大久保利通

大久保利通/wikipediaより引用

幕末・維新

大久保利通49年の生涯まとめ~紀尾井坂に斃れた維新三傑の最期は自業自得なのか

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大久保政権

大久保利通たち政府首脳がいない間、国内居残り組に対しては「政治改革を進めない」よう釘が刺されていました。

しかし、不手際もあって予定より大幅に長びいた海外旅行です。国が動かないわけがありません。

江藤新平が太政官制の改革を推し進めている一方、地方では不平士族を中心にきな臭い動きが起き、西郷隆盛も悩んでいました。

神経質でストレスを溜めやすい西郷隆盛――そんな彼を久光は「安禄山」と苦々しく呼びました。

安禄山とは、唐代に反乱を起こした奸臣の代表格で大柄。肥え太った裏切り者と批判していたことになります。

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そうした中で、西郷隆盛は【征韓論】を掲げます。

朝鮮に施設を派遣する

相手は断る

開戦

日朝戦争で武威を見せつけ、「皇威」(天皇の権威)を西洋列強に示す

なんなら西郷隆盛が自ら使節として出向き、敢えて命を捨てる。そんな無謀な作戦です。

明治6年(1873年)10月に【征韓論】は閣議決定され、当初は西郷隆盛の勝利に思われました。

しかし大久保利通は、太政大臣である三条実美が急病に倒れた合間を縫い、岩倉具視と謀って天皇にこの決定を拒否させ、征韓論を葬り去ります。

話を西郷と大久保に戻します。

両者の対立軸には「富国」と「強兵」があります。

明治政府のめざすものとして「富国強兵」と日本史の授業で習った方は多いことでしょう。

しかし、2つの言葉は共に並ぶというより、対立軸にある。

大久保利通は「富国」優先――経済と殖産興業を高めることで、国の強化をはかりました。

西郷隆盛は「強兵」優先――まずは戦争に勝利して、国の威力を見せ、事態を打開しようとしたのです。

性格の違いといった粗雑な対立構図がなされがちですが、そう単純なことでもありません。

西郷隆盛が鹿児島へ戻る一方、大久保利通は自身が成し遂げたい政治を邁進します。

イギリスを規範とし工業化を進め、その立憲政治を手本とする。それが彼の理想でした。

その結果、西郷隆盛とその一派は明治10年(1877年)に【西南戦争】へ突入し、程なくして壊滅しました。

これは紛れもない悲劇であり、大久保利通の故郷を荒廃させた惨事です。

しかし政治的にみれば、続発していた不平士族の反乱最終戦といえました。

大久保利通が下野させたのは何も西郷隆盛一人ではありません。

板垣退助ら土佐藩出身者は内戦ではなく【自由民権運動】に活路を見出そうとします。

何かと目障りな肥前藩出身の江藤新平ら政敵も下野させ、大久保利通一強の政治体制を実現させます。

大久保利通は【天狗党の乱】で、無惨な処断をする幕府を見てこれではもう持たないと直感しました。

しかし、そんな彼は政治的に対立した江藤新平(薩長土肥の肥前藩出身)を追い込み、斬首刑にまで追い詰めました。

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大久保利通は江藤新平に弁舌で勝つことができず、恨みを抱いていたといいます。

そんな敵が首になったことに対し、大久保利通は日記に「醜態だ、笑止だ」と冷たく記しています。

かくして薩長土肥から土肥がぬけ、薩長のみが突出。

前述の通り、板垣退助が「薩長のみが人であるかのようだ」と嘆いた体制ができあがるのです。

大久保政権――そう呼ばれる状態でした。

 


紀尾井坂に散る

終わりはあまりにも呆気なく訪れました。

西南戦争の翌年となる明治11年(1878年)5月14日――皇居へ向かう大久保利通の馬車が、紀尾井坂周辺の清水谷にさしかかりました。

その刹那、島田一郎ら6名の士族が襲い掛かり、大久保利通は暗殺されたのです。

享年49。

なぜ大久保利通は殺されねばならなかったのか?

