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【田中河内介】
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その最期を語ってはならない
田中の名は闇に葬られたかのように思われました。
しかし、それは違ったのです。
明治天皇は、4才まで大事に育ててくれた田中を慕っていました。母の慶子も、我が子に田中の思い出を語り聞かせていたのでしょう。
天皇の思い出語りは、世間の人々に田中河内介という人物のことを思い出させました。
「それほど陛下に慕われたのだから、きっと立派な人なのだろう」
人々はそう推察しましたが、田中河内介のことは不思議なほど、噂にはなりませんでした。
天皇だけではありません。
田中と親しかった小河弥右衛門、のちの小河一敏も彼のことを覚えていました。
のみならず、田中を殺した島津久光の密命に、大久保利通も一枚噛んでいたはずだと喝破していたのです。
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そして、田中父子の亡骸を拾い供養した人々も、忘れようには忘れられません。
亡骸が発見された付近の海で船が沈むと、人々は恐怖をもってこう語り合いました。
「これは祟りに違いない……」
小豆島の人々は、田中父子の供養を行いました。
田中父子を斬った刺客も、忘れようにも忘れられないはずですが、どうなったのでしょうか。
明治元年(1868年)。
瑳磨介を刺殺した橋口吉之丞は、「故あって」切腹させられました。享年25。
田中を斬った是枝万助は、精神に異常を来しました。
慶長4年(1868年)には、自ら目をえぐり、股を切り裂こうとするようなありさまで、晩年は「廃人」になってしまいました。兄の柴山景綱が、弟の面倒を見続けたと伝わります。
そして田中の名は、意外なところでまた出てきます。
田中を慕った明治天皇の治世も終わり、大正となったころ。
東京のとある店の3階に、仲間同士で集まって怪談を話し合うということがありました。
あるとき、そこに見知らぬ男がやって来てこう言うのです。
「田中河内介の最期をご存じですか。今から語って聞かせましょう」
彼が言うには……。
「田中が寺田屋事件のあと、どうなってしまったのか。話せばよくないことが、その者にふりかかると言われております。そのため、誰も語ろうとしない……本当のことを知る者は、今ではこの私一人になってしまったのです」
それから彼は続けます。
「ですから、今ここで皆さんに、その真相を語りたいと思います」
そりゃ面白そうですねえ、と皆興味津々で男の話に聞き入ります。
しかし、彼はなかなか本題に入ろうとしないどころか、要領を得ない話を繰り返すばかり。聞いている側もうんざりして、皆部屋を出てしまい、煙草を吸ったりし始めました。
「あいつ、ちょっとおかしいんじゃないかな」
部屋から出てそう語り合っていると、血相を変えて一人が階段を降りてきたのです。
「大変だ、あの男、死んでいる!」
部屋に駆けつけると、その男は机につっぷし、既に事切れておりました……。聞く者がいなくなった部屋で何事かが起こり、語り手は死んでいたのです。
こう書いてくると「本当に恐ろしい、祟りか……」とふるえが来る方もいるとは思います。ブラウザを閉じたくなりますよね。
ただ、刺客が精神の異常をきたした件は祟りというより、強度のストレス由来と考えたほうが納得できます。
この件に関与したとされる三島通庸(2019大河『いだてん』三島弥彦の父)は、明治維新以降も活躍しています。
何より、最大の責任者といえる島津久光も、そこそこ穏やかな晩年を送っています。
この二人は、精神が強靱であったため、ダメージを受けなかったのでしょう。
薩摩藩最大のタブー
明治天皇の養育係とその子を惨殺し、死体遺棄――それは、薩摩藩にとって触れられたくないタブーでした。
ちなみに、明治天皇の叔父にあたる(慶子の弟)中山忠光は、長州藩の支藩である長府藩の刺客によって、暗殺されています。
勤王の旗を掲げ、明治維新の原動力となった薩長には、このような後ろ暗い面もあるのです。
【朝敵逆賊認定】された会津藩あたりからすれば、
「薩長にだけは朝敵扱いされたくない」
と、嫌味のひとつやふたつも言いたくなるでしょう。
朝廷を支持したといっても、倒幕派のスタンスも常に一定ではなく、ましてや彼らがいつも一枚岩だったわけではないため、こういうことも起こりえたわけです。
田中殺害最大の責任者とも言える久光にせよ「寺田屋事件を起こした背景には朝廷の意向もあった」と言えるわけです。
先ほどの怪談も、薩摩藩にとって最大のタブーだからこそ、こうした話が流布したと考えることもできます。
おそらくこの先も、田中父子は映像化もされなければ、あまり語られることもないでしょう。
小豆島では田中父子の供養が行われ、顕彰会もあります。
ご興味をお持ちの方は以下のリンク先をご覧ください。
◆田中河内介顕彰会(→link)
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
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【参考文献】
国史大辞典
桐野作人『さつま人国誌 幕末・明治編』(→amazon)
泉秀樹『幕末維新人物事典』(→amazon)