幕末の日仏関係

左からハリー・パークス、レオン・ロッシュ、徳川慶喜/wikipediaより引用

幕末・維新

なぜ幕末のフランスは江戸幕府に肩入れした? 英仏の対立が日本でも

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英仏がにらみ合う幕末日本

幕府が軍制はじめ、西洋の技術を取り入れなかったというのは誤解です。

優秀な幕臣も数多くおります。

前述の栗本鋤雲小栗忠順らは西洋の技術を取り入れ、すぐに飲み込みました。

小栗発案による横須賀製鉄所建設はその好例といえます。

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ロッシュは病弱で年少であった家茂が亡くなり、慶喜が将軍となると喜んでいました。

やっと頼りになる大君が即位した!

これでますます幕府はよくなる!

そんな楽観的な言葉を残しましたが、これも彼の事情があってこそでしょう。

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ただでさえ外交の失敗が続いている当時のフランスですから、本国に暗い見通しなど報告できるわけもない。

フランスだって、慈善精神や友愛のみで幕府を支援するわけでもない。

赤字になれば、撤退せざるを得ません。

そのため慶喜が将軍になってからは、ロッシュの思う通り、日仏の二人三脚が続きました。

幸い、慶喜は聡明だったため飲み込みも早く、ナポレオン3世から贈られた軍服を着こなし、颯爽と馬にまたがります。

優秀な生徒を得て、ロッシュも大満足でした。

ナポレオン3世から贈られた軍服姿の徳川慶喜/wikipediaより引用

そんなロッシュ最高の生徒ともいえる慶喜が、華々しく外交デビューを果たした場があります。

慶応3年(1867年)の英仏蘭米四国公使の謁見です。

しかし、ここでちょっとした衝突が起きます。イギリスのパークスがこう言ってきたのです。

「大君はいわば総理大臣でしょう? 君主のように”His majesty”とつけて呼ぶのはいかがなものか」

つまり将軍は君主ではない、本当に「His majesty」とつけて呼ぶべき君主は帝だと挑発してきたのです。

日本には将軍と帝がいるらしい。

そんなことは各国の間でも暗黙の了解としてありましたが、将軍謁見前にイギリス側はそこをぶつけてきました。

ロッシュはこう言い返します。

「大君はアメリカにおける大統領のようなものです。日本を統治していることは確かではありませんか!」

この一言で、ひとまず場は収まりました。

フランスとしては、天皇を宗教的権威に専念させ、政治から遠ざける国家体制を目指していたのです。

一方、傲慢イギリス人のパークス、アーネスト・サトウの心境には変化が訪れます。二人は慶喜に魅了されました。

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ロッシュとしても、幕府が揺らいでいることは認識しており、慶喜の堂々としたふるまいは喜ばしいものでした。

しかし、遠い海の向こうの本国フランスで、幕府失墜につながる出来事が起きてしまうのです。

 

「あのプリンスは果たして国賓に値するのか?」

幕末は、西洋諸国で学んだ日本人留学生が表舞台へ呼び出された時代でもあります。

薩摩藩の五代友厚、あるいは長州藩の“長州ファイブ”が代表例でしょう。

もちろん幕府だって全く負けてはおりません。

明治維新後に埋もれてしまった人材が多く、目立たないだけで、相応の人数は送られています。

将軍・慶喜の弟である徳川昭武の留学も、その一例でしょう。

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日仏間の友好を進めてきたロッシュにとっても、パリ万博へ昭武らを派遣させることは、重要なセレモニーでした。

しかし。

皮肉にも、このパリ万博の会場が、幕府とフランス関係にヒビを入れてしまう。

薩摩藩、モンブラン、そしてイギリスが、琉球国として出品し、あたかも独立国のように振る舞っていたのです。

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これに対して幕府の田辺太一が抗議をしたところ、揉めにもめた上、『フィガロ』はじめ大手新聞にこうスクープされたのです。

「幕府は信頼できるのか? “太守”と“大君”は同様? つまり幕府とは詐称をしている?」

「あのプリンスは果たして国賓に値するのか?」

「極東の田舎者の化けの皮を剥ぐべきだ」

将軍の上位には帝がいる――そんな水戸学で提唱されていた理念を逆手に取られ、「幕府は極めて胡散臭いものである」と報道されてしまったのです。

それまてはロッシュの報告が、フランス政府の情報源でした。

ロッシュは善意だけの人ではなく、冒険心と野心にあふれた外交官。うまくいくという楽観性と誇張まじりの報告があがっています。

それがどうにもおかしい……。

フランス政府は薄々気づいておりました。外務大臣ムスティエは、幕府勝利を信じるロッシュに疑念を抱き、詰問していたのです。

 

600万ドル借款が帳消しに

背景には、財界の動きもありました。

幕府とフランスが接近した結果、貿易ではフランス商人が有利となり、イギリスの商人は英語圏のマスコミに不満を流していたのです。

パリ万博ではジャポニズムへの熱気にあふれていました。それと反比例するように、政財界の思惑は冷えていったのです。

もはや幕府は投資の価値なしでは?

賭けて損したらどうする?

こうした冷たい空気が醸成され、結果、フランスから幕府への600万ドル借款は取り消しとなったのです。

大河ドラマ『青天を衝け』では、パリ万博における薩摩とのヤリトリしかなかったので、分かりづらかったかもしれません。

ともかく借款は、フランスにとっても慈善事業ではありませんから、なにか見返りが必要であり、その一つに貿易の優遇がありました。

イギリス商人はそこに猛反発。

こうして海の向こうでも、倒幕への動きが始まります。

海の向こうの商人の力とマスメディアが、幕府延命の可能性を潰したとも言えます。日本は、否応なしにその流れに放り込まれていたのです。

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