon)
清水一嘉『自転車に乗る漱石―百年前のロンドン (朝日選書)』(→amazon)
キャシー・バッセイ (著), 大田直子 (翻訳)『女性のためのサイクリングガイド』(→amazon)