地震に対する恐怖から「お守り」として当時大流行した鯰絵/wikipediaより引用

幕末・維新

巨大地震が12年間で8度も頻発! 江戸幕府が終わったのは震災のせい?

「太平の世」というイメージが強い江戸期。

自然災害の観点からすると、むしろ非常に厳しい時代でした。

14~19世紀にかけては【小氷期】と呼ばれるほど地球全体が寒く、日本においては特に17~19世紀が酷かったのです。

大飢饉や富士山の噴火、大地震などなど。

大自然におけるラスボスクラスが250年の間に次から次へと来襲する上に、首都・お江戸では大火災にも見舞われる厳しさです。

 

ジャガイモ飢饉でアメリカに渡る人続出

では、当時はどれぐらい寒かったのか?

同時期の世界をちょっと見てみましょう。

・アイルランドでじゃがいも飢饉が頻発し、人口の2割が亡くなった上に2割が国外脱出(1840年代=天保の改革の頃)

・アメリカではニューヨーク湾が凍り、マンハッタンから対岸のスタテンまで歩いて渡れた(1780年=独立戦争やってた頃、ひょえー!)

これで「小」氷期なのかと疑いたくなるほどです。

昨今は温暖化が叫ばれていますが、まるで寒冷化の反動のようで、極寒より暑いほうがまだマシなのか?と思わなくもありません。

世界中で大寒波に見舞われる最中、江戸幕府も懸命に対処をしていたのですが、それをあざ笑うかのように今度は地中で恐ろしい災害が起きました。

安政2年(1855年)10月2日、安政の大地震が江戸を襲いました。

後世から見れば江戸幕府終了のわずか12年前。

しかも恐ろしいことに、当時の大地震はこれ一回では終わらなかったのです。

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寒波と連動するかのように列島で大地震が頻発

江戸に限らず、主だったものだけでもこんなにあります。

ざっと表にまとめてみましょう。

発生年地震名推定震源地
1847年善光寺地震M7.4長野県
1853年小田原地震M6.7神奈川県
1854年伊賀上野地震M7.25三重県
1854年安政東海地震M8.4東海道沖
1854年安政南海地震M8.4南海道沖
1855年安政江戸地震M7.0江戸直下
1856年安政八戸沖地震M7.5八戸沖
1858年飛越地震M7.0富山と岐阜の県境

「地震」の二文字がゲシュタルト崩壊しそうなほどの集中ぶりですね。実は上記の期間中、他にもM7クラスの地震が数回起きていますが割愛したほどです。

ちょっと前には天保の大飢饉も起きてます。神様、幕府いじめすぎ……。

しかも、です。恐ろしいことに1854年に連続している大地震は、南海トラフ巨大地震であり、ここは震源地が3つのエリアに渡っていて一度に3ヶ所の震源域で発動したり、年をずらして発生したり、非常にややこしくなっています。

こうした地震や飢饉のたびにお金や米を供出していたのですから、そりゃ幕府も藩も貧乏になるわけですよね。

金欠の理由は、無駄遣いとかではなく、生きるための災害コストも莫大でした。

ちなみにこの連続大地震の間隙を縫うかのように、ペリーが来て強引に開国&条約の締結も進んでいます。

ハリスなんて八戸沖地震の2日前に来日してました。

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天守閣再建しておかなくてよかった

話は戻りまして、安政江戸地震です。

どれぐらいの被害があったのか?

二次災害となったエリアを一つ例に見てみましょう。

まずは首都圏の路線図を開いてほしいのですが……。

真ん中に山手線が丸く走っていて、その直径をぶった切るように総武線の黄色い線がありますよね。

東側(右側)で交わるところが秋葉原です。

秋葉原から右方向を見ていくと、「亀戸」という駅があります。

さらに右へ右へと辿っていくと、千葉県に入ったあたりに「市川」という駅があります。

この亀戸から市川まで。

今なら路線の長さで9km、電車なら10分そこらの距離で、あたり一面が焼け野原になりました……え?( ゚д゚)

地震が起きたのは夜の10時ごろだったといいますから、あっちこっちで火を使うような時刻でもありません。

にもかかわらず、火災が発生してしまい、なおかつこれだけ拡大したのですから、これがもし昼間だったらと思うと背筋がゾッとしますよね。

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そして、その「もし」は約70年後の関東大震災で起きてしまうのですが……。

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