島田一郎当人がその理由を記しています。

・公式に議論を行わず、民権を弾圧し、政治を私物化する

・法律を朝令暮改し、民のためではなく官僚のために制定している

・必要かどうかわからない土木工事を行い、国の財を無駄に使う

・政府批判をする者の口を塞ぎ、内乱を誘発している

・外交を失敗し、日本の権威を失墜させている

もしも島田一郎のような人物が、言論により政府批判ができていたら? テロリズムではなく、別の手段を見出していたかもしれません。

しかし政府は彼らの口を塞ぎました。

大久保利通ら維新を成し遂げた人々は、テロリズムこそ歴史を動かすことを【桜田門外の変】以来、痛感しています。

大久保は自分のゆく道を塞ぐ者たちを何人も屠ってきました。

江藤新平の斬首を笑い飛ばしたこともあります。

テロリズムで自分の意見を通し、政敵の口を塞いできた、その刃が自分自身にめぐってきたのです。

陸軍人を目指す少年時代の柴五郎は、西郷隆盛と大久保利通の死を当然のこととして受け止めました。

明治維新の際に陰謀を企てた。

世間の耳目を集めるために、会津を血祭りにあげた。

いかに国家の柱石といえども、許せるわけもない。

自らの暴走、専横の報いをその命で償った。

暴走の結果で、同情する気なぞ沸くはずもない。

非業の最期は当然の帰結だ――。

若気の至りだからと、このことを反省するはずもない。後に彼は、そうきっぱりと言い切っています。

大久保利通の死は、この時代の歪みが凝縮されているといえるものでした。

幕末から明治にかけて、日本人はテロリズムの効能を知りました。

あの井伊直弼を殺したことで幕府は崩壊に向かった。テロリズムはそう正統化されたのです。

司馬遼太郎はテロリズムは嫌いといいつつ、【桜田門外の変】についてはその功があったと認めています。

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目的のためならば敵を追い詰め、主君である島津久光を欺き、無用な内戦を引き起こし、友である西郷隆盛をも蹴落とす。

テロリズムと謀略に満ちた手段で道を切り拓いた大久保利通が凶刃に倒れ、今日に至るまで冷酷と評価されるのは当然の帰結とは思えます。

明治政府は一致団結するどころか、内乱、政争、分裂、謀略に明け暮れ、国の行く末もさだまらぬまま、歴史の道を歩んでゆきます。

大久保利通と西郷隆盛が対立した「富国」と「強兵」は、結果的に「強兵」が勝利しました。

日清戦争】の莫大な賠償金と、朝鮮半島と台湾を支配下においた日本は、そのバブルに酔いしれたのです。

しかし、それも【日露戦争】までのこと。

あれほど苦労して、英米の仲裁ありきで辛勝を得たにもかかわらず、【日清戦争】ほどのうまみがもたらされません。

その不満で暴徒化した【日比谷焼き討ち事件】を政府は厳しく弾圧します。

 


結局、明治という国家は何がしたかった?

維新を成し遂げ、明治初期に国家のゆく道をある程度定めた大久保利通。

彼の評価は、明治という国家への評価次第で変わります。

これは国によっても異なり、イギリスは苦い思いとともに振り返っています。

大英帝国の帝国主義に組み込むことにうまく成功したとはいえ、第二次世界大戦で日本相手に痛い目にあいました。

飼い犬に手を噛まれたようなものとして認識されているのでしょう。イギリスからみた日本近代史とは、手痛い失敗です。

中国は全否定するかというと、そう単純でもありません。

江戸時代までは同じ価値観を共有でき、齟齬もあったとはいえ、それなりによい関係を築いていた。

それはなぜか?

日本が西洋列強に倣ってしまったからではないか?

そう考え、もしも東洋の価値観に戻ってくるのならばあたたかく受け入れるという姿勢を見せることもあります。

果たして日本はどうか?

これがどうにも進んでいません。アジア・太平洋戦争の敗北まで、政府は来日外交官の記録すら隠そうとしていました。色々と不都合だったのでしょう。

では今は、そうした記録は共有されているかというと、そうでもありません。

小栗忠順岩瀬忠震阿部正弘栗本鋤雲といった幕臣たちの再評価も、一般にまでは浸透していない。赤松小三郎の再評価に至ってはまだまだこれからといえます。

平成27年(2015年)、世界遺産に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が登録されました。

産業とは無縁の松下村塾が含まれる一方、小栗忠順らが作り上げた横須賀造船所が漏れているのですから、どうにも不可解なことです。

そして明治時代の誤解は、エンタメによって再生産されます。

近代史を扱った作品は少ないうえに、どうにも歴史観がおかしいと批判を浴びる人気作が出てきています。

漫画ならば『るろうに剣心』が該当しますね。

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そしてNHKのドラマが、2010年代以降おかしいのではないか?とあやぶまれています。

