徳川家康のご登場からスタート。
さすがに明治時代とあっては家康の必要性も薄れ、ドラマ序盤にあった演出の工夫も見られず、黒子がパタパタするワンパターンモードに入りつつあります。
徳川家臣団が悲惨な目に遭っているのです。
家康はもっと沈痛な面持ちで子孫・慶喜の不甲斐なさを怒り、憤ってもよい場面では?と感じます。
殺伐とした水戸藩に対し慶喜は
慶喜へ報告を終えた栄一。
駿府藩庁に呼ばれると、大久保一翁らがおりました。駿府藩の勘定組頭として励むように言い渡されます。
しかし、水戸の徳川昭武に慶喜の書状も渡さねばならない。
-

欧州視察中に幕府が倒れてしまった!将軍の弟・徳川昭武が辿った波乱万丈の生涯
続きを見る
栄一は平岡準を睨みつけ、喧嘩を売るようなことを言います。
しかし、その決定は慶喜直々の命令だったと大久保から聞かされるのです。
水戸は天狗党が諸生党を追い詰めて殺害するリアル『北斗の拳』ワールドとお考えください。
昭武に会いに行ったら殺されかねない。本作では人間関係ロンダリングされておりますが、栄一は藤田小四郎とズッ友宣言をしております。だから駿府にとどまるように配慮をされたのです。
-

藤田小四郎が筑波山で挙兵|水戸藩・東湖の息子はムゴすぎる斬首刑に処され
続きを見る
ただ、これを「いい話だな」で済ませてよいものかどうか。
確かに栄一は死を回避できますが、水戸藩士は「人材が枯渇した」と言われるほど多くの命を落としているのです。民間人の巻き添えも出ました。
栄一だけでなく【天狗党の乱】の原因を作った徳川斉昭――その子である慶喜なり昭武は、何か尽力すべきだったのでは?とも感じます。
それに栄一の反応も、史実と比べると甘い。
慶喜と再会して、ペラペラと明るく調子良くフランストークをして、「噺家みたい」なんて反応もあったようですが……。
史実では、渋沢成一郎や土方歳三の例を出すまでもなく、戦闘真っ最中の人物も多々います。戊辰戦争のため、地獄を味わっている地域が日本各地に多数ありました。
それなのになぜヘラヘラとしているのか?
史実の栄一は慶喜の反応に苛立ちを感じ、実弟である昭武にあまりに冷たいと失望すら感じていたのです。
それすら歪曲してしまうのは、ドラマとしてどうなのでしょう。
大量の失業武士 その後の生活は?
そんな栄一は勘定組頭仕官の話を断ります。
武士の再雇用についての説明がすっ飛ばされていてわかりにくいので、少し補足しておきましょう。
明治新政府は、割と勢いで倒幕したところがあり、大量の失業者となる武士のことを忘れていました。
武士とは徳川幕府公務員のようなもの。幕府を倒してしまえば、その後、彼らがどうやって生きていけばよいのか? 非常に重要なところだと思うのですが、薩長はその辺を全く考えていませんでした。
今のアフガニスタン情勢を連想させるような無責任展開ですね。
では俸禄を失った武士の選択肢は?
1.「朝臣」として明治政府に出仕する
録高と屋敷が保持される好条件。
ですが、まず選ばれません。
二君に仕えることは忌み嫌われ、そんなことすれば八百屋や魚屋すら品物を売らなくなったと言います。
道義としては最低最悪の生き方ですので、選ぶ者は多くありませんでした。
2. 退職して農業なり商業を始める。
ノウハウがあればよいのですが、簡単に始められる事業などないことは、今も昔も同じですよね。
3. 無禄(無給)のまま駿府に移住する。
地獄の無収入生活の始まりです。
栄一の場合、家業の知見から商業知識がある。ゆえに「2」が当然の選択と言えるのに、なぜ大久保たちは驚くのでしょう?
そういう前提条件をすっ飛ばし、栄一だけがものすごいことを思いついたように描くのはおかしい。必要以上に主人公を持ち上げるため、コツコツと地味な史実改変を繰り返している気がしてなりません。
慶喜はこれを大久保から聞き「やはりおかしろき男だ」と言います。いや、それよりもアナタに散々尽くしてきた永井尚志が函館にいますよ! 思い出してあげて!
-

