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【西南戦争開戦のキッカケ】
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火薬庫襲撃→暗殺計画自白が正しい順番?
従来は、以下のような因果関係で西郷の暗殺計画が説明されて来ました。
1. 密偵・中原尚雄(なかはら なおお)による西郷暗殺計画の自白&発覚
2. 西郷配下の私学校党が激怒
3. 怒りのあまりに火薬庫を襲撃
4. 暗殺を企てた密偵が大量に捕縛される
ところが、当時の証言を検証してゆくと、時系列が次のように入れ替わるのです。
1. 私学校党が火薬庫襲撃
2. 密偵が捕縛される
3. 密偵・中原尚雄による西郷暗殺計画の自白&発覚
つまり、暗殺計画があったから鹿児島勢が激怒、その結果が火薬庫襲撃につながったという流れとは反対。
火薬庫襲撃が先だったというものです。
核心の中原尚雄による暗殺計画自白についてはどう考えるべきか?
当然ながら激しい拷問が加えられた(自白を強要された)可能性があり、信用できるかどうかグレーだと言えるでしょう。
火薬庫襲撃という暴発を正統化するため、暗殺計画が捏造されたのでは?
そんな見方も、現在は出てきております。
「西郷美化伝説」によって深まる謎
西南戦争へと至る道は、西郷側を美化するあまり、史実が見えにくくなってしまっています。
いくつかポイントを挙げておきましょう。
◆大久保や明治政府を浄化するための義戦だった?
→前述の通り、西郷と大久保の対立は政策上の違いもあり、また西郷の精神的な悪化も無視できません
◆暗殺計画を企てた川路利良が悪い?
→本当に暗殺計画があったのか、検討が必要です
◆西郷は慎重であったのに、側近の桐野利秋が暴発して西南戦争に発展した?
→桐野利秋の「人斬り像」は後世の創作であり、フィクションで描かれるような粗暴で短気なテロリスト像は実像とは異なります
西郷を庇うために、桐野が割を食っている部分があります
◆西郷軍は義のある戦いぶりで、正々堂々としていた?
→義があるどころか、地域住民を戦禍に巻き込んでおります
西郷を美化するなかれ~とにかく悲惨だった西南戦争 リアルの戦場を振り返る
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政府軍の捕虜が、凄惨極まりない拷問に遭いながら殺害された死体発見の証言も残されております
西郷軍がクリーンな戦い方をしていたとは思えません
◆東京の民衆は西郷を応援していた?
→そういう一面はありますが、それは明治政府が江戸っ子から嫌われていたということもあります
西郷隆盛という人物は、死後から伝説化されました。
火星の中に正装姿の西郷が見えるという「西郷星」伝説もあったほどです。
余波は現在まで及んでおり、西南戦争前後からの西郷にとって不都合な史実は追いかけにくくなっております。
そうした伝説に斬り込み、西郷の抱えた闇や問題点をも描くことのできる作品があれば――。
一年掛けて、じっくりと西郷隆盛の生き様を追うことのできる大河ドラマ『西郷どん』こそ、その絶好のチャンスであったはずです。
しかし、その願いが叶うことは、明治維新から150周年という節目の2018年でもありませんでした。
むしろ、大久保がいかに悪へと墜ち、西郷を追い詰めていくかという描写に力点が置かれている。
これではますます、西南戦争へ至る歴史から人々の目が遠ざかり、誤解すら広がることでしょう。
改めて残念でなりません。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
坂野潤治『未完の明治維新 (ちくま新書)』(→amazon)
家近良樹『西郷隆盛:人を相手にせず、天を相手にせよ (ミネルヴァ日本評伝選)』(→amazon)
桐野作人『薩摩の密偵 桐野利秋 「人斬り半次郎」の真実 (NHK出版新書)』(→amazon)
野口武彦『文庫 幕末明治 不平士族ものがたり (草思社文庫)』(→amazon)