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【薩摩藩に流刑や切腹が多い理由】
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幕府に睨まれた月照はジャマでしかない
『西郷どん』でも島流しの様子が放送されました。
お尋ね者となった月照と共に、冬の錦江湾に身投げした西郷吉之助――そんな『西郷どん』を見て感動した方も多かったようです。
◆西郷どん:吉之助と月照の“入水”に「美しすぎて泣ける」の声(→link)
ただし、そこに至るまでの経緯はわかりにくかったようで。
そのあたりを解説した記事もあるのですが、タイトルがミスリード気味ですね。
◆【「西郷どん」交友録】月照と入水自殺を共にした西郷の“真意” 開国派の直弼が斬殺する計画立て…(→link)
↑
これでは【開国派の井伊直弼が、それに反対する月照を斬殺する計画を立てた】ように見えます。
本文を読むとわかりますが主語がおかしい。
【薩摩藩上層部は、月照を薩摩から追い出すように見せかけて斬殺する計画を立てた】というのが正確な説明です。
薩摩藩が月照を殺害する動機としては、
【「安政の大獄」でご公儀に睨まれている月照を匿うのは面倒だから】
というあたりですね。
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幕末の薩摩藩は、逃げ込んだ他藩の者を、領外退去処分に見せかけて殺害する場合がしばしばありました。
つまり、薩摩へ逃げたのは月照の判断ミスであり、素直に幕府に捕縛されて【安政の大獄】に連座した方が幾分マシだったかもしれません。
月照の弟・信海も獄死していて状況はかなり厳しいですが、僥倖に恵まれれば、処刑までは実行されなかった可能性もあったでしょう。
西郷の流刑は過酷な処分だったのか?
月照と心中未遂をした結果、奄美大島に流刑となった西郷。
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この措置を重過ぎると見なすか、あるいは軽いと受け取るか。意見の分かれるところかと思います。
ドラマでは、厳しい措置だとされていますよね。
同時期、薩摩藩の実権を握っていた島津久光は、厳しい処断をくだしています。
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西郷流刑とほぼ同時期【桜田門外の変】に関与したとして、有村雄助(有村俊斎のちの海江田信義の弟)は切腹の憂き目にあっています。
有村の処断に関しては、久光と信頼関係にあった大久保正助(利通)らが助命嘆願をしたものの、厳しい処分は覆らなかったのです。
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薩摩藩では流罪だけでなく、全国でも有数の、切腹処分が多かった藩とされています。
そこを踏まえると、西郷のケースで流刑は妥当。
扶持米が本人にも家族にも出ていたのですから、むしろ藩の温情を感じる処分内容でありましょう。
200年以上も続いた流刑は妥当だった
2代・光久から始まり、明治8年(1875年)に終わりを告げたとされる流人制度。
なんだかんだで200年以上も続きました。
西郷隆盛の事例だけを見ると、かなり特殊に見えてしまいがちです。
ただ、薩摩藩の歴史を見ると、決して特殊な措置ではなく、政治犯としては妥当な処断であったことがおわかりいただけるかと思います。
むろん、西郷にとっては悲痛な事態です。
せっかく頑張ってきた政治活動も完全に遠ざけられてしまい、まるで世捨て人。その無念はいかばかりでしょうか。
島津久光への感情悪化も、流刑の前後からとされています。
体型も、現在イメージされるように肥大化したのは流刑がきっかけであるとか。
はたまた睾丸が腫れ上がる「バンクロフト糸状虫」に感染してしまったとか。
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彼とて人間です。
もろもろのことを考えますと、ふてくされてしまった西郷どんの気持ちもわかります。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
箕輪優『近世・奄美流人の研究』(→amazon)
『国史大辞典』