大政奉還を担った永井尚志|慶喜にも龍馬にも信頼された幕臣の生涯を振り返る
続きを見る
水戸の地獄は斉昭の自業自得
このあと栄一が書状を書くシーンへ。
手紙を受け取った昭武は「兄と渋沢はスペシャル!」とテンション上がってます。
それなのに新政府は水戸藩から人材を登用せず、父・徳川斉昭の教えを学んだ薩長に対して憤りを覚えているのですが……。
天狗党がらみの悲劇は、昭武の父・斉昭の無茶振りが原因です。
そのせいで水戸藩は人材が枯渇し、領内は殺伐としており、巡り巡って大久保利通も指摘したように倒幕へのステップの一つにもなったわけです。
ともかく昭武が嘆いた現状をザックリ三行でまとめておきますと……。
渋沢栄一も学んだ水戸学の呪いとでも言いましょうか。
慶喜も栄一も、とにかくキレイな人物像に描こうとしているため、歴史の流れが全くわからなくなっています。
水戸藩の悲劇については、読みやすい参考書籍を2冊ピックアップさせていただきますので、よろしければどうぞ。
失業手当に並ぶ幕臣たち
栄一は、杉浦愛蔵とも再会しました。
彼は学問を教えているそうで、ようやく幕臣の困窮がササっと語られます。
ただ、なんでもかんでも説明セリフで片付ける本作の弊害が出てしまっているような……。
栄一が領内を歩き回って、困窮の気配を察知する描写はできませんか?
『麒麟がくる』では、朝倉 義景の領地を見て回った光秀が、戦備不十分だと見抜く場面がありました。
ドラマなんですから、いちいち説明せずとも映像で認知させるほうが効果的なところも多々あるはずです。
それでも駿府藩は彼がいないとどうにもならないらしく、「勘定組頭になってもらわないと困る!」と平岡が追いかけてきます。
それでも栄一は塩対応。給与がなくて困っている人たちの前で、余裕たっぷりの態度はさすがに酷くありませんか? 親ガチャの時点で大当たりを引いた渋沢栄一らしさを表現しているんだとしたら、さすがにお手上げですが。
栄一は今の駿府の財政状況を聞きます。
駿府藩は新政府による太政官札でまかなっており、実質的には借金でやりくりしている。収入が増える見込みもない。
ともかく栄一は、商人と武士を集め、エラールに教えてもらった「コンパニー」方式で乗り切ろうとします。
その背景には、食い詰めた幕臣たち――汚しメイクをした彼らの顔が見えるのですが、あまりにわざとらしいメイクで見ている方が恥ずかしくなってて……えぇと、もうチョット自然なやつお願いします……。
小道具の図説にしても、時間がなくてちゃっちゃっと作った感があって、朱墨の色がなんだかおかしい気がするのですが……。
栄一の説明は、周囲に全く通じません。まぁ、突拍子もないことを言い出した感があるし、態度も悪いので仕方ないでしょう。
それなのに突然「商法会所」を作りました、って、いきなり押し切る展開です。
経済人大河 一番の見所を完全スルー
栄一のセリフが多くなり、かつ仕草が大仰になってきました。
明治の人には思い難い仕草もどんどん増える方向で不安は募るばかりです。
商法会所の商いに目を向けてみれば、
・具体性がない
の一言。
コンパニーで一体何をどう儲けるのでしょう?
静岡だからお茶的な雰囲気は出していますが、では、今までと違うコンパニーにしたら、どこがどう利ざやが増えるのか。渋沢の取組の何がどう画期的なのか。
経済人を主役とした大河にとって、ここは最大の見所でしょう!
しかし、何もない。
これが困ったことに……演じる方もチンプンカンプンと明かしておりました。
要するに本作は、演じる側が納得できるような説明すらしておらず、だからこそ「主人公補正」で押し切る。
栄一が何か言えば「よいことだ、へへー!」となる。そんな水戸黄門の印籠式システムで押し切るようです。もう九月も終わりですから、残りはずっとタップしていけばクリアという算段でしょう。
かくして主人公補正で、諸々の問題もクリア。
太政官札を交換するため東京へ行き、豪商・三井家で現金に交換してもらいました。
しかし、番頭の三野村利左エ門に額面の2割を手数料としてとられてしまう。そのお金をもって、栄一は肥料屋へ向かいます。
『あさが来た』でもそうでしたが、三井が好きですね。本来、NHKは特定の企業や団体を支援するようなことはルール違反のはずですが、その辺は問題ないのかな。
なぜ地元大阪で肥料を買わず五代に頼むのか
現金を得た栄一は東京の街中へ出て、肥料を買おうとします。
なぜ東京なのか?
静岡で得られないなら、どんな作物で、その肥料にはどんな効能が考えられるのか?
蚕ダンスなんかのシーンを作ってる時間があったら、こういう実務的な説明が欲しい。
するとそこへ五代様が登場。
-

薩摩随一の経済人だった五代友厚(才助)49年の生涯で実際どんな功績が?
続きを見る
こちらは稲作用の肥料を買いたいと言ってきました。
大阪で頼まれたそうですが……どうしても違和感が拭いきれない。
関西ではなく、東京で買うメリットってなんなんでしょう?
輸送や倉庫のコストも嵩むでしょうし、思い出すのは処刑前の天狗党が押し込められた「ニシン蔵」です。肥料用のニシンを入れていた蔵ですね。
そういう肥料流通の海運ルートは江戸時代からあり、大阪といえばそんな船運で栄えたど真ん中の商都です。
「そんなんうちらが取引しとるで!」と、大阪商人ならば言い出しそうなものなんですよ。
-

