平岡円四郎

幕末・維新

平岡円四郎はなぜ暗殺されたのか? 慶喜の腹心で栄一の恩人だった侍の最期

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京都に逃げた栄一はアテもなく円四郎のもとへ

栄一はかつての縁から「円四郎の家来である」という名目で道中を歩き、無事に京都へたどり着きました。

が、現実は素浪人同然の若者。とりたてて収入のアテがあるわけでもなく、生活費に切羽詰まってしまいます。

加えて、彼らの凶行を防いだ長七郎が人斬りの罪で幕府に捕らえられ、攘夷への思いをつづった手紙を持ったままであることが判明してしまいます。

故郷に帰るわけにもいかず、かといって生きるアテもない栄一たち。

それを呼び出したのが円四郎でした。

その際の栄一と円四郎のやり取りを、栄一の自伝から再現してみます。

円四郎「君たちは、江戸で何か計画をしたことはないか?」

栄一「なんのことだかわかりません」

円「実は、幕府から君たちのことについて問い合わせが来た。悪いようにはしないから、何があったか包み隠さず話してくれ」

栄「心当たりがないわけではありません。私たちの親友が罪を犯し、幕府に捕らえられたという手紙を手に入れました」

円「それはどんな男だ?」

栄「攘夷思想を抱く者たちで、うち一人は私の剣術の師(長七郎)です」

円「本当にそれだけか?何か事情があるのではないか?」

栄「恐らく、彼に書いた手紙が関係しているのではないかと。最近の幕府は終わってますから、早く国家を転覆させなければ日本は滅びると書き送りました。これがマズかったのでは」

円「言わんとすることは分からないでもない。が、攘夷志士というのは荒々しい者たちが多いから、君たちも人殺しや強盗におよんだことはないか?」

栄「『義のために殺そう』と思ったことはありますが、決して実行に移してはいません」

円「それならよろしい」

この問答によって栄一たちへの疑いは消え去り、円四郎は続けました。

円「これから、お前たちはどうやって生きていくつもりだ?」

栄「実は、どうするか考えあぐねているのです。あなたを頼みに京都に出てはきたものの、故郷では同士が捕縛され、行き場を失ってしまいました」

円「なるほど。それならいっそ志を変えて、私のように一橋家へ仕えてみるのはどうだろう。一橋家は他の大名家とは違って幕府との距離が近いから、普通に仕官するのは難しい。ただ、君たちは面白い男だから、そこは私がなんとかしよう」

そう告げ、栄一たちを一橋家へと誘ったのです。

彼らは信念と真逆の申し出に迷いましたが、最終的に申し出を受諾。

二人は一橋家中で極めて低い立場からのスタートを余儀なくされたものの、その才覚を生かして出世していくことになります。

 


慶喜を惑わす奸臣と見なされ、突如……

栄一たちが一橋家に仕えた元治元年(1864年)。

円四郎は突如、京都の宿所近くで水戸藩士に暗殺されてしまいました。

彼がなぜ突然の死を迎えたか?

というと開国論者であったことから「慶喜のそばでちょろちょろ動き、攘夷派を弾圧するように吹き込んでいる」と水戸藩士らに見なされたことが原因とされています。

栄一は彼の死を大いに嘆き、「失意のどん底に突き落とされた」と語りました。

慶喜のブレーンとして活躍し、渋沢栄一を世に送り出した円四郎。

志半ばで凶行に斃れてしまいます。

しかし、彼の見出した栄一が、後に日本近代資本主義を支える実業家として飛躍していくのです。


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文:とーじん

【参考文献】
朝日新聞社『朝日日本歴史人物事典』(→amazon
宮崎十三八・安岡昭男編『幕末維新人名事典』(→amazon
渋沢栄一記念財団編『渋沢栄一を知る事典』(→amazon
渋沢栄一著、守屋淳編訳『現代語訳渋沢栄一自伝:「論語と算盤」を道標として』(→amazon
岩下哲典『徳川慶喜:その人と時代』(→amazon

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