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【青天を衝け第27回感想あらすじレビュー】
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総評
私は苦言ばかりで申し訳ありませんが、本作は好評らしいです。
他の作品と比較して、その理由を自分なりに分析してみました。
・難易度が低い
説明セリフが多く、演出が大袈裟なのでボーッと見ていてもついていけます。
NHKのもう一枚の看板である『おかえりモネ』と比較するとわかりやすいかもしれません。
あのドラマはヒロインはじめ登場人物の表情を敢えて無表情にしています。
さらに台詞に専門用語が多く難易度高、視聴率低の傾向があるのです。
・ハロー効果
お札になる人物だし、脚本家はなんといっても『あさが来た』の大森さんだ!
この時点でブランド効果はバッチリです。
中身を判別するというのはなかなか面倒なもので、人間はブランドを見てある程度価値を決めます。
ワインの味でなく、ラベルで判断するような効果。これを「ハロー効果」と呼びます。
・美男美女!
毎年そうといえばその通りですが、今年は華やかな美形をずらりと揃えています。
・幕末のエアポケットを扱う
織田信長のことは多くの人が知っている。幕末でも薩長ならばわかる。こうした知識を甘く見たのか『花燃ゆ』と『西郷どん』は失敗しました。
しかし水戸藩あたりのこととなると、知識がある人はそうそう多くない。
それゆえ破綻が指摘されにくい。
ざっと、こんなところでしょうか。
しかし明治以降はどうなるのでしょう。他の要素はともかく、難易度があがり、理解が難しくなる。
今回、難易度がかなり上がりました。
顕著だったのはラストの五代、伊藤博文、大隈重信らが会話する場面です。
セリフに情報量を詰め込みすぎている。しかも慣れない訛りを使うためか、噛み締めるというよりも手一杯でガーッと読むので、非常にわかりづらい。
家康の説明も、序盤ほと丁寧でなくなってきました。戦国時代を生きた家康に、明治の経済を説明させるのもさすがに無理があるでしょう。
栄一の場面も主人公補正のゴリ押しが目立ちます。派手な動きと演出で押し切っていますが、かなり苦しくなってきました。
そうなると明治に入るまで時間をかけた理由もわかります。
幕末の時点でもそうでしたが、資料の読み込みがスムーズにできていないから、不自然な処理が目立ってしまうのでしょう。
渋沢の経歴からすればいよいよ本番のはずですが、難易度を低くしていた反動が来て、厳しいことになりそうです。
生き延びたら勝ち♪ でいいの?
幕臣でありながら妻子が揃っている時点で、渋沢栄一は【生存者バイアス】まっしぐらということは頭の隅にでも入れておいてください。
『八重の桜』で描かれた会津藩の場合、家族を失った人物が多い。
西田敏行さんが演じた西郷頼母はその代表例で、老母、妻、娘たち……ことごとく自害した悲劇で知られています。
なぜそんなことを持ち出すかと言いますと、今後栄一が家族愛アピールをするだけで胃がキリキリする人もいるということ。
栄一は、言ってしまえば上級国民でしたが、明治時代は過酷です。
NHKを代表するドラマ枠といえば、大河と朝ドラです。
朝ドラの『おちょやん』にせよ『おかえりモネ』にせよ、サバイバーズギルトが主人公たちにはありました。
前者は戦争、後者は東日本大震災です。
辛い目にあったからこそ、目の前の人を救いたい。
そう精一杯生きる姿が印象的なのですが、栄一はスイッチでも入れるように切り替えてしまうから嘘くさく感じてしまうのです。
「武家の商法」とは何か?
しかし表層的な話で終わり、江戸から明治の制度について真面目に学んでいないと思えます。
例えば、小栗忠順なり、栗本鋤雲の功績を真面目に学んでいたら、「武士は経済ができない」なんて描き方はしないはず。
なぜ、小栗=ネジで終わらせたのでしょうか。
小栗にせよ栗本にせよ経済通の武士です。前者が落命、後者が出仕拒否をしたせいで現代では知られていませんが、センスの上では渋沢栄一に劣っていたとは思えません。
算盤を弾いていた武士はいます。
江戸時代の国家経済なり藩の経済を担っていたのは武士ですから、彼らが全員経済に疎いはずがない。そんなことは当然です。
では、どうしてこんなステレオタイプの武士像がまかり通るのか?