菱垣廻船と樽廻船の物流トラブルが激化した理由|お互い何を運んでいた?
続きを見る
なのになぜ五代が、わざわざ自分で肥料屋に出向かなければならないのか。
しかも渋沢と違って五代は肥料のことを何もわかってない。
そんな疑問には当然答えてくれず、五代は「官軍崩れがいる」と渋沢に危険を伝えます。しかも官軍が給料を支払えないから強盗まがいのこともしているようです。
なんだろう。この五代様って昔のRPGのNPCみたいですね。
「この辺りは 官軍くずれがいて 危険だ!」
「話す」ボタンを押せば、何回でも答えてくれそうな……。
NHKは五代様が大好きですが、なぜ五代本人の功績を無視した架空キャラクター状態にしてしまうのでしょう?
『あさが来た』にしても、広岡浅子と五代はほぼ面識がありません。しかし、ドラマではヒロインの夫を食うほどラブラブな間柄にしていましたね。
生存者バイアス
五代がその場から去り、街並みに消えたところで、栄一はようやくパリ万博の一件を思い出しました。
頭がキレる設定の人物にしては鈍感すぎやしませんか。
確かに西の五代と東の渋沢は並び称されましたが、無理に絡めるからこうなるんですよ。
はい、ここでほのぼの血洗島タイム。家族愛をアピールする時間です。
大事件で目白押しの明治初期なのに、こんなに毎週ホームドラマをする意図がはかりかねます。まぁ、かわいい子役を出せばそれだけでも話題性十分ですね。
そして成一郎の話題にも飛び、シーンは戦場の函館へ。
高松凌雲の治療が描かれます。
怪我で苦しむ負傷兵が大声で戦況を説明しています。
一方、栄一のいる駿府には、血洗島から妻子が到着しました。
三人での幸せに浸る栄一。思えば史実でもこの辺りから、愛人関係がド派手になっていきますが、その詳細は以下の記事に譲るとしまして。
-

女遊びが強烈すぎる渋沢スキャンダル 大河ドラマで描かれなかったもう一つの顔
続きを見る
商法会所では、武士と商人たちが不満を抱えた状態のまま働き、栄一とその家族は元気はつらつ。意図的かどうか不明ですが、本作はとにかくどっぷり【生存者バイアス】に浸かっています。
栄一の言動はおかしい。
帰国時点ではどうなるのかわからない状態でも、余裕たっぷりで「自分の才能を生かす!」と言い切ります。まるでわかりきっているかのような口ぶりで違和感があるのです。
『麒麟がくる』では、越前に逃れた明智光秀が生活苦でやつれきっていました。
彼の場合「自分はいずれ天下取りをする大名のもとで出世できるほど賢いんだぞ!」なんて自信に満ちていなかったわけです。
現実社会においては、あの反応がどう考えてもリアルでしょう。
しかし栄一は今日も元気いっぱい!
武士は刀を捨ててそろばんを持とう!
商人は駿府を背負う矜持を持とう!
武士も商人も、互いを認め合って生きてゆきましょう!
って、なんなんでしょうか。昭和企業の朝礼?
箱館で苦しむ成一郎や、亡くなったばかりの平九郎を思えば、この方のメンタルが強靭すぎてワケがわかりません。
近藤を偲んで散ったはずの土方が
そして思い出したかのように戊辰戦争へ。
市村鉄之助らしき少年に遺品を託す土方歳三です。
思ったことを全て説明セリフで語るところが、もう悲しくて仕方ないのですが、なぜ土方が最期に思い出すのが渋沢栄一の「生きろ」という言葉なのでしょうか?
そもそも渋沢成一郎が横にいることそのものが、土方への侮辱にすら思えてきます。
この土方像も「『燃えよ剣』で補ってくれ!」案件ですね。
死を目の前にした土方は、ずっと近藤勇のことを思っていた。
ここで死なねばどうして近藤にあの世で顔を合わせることができようか?
そういう武士の誇りを抱き戦っていました。
-

幕末を生き急いだ多摩のバラガキ・土方歳三が五稜郭に散る|生涯まとめ
続きを見る
-

近藤勇が新選組で成し遂げたかったことは?関羽に憧れ「誠」を掲げた35年の生涯
続きを見る
それなのに本作では「仲間」とモブ扱いの近藤さん。思い出されるのは渋沢栄一というこの悲劇……。
※史実の箱館戦争で、土方と隣り合って戦い、親しくしていたのは渋沢成一郎ではなく、会津藩士・秋月登之助です
無駄にモノクロを使ったり、血だけ赤くしたり、死んでいった人々の回想を入れたり、スローモーションにしたり。時間稼ぎをしているようでもう何が何やら。
最近、話のテンポが本当に遅くなりました。
渋沢成一郎の戊辰戦争についても、結局なんだったのでしょう。
彰義隊を描くこともなく、小栗忠順のもとへ向かったこともなし。箱館戦争でも土方の添え物に見えた。
-

