こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【寺田屋事件(寺田屋騒動)】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
生存者にも過酷な処分
この事件で投降した中には、例えば西郷隆盛の弟・西郷従道や、あるいはイトコの大山巌など、のちに活躍した者も多数いました。
投降
・有馬休八
・伊集院直右衛門(兼覚、西郷隆盛最初の妻・須賀の弟)
・岩元勇助
・大山弥助(巌・西郷のイトコ)
・岸良三之介
・木藤市助(市之介)
・是枝万助(柴山矢吉)
・西郷信吾(西郷従道・西郷の弟)
・坂元彦右衛門
・篠原冬一郎(国幹)
・柴山龍五郎
・谷元兵右衛門
・永山弥一郎
・橋口吉之丞
・林正之進
・深見休蔵
・町田六郎左衛門
・三島弥兵衛(常庸)
・森新兵衛(真兵衛)
・吉田清右衛門
・吉原弥二郎
逃亡
・美玉三平(平野国臣「生野の変」に参加し死亡)
『不憫だなぁ』と思わざるをえないのが、連行された6名です。
彼らは保護と称して「日向送り」処分となりました。要は、処刑されたのです。
護送中、田中父子は船内で斬殺され、死骸は水中に投げ捨てられました。
-
幕末薩摩最大のタブー!明治天皇の恩人・田中河内介の殺害事件とは?
続きを見る
残り3名は、大木に縛り付けたうえで斬殺されるという、悲惨な扱いです。
彼らの遺体は殺害場所の現地住民によって葬られ、ひっそりと弔いを受けてきたと伝わります。
実は田中河内介は、明治天皇の出生を自らの資金(や借金)でまかない、幼き頃の教育係まで請け負った人物です。
-
明治天皇の功績&エピソードまとめ~現代皇室の礎を築いたお人柄とは
続きを見る
よろしければ本稿の末尾に【関連記事】がございますので、そちらをご参照ください。
もう一人の犠牲者
切腹に至った二人。
・田中謙助
・森山新五左衛門
そのうち森山新五左衛門に注目してみたいと思います。
事件当時、新五左衛門は側に刀がなく、脇差で抵抗しただけでした。
もしその場で何もしなければ、卑怯者と呼ばれたかもしれません。新五左衛門は、抵抗する以外なかったのです。
しかし、そんな弁明が通じるはずもなく――新五左衛門は、切腹を命じられました。
新五左衛門は大柄な美丈夫でした。
全身に傷を負い、衰弱しておりながらも、鹿児島の方を向きました。
そしてそのまま、立派な態度で腹を切ったのです。
そんな彼の姿を見て、検分役も涙したと伝わります。享年20。
「商人出の武士じゃっでこそ、本当の武士よっか武士らしゆあらねばならぬ」
新五左衛門の脳裏には、そんな父・森山新蔵の言葉があったことでしょう。
森山家は、藩に対して多額の貸し付けを行い、その見返りに50石の武士として取り立てられた家柄です。
商人あがりと言われないためにも、武士より武士らしくあれと、新五左衛門は父から厳しく言われて育ちました。
そしてその言葉通り、武士として戦い、そして武士として恥ずかしくない死を遂げたのです。
息子の処分を、父・新蔵は鹿児島・山川港に係留した船内で聞きました。新蔵は罪人の身内として、上陸を許されなかったのです。
我が子の立派な最期を聞き、新蔵は涙すら流さず、「我が子ながら見事じゃった」と喜んでいました。
処分を待つため傍らにいた西郷隆盛と村田新八は、痛ましい気持ちで新蔵を見守るほかありません。
-
西郷隆盛 史実の人物像に迫る~誕生から西南戦争まで49年の生涯とは
続きを見る
-
大久保と西郷の間で揺れた村田新八~悲運のラストと42年の生涯まとめ
続きを見る
それから数日後――。
西郷と村田が船を離れていたわずかな間に、新蔵は腹を切っていました。遺書はなく、辞世のみがそこに残されていました。
長らへて 何にかはせん 深草の 露と消えにし 人を思ふに
享年40。
商人あがりと言われた森山父子。
その最期は、武士よりも武士らしいものでした。
我が子のあとを追った新蔵は、寺田屋事件もう一人の犠牲者でありましょう。
事件の結果どうなった?
「寺田屋事件」において、自藩の者であっても、断固とした処断を下した島津久光。
京都において、その果断は高く評価され、声望を高めました。
その陰で、犠牲者たちは苛烈な扱いを受けました。
薩摩藩士はまだましで、他藩や浪人の殺害は凄惨極まりないと言えます。
中でも公家に仕えていた田中河内介の日向送り(殺害)は、西郷にとってショックでした。
「もう"勤王"の二文字を唱ゆっこたあでけん」
そう嘆いたそうです。
幕末という激動の時代、凄惨な事件の一ページ。
それは薩摩藩にとって、思い出すのも忌まわしい、暗く哀しい事件でした。
あわせて読みたい関連記事
-
生麦事件でイギリス人奥さんは頭髪を剃られ 英国vs薩摩に発展する
続きを見る
-
薩英戦争で勝ったのは薩摩かイギリスか?その後は利益重視でお友達
続きを見る
事件の経過そのもについての詳細等は、
以上の伝記でご覧ください。
-
幕末薩摩最大のタブー!明治天皇の恩人・田中河内介の殺害事件とは?
続きを見る
-
大山綱良(大山格之助)が寺田屋で大暴れ! 薬丸自顕流達人の生涯
続きを見る
-
有馬新七「おいごと刺せ!」幕末薩摩でも屈指の激しさだった生涯38年
続きを見る
-
池田屋事件で新選組の近藤や沖田が突入!攘夷派の志士30名を排除す
続きを見る
-
西郷の敵とされがちな島津久光はむしろ名君~薩摩を操舵した生涯71年
続きを見る
-
西郷や大久保を育てた郷中教育~泣こかい飛ぼかい泣こよかひっ飛べ!
続きを見る
-
薩摩示現流&薬丸自顕流の恐ろしさとは?新選組も警戒した「一の太刀」
続きを見る
文:小檜山青
【参考文献】
国史大辞典
桐野作人『さつま人国誌 幕末・明治編』(→amazon)
泉秀樹『幕末維新人物事典』(→amazon)