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【奄美大島の西郷】
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目のやり場に困るほど親しく振る舞う西郷
荒みきっていた西郷を癒やしたのは、島妻・愛加那(とぅま)との出会いです。
フィクション作品ではロマンチックな出会いを経て結婚しますが、実際にはよくわかりません。
あまりに荒んだ西郷をみかねて、島の人々が妻でも用意しよう――と考えたとしてもおかしくはない状況です。
ただ、西郷が島妻である愛加那を熱愛したことは、間違いないようで。
人前でも平気で彼女の体をまさぐる様子を目にした周囲の人々は、目のやり場に困ると思ったほどでした。
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愛加那の間に生まれた2人の子・菊次郎と菊草は、西郷の正妻である糸子の元に預けられ、大切に育てられたと伝わります。
このことをもって「西郷が島民を理解し、差別感情も消えた」と見なすのは、さすがに飛躍がありましょう。
【親しくすると、つけこまれる】
妻子を得たあとでも、西郷は書状にそう記しています。
人前で妻と戯れるほど打ち解けているようで、心の底では警戒心があった――自分が属する鹿児島藩士というアイデンティティと、島民の間には、明確な違いがあると西郷は意識していたのです。
【黒糖地獄】への目線
奄美大島は、薩摩藩によるサトウキビの搾取に苦しんでいました。
【黒糖地獄】と呼ばれるほどの圧政を、西郷が目にしなかったはずがありません。
木場伝内に宛てて、「砂糖惣菜買入制」の状況について、詳細なレポートを書き送っています。西郷がこの制度を観察し、記録していたことがうかがえるのです。
元治元年(1864年)には、制度の問題点を指摘し、改善案をあげています。
その内容は以下の通りです。
代官以下の島役人は、人選をしっかりと行うこと。賞罰もきっちり行うべきである。
大島の「正余計砂糖」(生産税から上納糖と鍋代をひいたもの)を現在は無償で取り上げているが、他の島と同じく代金を払うべき。その方が島民のモチベーションがあがる。
茶・煙草・木綿と、砂糖を交換する際の比率を公正にし、不正をしてはならない。
木綿と砂糖交換の際は、木綿を今より値下げすべき。南の島とはいえ冬は寒く、島民は木綿を必要としている。
砂糖車(砂糖搾り器)の金属製の輪が高すぎる。あまりに高いため木製の輪を使っているため、効率が下がっている。藩の利益にもならないから、金属製の輪の値段を下げるべき。
砂糖を入れる樽に中身の量を書けば便利だ。
こう書いてくると、西郷はやっぱり優しい、島民のために制度改革を提言しているのだ、と思うかもしれません。確かにそういう一面もあるでしょう。
しかし彼は、島民よりも藩の利益や効率を追求していたのではないかとも思えます。
幕末の政局において、薩摩藩の原動力となったのは経済力。
西郷が敬愛する島津斉彬の代には【大島・喜界島・徳之島から沖永良部島・与輪島まで】黒糖専売の範囲が広がっておりました。
名君として知られる斉彬ですが、西洋流の改革には大金がかかります。
その資金はどこから出てきたのか? と言いますと、領内での増税分や、島々への専売の拡大にからでもあったのです。
薩摩から見れば名君でも、島の人からすれば別の見方があるということです。
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西郷の成し遂げた倒幕も、豊富な軍資金がなければできたかどうかは不明です。
その背景には交易があり、その品目にはサトウキビがありました。
心優しい西郷が、島民の生活改善を訴えたというストーリーは確かに魅力的でしょう。
ただ、それ以上に斉彬の影響を強烈に受けた薩摩藩士として、藩を第一に考えていたのは当然のことでした。
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