2027年大河ドラマ『逆賊の幕臣』小栗忠順|なぜ近代化を推し進めた幕臣は殺された?
続きを見る
成一郎のシャウト逃亡から数日後、五稜郭は落ち、戦いは終わりました。
駿府の栄一は、川村と函館のことを語っています。
ここでも誰にも思い出されない永井尚志が不憫で私は泣いてしまいそうです。函館でも一度登場するだけで終了でした。
そして大隈重信邸では、伊藤博文らが大はしゃぎ。
五代らがテキパキと語りつつ、また五代持ち上げトークが始まります。
気になるのは本作の方言指導でしょうか。
複数の方言が混じり合うとイントネーションがみな少しづつ共鳴してしまって、かなり耳に苦しくなってきました。
大隈重信の扱いはお笑い枠なのでしょうか?
要するに「渋沢がすごい!」と大隈が気付く――それだけを描けば十分だから妙なシャウトを繰り返していたのでしょうね。
総評
私は苦言ばかりで申し訳ありませんが、本作は好評らしいです。
他の作品と比較して、その理由を自分なりに分析してみました。
・難易度が低い
説明セリフが多く、演出が大袈裟なのでボーッと見ていてもついていけます。
NHKのもう一枚の看板である『おかえりモネ』と比較するとわかりやすいかもしれません。
あのドラマはヒロインはじめ登場人物の表情を敢えて無表情にしています。
さらに台詞に専門用語が多く難易度高、視聴率低の傾向があるのです。
・ハロー効果
お札になる人物だし、脚本家はなんといっても『あさが来た』の大森さんだ!
この時点でブランド効果はバッチリです。
中身を判別するというのはなかなか面倒なもので、人間はブランドを見てある程度価値を決めます。
ワインの味でなく、ラベルで判断するような効果。これを「ハロー効果」と呼びます。
・美男美女!
毎年そうといえばその通りですが、今年は華やかな美形をずらりと揃えています。
・幕末のエアポケットを扱う
織田信長のことは多くの人が知っている。幕末でも薩長ならばわかる。こうした知識を甘く見たのか『花燃ゆ』と『西郷どん』は失敗しました。
しかし水戸藩あたりのこととなると、知識がある人はそうそう多くない。
それゆえ破綻が指摘されにくい。
ざっと、こんなところでしょうか。
しかし明治以降はどうなるのでしょう。他の要素はともかく、難易度があがり、理解が難しくなる。
今回、難易度がかなり上がりました。
顕著だったのはラストの五代、伊藤博文、大隈重信らが会話する場面です。
セリフに情報量を詰め込みすぎている。しかも慣れない訛りを使うためか、噛み締めるというよりも手一杯でガーッと読むので、非常にわかりづらい。
家康の説明も、序盤ほと丁寧でなくなってきました。戦国時代を生きた家康に、明治の経済を説明させるのもさすがに無理があるでしょう。
栄一の場面も主人公補正のゴリ押しが目立ちます。派手な動きと演出で押し切っていますが、かなり苦しくなってきました。
そうなると明治に入るまで時間をかけた理由もわかります。
幕末の時点でもそうでしたが、資料の読み込みがスムーズにできていないから、不自然な処理が目立ってしまうのでしょう。
渋沢の経歴からすればいよいよ本番のはずですが、難易度を低くしていた反動が来て、厳しいことになりそうです。
生き延びたら勝ち♪ でいいの?
幕臣でありながら妻子が揃っている時点で、渋沢栄一は【生存者バイアス】まっしぐらということは頭の隅にでも入れておいてください。
『八重の桜』で描かれた会津藩の場合、家族を失った人物が多い。
西田敏行さんが演じた西郷頼母はその代表例で、老母、妻、娘たち……ことごとく自害した悲劇で知られています。
なぜそんなことを持ち出すかと言いますと、今後栄一が家族愛アピールをするだけで胃がキリキリする人もいるということ。
栄一は、言ってしまえば上級国民でしたが、明治時代は過酷です。
NHKを代表するドラマ枠といえば、大河と朝ドラです。
朝ドラの『おちょやん』にせよ『おかえりモネ』にせよ、サバイバーズギルトが主人公たちにはありました。
前者は戦争、後者は東日本大震災です。
辛い目にあったからこそ、目の前の人を救いたい。
そう精一杯生きる姿が印象的なのですが、栄一はスイッチでも入れるように切り替えてしまうから嘘くさく感じてしまうのです。
「武家の商法」とは何か?
本作は、徳川家康が士農工商を否定しました。
しかし表層的な話で終わり、江戸から明治の制度について真面目に学んでいないと思えます。
例えば、小栗忠順なり、栗本鋤雲の功績を真面目に学んでいたら、「武士は経済ができない」なんて描き方はしないはず。
なぜ、小栗=ネジで終わらせたのでしょうか。
小栗にせよ栗本にせよ経済通の武士です。前者が落命、後者が出仕拒否をしたせいで現代では知られていませんが、センスの上では渋沢栄一に劣っていたとは思えません。
算盤を弾いていた武士はいます。
江戸時代の国家経済なり藩の経済を担っていたのは武士ですから、彼らが全員経済に疎いはずがない。そんなことは当然です。
では、どうしてこんなステレオタイプの武士像がまかり通るのか?
確かに「武家の商法」という言葉はあり、その辺りの曲解からではないでしょうか。
駿府にせよ、東京にせよ、それこそ悲しい武士の姿があふれました。
彼らだって余裕があればそんなことはしなくて済んだのに、明治政府が無責任に武士を無給で投げ出したため、生きていくために家財道具を売りに出した。