確かに「武家の商法」という言葉はあり、その辺りの曲解からではないでしょうか。
駿府にせよ、東京にせよ、それこそ悲しい武士の姿があふれました。
彼らだって余裕があればそんなことはしなくて済んだのに、明治政府が無責任に武士を無給で投げ出したため、生きていくために家財道具を売りに出した。
それを商人たちが買っていく。
バカだねえ、こんないいものならもっと高値でいいだろうに……そう思いながら、由緒ある家宝を買い漁るのです。
武士とすればそんな情けない姿を見られたくないから、夜になってから商売をする。顔を隠す。やたらと高飛車か、あるいは極端に丁寧なので、バレてしまう。
そんな悲しい武士のことを「武家の商法」と呼んだのです。
彼らは愚かでも、威張り散らしていたのでもない。
そんな悲しい武士のことをちゃんと考えてこの描写なのでしょうか? なぜ150年後になってまで、不正確で侮蔑的な描写を公共放送で流すのか。
世間では「侍」なんてキーワードを随所に用いているのに、悲しさがこみあげてきます。
洋装は体のラインが大事
『キングスマン』という映画シリーズがあります。
『キングスマン: ファースト・エージェント』の今年末の公開も楽しみですね。
この映画は、オーダーメイドスーツが重要な役割を担っております。高級テーラー店の裏にはスパイ組織が……そんな展開です。
なぜこんな話をするか?
というとオーダーメイドスーツが如何に重要か?という点を考えてみたいから。
洋装は体のラインをピッタリ見せることが重要です。
近代の制服、たとえば軍服は、色やある程度の指定はあるものの、各人が予算が許す限り凝ることができました。
貧乏な士官はお下がりのもの。
一方で金持ちボンボン士官となればこだわったシルエットにできるのです。
イケメンを売りにした大河となれば、それこそ気合を入れた洋装にすることでしょう。……が、しかし!
そのことに違和感を覚えたのは、公式SNSで見た土方歳三の軍服でした。
サイズが合っていない。
綺麗に体のラインが出ていない。
土方歳三の衣装はストックがあるだろうから、それをあまり調整せずに使いまわしているのかと当初は思っていました。
しかし、そうではないらしい。
公式サイトにおいて、黒澤和子さんがデザインした明治編の洋装特集ページがありました。特集で使うほどならば写りの良いショットを使っているのでしょうが、それにしてもおかしい。
ネクタイは浮いている。スーツも体にあっていない。そもそも生地に違和感を覚える。
黒澤さんの力量は過去大河で証明済ですので、デザインの問題ではないでしょう。
採寸、縫製、生地の調達……何もかもがおかしい。ついでに言うと髪型もどうしたものかと思いますし、所作指導も甘い。
明治の日本人が洋装所作ができないのは当然としましても、今年は和装所作もできていないので何とも……。
NHKで放映もした『ダウントン・アビー』と比較してみますと、やはり衣装の出来がちがう。
イギリスの視聴者は目が肥えていてかつ厳しいので、こう言う時代物だと突っ込みが厳しいのです。
「あからさまにミシンだけで縫ったとわかるドレスでどうするんだ!」
「当時の貴族がこんな布地を使うわけありません」
「エドワーディアンにはこんなシルエット流行ってないから」
そういう厳しい目線を意識したら、そりゃ綺麗な服になるでしょうね。
土方の最期を邪魔したW渋沢
土方の伝記に、渋沢コンビが出てくることはありません。
渋沢栄一と土方歳三が親友なんて捏造です。池田屋事件で遅れて到着した土方が無双をした描写もそう。
このドラマの土方は、生没年程度が一致しているくらいで、あとはオリキャラ状態。土方に思い入れがあり『燃えよ剣』を熟読した層を悪い意味で直撃する描写の連続です。
なぜ、思い入れたっぷりに、土方が渋沢コンビに何か言い残すのか?
要は、ただの客寄せですよね。
渋沢栄一がらみで土方を出すのなんて、「晩年になったら、土方とであったことをネタとして話していたよ」程度です。
そういうネタだけでこんなに時間を使う。ペース配分が何もかも妙ちくりんです。
土方歳三という人物は取り上げる一方で、近藤勇も、会津藩もろくに描かない。渋沢コンビが割って入る。
武士としての矜持を貫き、戦場に散った人間の尊厳を踏み躙るようで、思いもよらないことでした。
本作は一応、公共放送の大河ドラマです。それなのに、ふさわしい道義や良心はあるのかどうか?
かっこいいトシさんなら『燃えよ剣』でも見るしかありません。映画に行けなくても、原作だって十分にワクワクできますよ。
司馬遼太郎『燃えよ剣 (文春e-book)』(→amazon)
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