最新の研究を反映するどころか、歴史修正的であり、その代表格が五代友厚でしょう。

2015年朝の朝ドラ『あさが来た』と2021年大河ドラマ『青天を衝け』に登場。

大久保利通のもとでイギリス商人グラバーとも手を結び、武器を売り捌いた実像を、イケメンで経済通で便利な王子様風のキャラクターで上書きされてしまいました。

2010年代移行の近代史大河ドラマは、2013年『八重の桜』を例外として、歴史観点からみると評価できるものがありません。

ターニングポイントとなったのが、2009年から3年間放映されたスペシャルドラマ『坂の上の雲』であったと指摘されます。

明治時代はロマンと共に語られてきました。司馬遼太郎原作の『坂の上の雲』こそその代表格。

作者自身そこを警戒したのか、生前は映像化を禁じていたものの、死後ドラマにされてしまいました。

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その冒頭に、野暮を承知でツッコミをいれていきましょう。

まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。

「まことに小さな国が」とはどことの比較でしょうか。隣にある朝鮮は?

小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。

産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年のあいだ読書階級であった旧士族しかなかった。

明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものをもった。

たれもが「国民」になった。

江戸時代にも各藩で工業や商業が発達していました。

人材といえば旧士族しかいないというのも、いかがなものでしょうか。

幕末には活躍した豪農出身の人物も多数輩出されています。

明治維新以前から、幕臣を中心に国家について学んでいます。維新のあとに知ったというのは大袈裟です。

不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者として、その新鮮さに昂揚した。

この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ、この段階の歴史は分からない。

社会のどういう階層の、どういう家の子でも、ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも、官吏にも、教師にも、軍人にも、成り得た。

藩閥政治の弊害を考慮しておりませんし、女性の立場もまるで考えていないと思います。

板垣退助が聞いたら苦笑しそうな認識ではありませんか?

この時代の明るさは、こういう楽天主義(オプティミズム)から来ている。

明治時代の暗さを見ていないだけでは?

今から思えば、実に滑稽なことに、コメと絹の他に主要産業のない国家の連中は、ヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした。

陸軍も同様である。 財政の成り立つはずがない。

幕末の時点で横須賀造船所があったのに。それを司馬遼太郎が知らないはずもないのに。

が、ともかくも近代国家を作り上げようというのは、元々維新成立の大目的であったし、維新後の新国民の少年のような希望であった。

近代国家を作り上げるビジョンそのものが、実は曖昧であるし、統一した見解がないせいで内戦が続発しました。

この物語は、その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロシアと対決し、どのように振舞ったかという物語である。

主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれない。

が、ともかく我々は三人の人物の跡を追わねばならない。

意地の悪い言い方ではありますが、日露戦争は英米の思惑ありきであり、このようなまとめ方はどうなんでしょう。

四国は、伊予松山に三人の男がいた。この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるに当って、勝利は不可能に近いと言われたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコサック師団を破るという奇跡を遂げた。もう一人は、俳句短歌といった日本の古い短詩形に新風を入れて、 その中興の祖となった俳人・正岡子規である。

山本権兵衛曰く、日本海海戦の勝利は小栗忠順のおかげであったそうです。

彼らは明治という時代人の体質で、前をのみを見つめながら歩く。

いや、江戸っ子はさんざん過去を振り返り「徳川様のころはよかった」と嘆いていました。

上って行く坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。

その背中を押しているのは主にイギリス政府です。

我ながら何をしているのか?とは思います。

しかし、こういうドラマをNHKが放送してしまう。大河ドラマも不正確で最新の史実をアリバイ程度に取り入れるだけ。これでよいのでしょうか?

『坂の上の雲』の歴史観には問題がある。

戦争と植民地支配で巨利を目指す「富国」に舵を切った日本。軍国主義へ続く道は、上り坂か、下り坂であったのか。そのことを問い直す時代です。

2022年度、全国の高校で新科目「歴史総合」が必履修科目としてスタートし、近代史教育に力が注がれることとなりました。

幕末から明治がどう学ばれていくか、注目してゆきたいところです。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
笠原英彦『大久保利通』
『日本政治史入門』
板野潤治『未完の明治維新』
山本義隆『近代日本一五〇年』
筒井清忠『明治史講義【人物篇】』
宮地正人『幕末維新像の新展開』
一坂太郎『明治維新とは何だったのか』
一坂太郎『暗殺の幕末維新史: 桜田門外の変から大久保利通暗殺まで』
エイコ・マルコ・シナワ『悪党・ヤクザ・ナショナリスト 近代日本の暴力政治』
須田努『幕末社会』
半藤一利『幕末史』
三好徹『政・財 腐蝕の100年』
福間良明『司馬遼太郎の時代』
斎藤 貴男『「明治礼賛」の正体 (岩波ブックレット) 』

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