それを商人たちが買っていく。
バカだねえ、こんないいものならもっと高値でいいだろうに……そう思いながら、由緒ある家宝を買い漁るのです。
武士とすればそんな情けない姿を見られたくないから、夜になってから商売をする。顔を隠す。やたらと高飛車か、あるいは極端に丁寧なので、バレてしまう。
そんな悲しい武士のことを「武家の商法」と呼んだのです。
彼らは愚かでも、威張り散らしていたのでもない。
そんな悲しい武士のことをちゃんと考えてこの描写なのでしょうか? なぜ150年後になってまで、不正確で侮蔑的な描写を公共放送で流すのか。
世間では「侍」なんてキーワードを随所に用いているのに、悲しさがこみあげてきます。
洋装は体のラインが大事
『キングスマン』という映画シリーズがあります。
『キングスマン: ファースト・エージェント』の今年末の公開も楽しみですね。
この映画は、オーダーメイドスーツが重要な役割を担っております。高級テーラー店の裏にはスパイ組織が……そんな展開です。
なぜこんな話をするか?
というとオーダーメイドスーツが如何に重要か?という点を考えてみたいから。
洋装は体のラインをピッタリ見せることが重要です。
近代の制服、たとえば軍服は、色やある程度の指定はあるものの、各人が予算が許す限り凝ることができました。
貧乏な士官はお下がりのもの。
一方で金持ちボンボン士官となればこだわったシルエットにできるのです。
イケメンを売りにした大河となれば、それこそ気合を入れた洋装にすることでしょう。……が、しかし!
そのことに違和感を覚えたのは、公式SNSで見た土方歳三の軍服でした。
サイズが合っていない。
綺麗に体のラインが出ていない。
土方歳三の衣装はストックがあるだろうから、それをあまり調整せずに使いまわしているのかと当初は思っていました。
しかし、そうではないらしい。
公式サイトにおいて、黒澤和子さんがデザインした明治編の洋装特集ページがありました。特集で使うほどならば写りの良いショットを使っているのでしょうが、それにしてもおかしい。
ネクタイは浮いている。スーツも体にあっていない。そもそも生地に違和感を覚える。
黒澤さんの力量は過去大河で証明済ですので、デザインの問題ではないでしょう。
採寸、縫製、生地の調達……何もかもがおかしい。ついでに言うと髪型もどうしたものかと思いますし、所作指導も甘い。
明治の日本人が洋装所作ができないのは当然としましても、今年は和装所作もできていないので何とも……。
NHKで放映もした『ダウントン・アビー』と比較してみますと、やはり衣装の出来がちがう。
イギリスの視聴者は目が肥えていてかつ厳しいので、こう言う時代物だと突っ込みが厳しいのです。
「あからさまにミシンだけで縫ったとわかるドレスでどうするんだ!」
「当時の貴族がこんな布地を使うわけありません」
「エドワーディアンにはこんなシルエット流行ってないから」
そういう厳しい目線を意識したら、そりゃ綺麗な服になるでしょうね。
土方の最期を邪魔したW渋沢
土方の伝記に、渋沢コンビが出てくることはありません。
渋沢栄一と土方歳三が親友なんて捏造です。池田屋事件で遅れて到着した土方が無双をした描写もそう。
このドラマの土方は、生没年程度が一致しているくらいで、あとはオリキャラ状態。土方に思い入れがあり『燃えよ剣』を熟読した層を悪い意味で直撃する描写の連続です。
なぜ、思い入れたっぷりに、土方が渋沢コンビに何か言い残すのか?
要は、ただの客寄せですよね。
渋沢栄一がらみで土方を出すのなんて、「晩年になったら、土方とであったことをネタとして話していたよ」程度です。
そういうネタだけでこんなに時間を使う。ペース配分が何もかも妙ちくりんです。
土方歳三という人物は取り上げる一方で、近藤勇も、会津藩もろくに描かない。渋沢コンビが割って入る。
武士としての矜持を貫き、戦場に散った人間の尊厳を踏み躙るようで、思いもよらないことでした。
本作は一応、公共放送の大河ドラマです。それなのに、ふさわしい道義や良心はあるのかどうか?
かっこいいトシさんなら『燃えよ剣』でも見るしかありません。映画に行けなくても、原作だって十分にワクワクできますよ。
司馬遼太郎『燃えよ剣 (文春e-book)』(→amazon)
トシさん死ぬ死ぬ詐欺の効果
渋沢コンビがノイズとなってしまい、客寄せだったトシさん。
先週こう書き、言い過ぎかと思ったら予測通りの反応が見られました。
露骨な視聴率稼ぎの手段として「クリフハンガー」という用語があります。
この手法は、観劇する者に「自由に物語の結末を想像させる」ことが特徴となる。しかし、海外ドラマ(特にアメリカ)の用語としては、やや原義とは異なり、中途半端な終わり方でその続きが気になるようなシーズンエンド(つまり作品全体の大団円ではなく、1シーズンの最終回)での物語の進行を遅延・未解決にする作劇手法を指す。そのため、一般的にアメリカのテレビドラマの場合、「シーズンエンド」と同義語である。
Wikipediaより
典型例が『ゲーム・オブ・スローンズ』シーズン5最終話。
作中屈指の人気キャラクターであるジョン・スノウが刺され、生死不明のまま次シーズンへと持ち越しになったのです。
このクリフハンガーが陳腐化しなかった理由を考えてみますと……。
・圧倒的人気
・ジョンのいないドラマなんて考えられないほど重要
