幕末の海外事情

葛飾北斎『富嶽三十六景神奈川沖浪裏』/wikipediaより引用

幕末・維新

誤解されがちな幕末の海外事情~江戸幕府の対策は十分にイケていた?

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オランダが何か隠している?

イギリスがフランス・スペインの連合艦隊を叩きのめした【トラファルガーの海戦】から3年後。

英海軍は覇者として、世界の海をめぐっていました。

トラファルガーの海戦~英国ネルソンタッチでナポレオンが壊滅した日

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おそらくやイギリス海軍所属の、フリートウッド・ペリュー提督はこう考えたでしょう。

「悪魔のようなフランス人め、貴様らは世界のどこの海に逃げようとイギリス海軍が追い詰めてやる。極東の、地球の裏であろうと逃さん!」

当時、日本と交流のあったオランダは大変なことになっておりました。

フランス革命勃発後の1793年。

オランダはフランス革命政府に占領され、オランダ統領・ウィレム5世はイギリスに亡命、地元の革命派による「バタヴィア共和国」が成立しておりました。

1798年、各国で貿易を担っていたオランダ東インド会社は解散し、ナポレオンが皇帝になると、弟・ルイをオランダ国王に任命します。

つまり英海軍のフェートン号からすれば、

「憎きナポレオンの傀儡王国、そのお仲間が長崎って所にいるらしいな! 襲ったれやぁ!」

ということになるのです。

フェートン号/wikipediaより引用

しかし、日本側にとっては全くワケがわからない話。一体どうしたことか?

実はオランダ側は、フランス革命以降の話を黙っていたのです。バレたら、日本との貿易が打ち止めですからね。

それがフェートン号のせいで、すべての隠蔽工作も……。

「オランダさんよ、なんでイギリスが襲ってくるんだよ! 絶対に変だ、隠しているんでしょう! 言いなさいよ!」

「そ、そ、そういうこともあるかもしれないけど………………私は知らないです!!」

幕府は、口を割りそうにもないオランダ側から聞き出すことは諦め、別ルートをたどりました。

ロシアです。

 

フランス革命、想像以上にアカンやつや

ロシア事情は、ロシアに漂着して帰国した大黒屋光太夫が、かなり詳しい事情をもたらしていました。

大黒屋光太夫
3700kmを漂流し10年かけて帰国を果たす~大黒屋光太夫はロシアで何を見たか

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時を同じくしてロシア船の漂着も増加傾向にありました。

・工藤平助の『赤蝦夷風説考』

・林子平の『三国通覧図説』『海国兵談』

これらは要するに「今後はロシアがヤバイ!」と説く書物でした。

かくしてヨーロッパ事情をロシア人から聞きつけた幕府は「こりゃ、想像以上にあかんことになってたわ……」と仰天してしまいます。

なんせ、フランス革命というのは「百姓一揆が王と王妃を斬首して国家転覆した事件」ですからね。

幕府にとってはリアリティあふれる悪夢の物語です。

田沼意次時代あたりから、大規模な一揆が増加しておりましたし、ありえない話ではなく、ある程度のリアリティをもって共有されたことでしょう。

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