・まだ未回収の伏線がある
・原作にはない展開でもあり、予想ができない
とまぁ、ファンが激論を交わす余地がありました。
では、こちらのクリフハンガーは?
◆町田啓太演じる土方、壮絶激闘予告に「泥と血にまみれても美しい」「来週しっかりと見届けます」の声(→link)
「来週しっかり見届けます」……つまりは死ぬとわかっています。史実ですからね。
『ゴールデンカムイ』のような土方生存ならば別ですけれども、要するにまとめるとこうです。
・土方は人気だから
・町田啓太さんのファンが熱心に盛り上げているから
本作の土方は、初登場時から数秒しか出番がない細切れ状態でした。
唯一の長い出番は、初対面の栄一に自分語りをするわざとらしい場面のみ。おまけに照明がやたらと暗く、よく見えませんでした。
しかも“ぼっち新選組”状態で、近藤勇と会話する場面すらありません。近藤について語ることすらない。ソロ活動です。
土方でありながら、他の隊士との関係性もわからない。土方らしい戦闘術も用いていない。
断片的な材料で何も判断しようがないというのが、私なりの“判断”です。
作り手が狙っていた、視聴者の反応は、土方の死を目撃し、SNSに書き込み、盛り上がることでしょう。
町田さんの演じる土方は視聴者からの評判がよく、ドラマに登場するたびに「大河ドラマ史上最高の土方歳三」「大河ドラマ史上1番カッコイイ土方歳三ですね」「史上最強の土方歳三」などの声がSNSで殺到しました。
ファン層は「ナンバーワン」であることを強調します。
しかし、具体的にどこがよいのか、他作品との比較といった指摘もなく、根拠は薄弱です。
これで良いのでしょうか。
箱館戦争を描くなら、今後、大河に出るかどうか未知数な、渋沢成一郎を盛り上げるのが本来の展開では?
武士としての生き方を貫こうとしているところは一見の価値ありでしょう。
もちろん、すっかり忘れ去られた永井尚志も気の毒でなりません。
VODはじめネット配信がこれからも発達するであろう時代です。
SNS一瞬の盛り上がりのためテレビをつける習慣は、どんどん薄くなっていくことでしょう。
むしろ古臭い。十年後には消えるような手法で数字を稼ぐ。そうまでしなければならないNHKサイドの事情も気になります。
こんな記事がありました。
◆<山田裕貴>「燃えよ剣」で冷静、冷酷な徳川慶喜に「こんな将軍がいたら嫌だなぁ」を体現(→link)
『燃えよ剣』に徳川慶喜として登場した山田裕貴さんの感想。これが史実に近い慶喜でしょう。
原作では、土方以下、新選組、会津藩士、幕臣はみな慶喜に絶望していました。
血を流し、忠義を尽くしているのに、将軍様は軍艦逃亡だ。
しかも女連れ! こんな情けないことあるか!
そういう土方の気持ちを想像するとどうなるか。
慶喜本人も、そしてその慶喜に忠義を尽くす甘っちょろい渋沢栄一も、彼とは対極にあると想像がつきます。
いちいち生き延びろだのなんだのヘラヘラ言っている本作の栄一なんて、それこそ『燃えよ剣』の土方とは正反対。
私が興味を持っているのは、どうしてこんな情けない幕末の人物像を、日本人はもてはやすようになったかということ。
『燃えよ剣』がベストセラーだった頃には、そうではなかったでしょうに。
論語読みの論語しらず
渋沢栄一といえば『論語と算盤』が有名です。
しかし渋沢大河である本作は儒教道徳に反した描写が頻出し、全くもって信じられません。
いわば「論語読みの論語知らず」。うわっつらだけすくいとって理解していないと。
この点、孔子が待ち望んだ麒麟到来をテーマにした『麒麟がくる』は秀逸でしたが。
そこで『論語』をもとに、本作の問題点をみてゆくこととします。
論語でツッコミ1「巧言令色鮮(すくな)し仁」
『論語』学而(がくじ)に
「巧言令色鮮(すくな)し仁――」
という言葉があります。
言葉巧みで、表情をニコニコととりつくろって人に気に入られようとする者には、仁の心が欠けている。
栄一がまさにこれですね。やたらと綺麗なフレーズを並べ、大仰に表情を作ります。
しかし、中身がない。
先週のフランスでの話にせよ、エレベーターがどうこうでなく、サン=シモン主義でも語らせておけば、それなりに格好もついたでしょう。
あれではパリで観光しただけにも見えてしまう。
論語でツッコミ2「怪力乱神を語らず」
本作の特徴として、スピリチュアルであるということがあげられます。
出演者のインタビューを読んでいても、『月刊ムー』を彷彿とさせる何かがあるのです。
真っ向から否定して申し訳ありませんが、この世界には“見えない力”というものはないと主張したい。
『あさが来た』の時点で、指摘されてはいたのです。
グラバーから武器を買い取り売り飛ばした、五代はそんな“死の商人“の一面があり、薩摩閥の政商を過剰に美化するのは何事か?と。
要するに「明治礼賛」の一部であり、その手の推察は私一人が言い出したことでもありません。
何度も指摘しておりますが、ディーンさんのルーツである福島県には、五代が買い取った武器で亡くなった方の慰霊碑があちこちにあります。
彼の先輩である福島出身の俳優といえば西田敏行さん。
彼は『翔ぶが如く』で西郷隆盛を演じるにあたり、福島出身ゆえに葛藤したと語り残しています。俳優ゆえに演じるのが仕事にせよ、そういう葛藤があっただけでも免罪にはなる。
誰かのスピリチュアルな部分をどうこう言う気はありませんし、本人の自由です。
ただ、本作のスピリチュアルは、漢籍教養の欠如を証明することになり、よろしくないように思えます。まさに「論語読みの論語しらず」という言葉通りなのです。
スピリチュアルという外来語ではなく、漢籍由来の言葉だとこうなりますね。
『論語』「述而」(じゅつじ)にある「怪力乱神を語らず――」です。
理屈では説明しきれない、不思議な現象や存在を語ってはなりませんよ。
本作において『論語』の理解すら危ういのは、こんなところで自然と露になっているのです。
ナビゲーターの家康なんてまさに超常現象の類ですし、そもそもが家康の築き上げた社稷(しゃしょく・国家の意)を迂闊なことを繰り返してぶん投げた慶喜は、それこそ儒教道徳でいえば祖先にあわせる顔もない。
いわば劉禅扱いの人物です。
王朝を破壊したダメな子孫をなぜ家康が庇うのか?
理由は推察できるところではありますが、それは別の機会に譲ることにして、とりあえず言いたいのはこれです。
「王朝を破壊した子孫を庇うご先祖の霊(か何か)」という設定時点で、作り手が儒教のことをまるで理解しておらず、ガッカリなのです。
ゆえに、こういう記事もあやしさが増します。
◆ 「資本主義の父」じゃない? 渋沢栄一が現代に問うもの(→link)
この記事では、道徳と経済の両立を唱えたとされておりますが、渋沢栄一の『論語』解釈は鵜呑みにはできません。
というのも、言葉は悪いけれども儒教を魔改造したとしか言いようがなく、本場から見たら「どうしてそうなった?」と言われかねないものなのです。
渋沢は、危険な水戸学および幕末の陽明学にどっぷり浸かっています。
まっとうな中国思想研究者からすれば「なんかあかんやろ……どないなっとんねん」と首を捻るような超解釈をしている。
渋沢は中国思想の専門家ではなく、仕方がないかもしれません。
文学者かつ漢籍のエキスパートだった幸田露伴が、渋沢の話を語りたがらなかった理由もなんとなく想像はつく。
ゆえに『論語と算盤』論をふりかざすのは危険が伴います。
漢籍理解について突っ込むと、今年の大河はおかしい。『麒麟がくる』における漢籍理解の高さが素晴らしかっただけに、引っかかることばかりです。
論語でツッコミ3「朽木糞牆」
私のレビューについて、今年は厳しいと不平不満を述べられる方もおられます。
『八重の桜』を評価しながら今年はなぜ?
そんな指摘については『論語』「公冶長」の「朽木糞牆(きゅうぼくふんしょう)――」と答えさせていただきます。
朽ちた木は彫刻できないし、腐った壁は塗りかえができない。要するに、手の施しようがない。
本作は扱う人物とテーマの時点で問題があり、どうあがいてもまともな歴史劇は作れない。
ゆえに厳しいのは致し方ありません。
『獅子の時代』は渋沢栄一大河だったものを変えたという説もありますが、山田太一氏が渋沢栄一なぞ大河で顕彰するにふさわしくないと思ったのであれば、納得できるところではあります。
彼ははなから腐ったテーマを加工できないと判断したのではないでしょうか。
その理由はSNS投稿や個人ブログでは散々指摘され、僭越ながら私のnoteでも指摘させていただいてました。
ネットニュースでも出てきています。
◆『青天を衝け』では描かれない!? 渋沢栄一韓国侵略の象徴などネガエピソードが続々噴出(→link)
要するにドラマで歴史修正が行われ、ネガエピソードについては「噴出」も何も、ちょっと調べたら続々と出てくる基礎的事実です。
大河主人公どころか、新札の顔としても疑問符しかありません。
イギリスではチューリングを新札の顔にします。
コンピューターの生みの親であるとされ、ナチスのエニグマ暗号を破った人物です。
では、同じく対独戦で国を率いたチャーチルはお札の顔にふさわしいか?
イギリス政府は気遣いがありますので、チャーチルを起用することはありえません。
彼がインドに対する差別意識をあらわにしていたからです。
◆ 「ガンディーはぞっとするほど不快」チャーチルの極悪非道な人種差別 なぜ悪党ばかりが権力を手にするか(→link)
チューリングの場合、インドへの態度がチャーチルとは異なる。かつ、彼自身が差別をされた被害者側です。
チューリングは当時違法とされた同性愛による差別を受け、自殺した悲運の人物なのです。
これはアメリカで紙幣に登用されるタブマンにも該当しますが、国家による差別被害者を顕彰することで、国家の過ちを償う意味もあるのです。
では日本ではなぜ渋沢栄一を選んだのか?
世論に対する過小評価ではないでしょうか。
韓国が渋沢栄一を批判するとすれば、それは「ネガティブキャンペーン」ではなく歴史の総括です。
まっとうなアメリカ人が『はだしのゲン』のような反原爆ものを「アメリカへのネガティブキャンペーンだ!」などと言うことは、かつてはともかく21世紀ではありえません。
ただ、そうはいってもこんな意見もありましょう。
「なんだかんだで渋沢栄一は日本の発展に貢献した人物だ!」
「ドラマはドラマだから大目に見ようではないか!」
そう言いたいのはわかりますが、渋沢には、日本人が振り返っても眉をひそめたくなるような言動がありました。
・関東大震災で民衆に責任転嫁した「天譴論」を主張
譴論とは本来、為政者の悪徳を罰するために天災が起こるとするものですが、渋沢は民衆の行いが悪いと改悪した挙句、大々的に主張しました。
-

女遊びが強烈すぎる渋沢スキャンダル 大河ドラマで描かれなかったもう一つの顔
続きを見る
・労働者の権利を守る工場法(労働基準法の前身)を10年間にわたり成立阻止
要はブラック労働推奨派ですね。
・長州閥の政治家と蜜月関係を築く
明治の長州閥政治家は金に汚く、汚職三昧で悪名高いものでした。
・ハンセン病患者隔離の一因を作る
・大公害となった足尾銅山開発支援
・愛人と庶子多数で思想的にも男尊女卑が厳しい
当時はそんなものという擁護は厳しいと思います。
少なくとも『八重の桜』の新島襄や山本覚馬など、渋沢と同世代でも女性の権利を守ろうとした人はいました。
・皇国史観の元となる水戸学の強烈な信奉者
★
韓国のことはさておき、日本人の視点から見ても、顕彰するに値するとはとても思えない渋沢栄一。
ドラマでは経歴ロンダリングをした結果、最も活躍した明治期に入るまでに放送期間の大部分を要し、オリパラがあったにせよ、明治維新が9月まで引っ張られました。
誤魔化しに次ぐ誤魔化しをされたところで、何をどう評価すればよいのか。
私はただただ戸惑うばかりです。
本文に登場する関連記事
-

女遊びが強烈すぎる渋沢スキャンダル 大河ドラマで描かれなかったもう一つの顔
続きを見る
-

欧州視察中に幕府が倒れてしまった!将軍の弟・徳川昭武が辿った波乱万丈の生涯
続きを見る
-

藤田小四郎が筑波山で挙兵|水戸藩・東湖の息子はムゴすぎる斬首刑に処され
続きを見る
-

大政奉還を担った永井尚志|慶喜にも龍馬にも信頼された幕臣の生涯を振り返る
続きを見る
-

薩摩随一の経済人だった五代友厚(才助)49年の生涯で実際どんな功績が?
続きを見る
【参考】
青天を衝け/公式サイト









