西郷隆盛の睾丸が肥大化

いずれも西郷隆盛を描いた絵画/wikipediaより引用

幕末・維新

西郷さんのタマが大きく腫れた原因は寄生虫だった?歴女医さんの見解を聞く

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西郷さんのタマ肥大化の原因
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馬に乗れないほどに膨れ上がっていた

さて、大久保利通などのとりなしで再び薩摩に戻った隆盛は、倒幕運動の指導者となり【薩長同盟】に尽力。

江戸城では勝海舟との降伏交渉にあたり無血開城を実現させます。

西郷隆盛と勝海舟の会談を描いた『江戸開城談判』作:結城素明/wikipediaより引用

明治維新以降は参議、陸軍大将として国政に参加しました。

しかし、しばらくして征韓論で大久保らと対立すると、明治6年に官職を辞して薩摩に戻り、私学校で若者の教育に専念します。

こうした幕末から征韓論までの話は以下の記事に詳細がありますので、ご確認ください。

西郷隆盛
西郷隆盛~幕末維新の時代を最も動かした男~誕生から西南戦争まで49年の生涯とは

続きを見る

ともかく西郷が政府を飛び出すと、各地で不平士族の反乱が起き、彼自身もまた西南戦争へ駆り立てられるワケです。

このとき西郷は、巨大化した陰嚢のため馬に乗れず、籠を使ったと伝わります。

 


胴体だけの遺体に腫れた睾丸

奮闘むなしく西南戦争の敗北を避けられなくなった西郷。

その首は、別府晋介が介錯し、首は埋められました(後にきちんと埋葬されます参照)。

では、どうやって西郷の死を物理的に確認したのか?

と申しますと、胴体だけの遺体にある「睾丸の腫れ」から判断されたのです。

実際は「右肩の傷」や体型なども考慮されましたが、肥大化したタマの存在感も大きかったことでしょう。

明治天皇にも気に入られており、その後西郷は明治22年に名誉を回復しております。

一方、彼のタマを煩わせたバンクロフト糸状虫は、昭和53年の感染を最後に日本からは撲滅されました。

大河ドラマ『西郷どん』で触れられませんでしたけどね。

まぁ、当たり前か。

西郷隆盛が最期を迎えるまで潜んでいたとされる鹿児島の洞窟

 


北斎の絵にも登場しているだと!?

ここからは完全な蛇足で……。

12世紀に書かれた『異本病草紙』には、象皮病のように下肢が腫れた女性の絵と、陰嚢が腫れ上がった男が描かれています。

おそらくやフィラリア症でしょう。

更には、同病状を絵にした世界的画家もおりまして。

葛飾北斎です。

葛飾北斎82歳のときの自画像/wikipediaより引用

文化9年(1812年)、北斎は三島で、膨らんだタマタマを見世物にしていた男の様子を絵にしております。

数十Kgはありそうな「おいなりさん」を布で吊り上げ、駕籠よろしく2人の男で担ぐ、なんともシュールなこの絵。

おそらくやバンクロフト糸状虫感染による陰嚢水腫でありましょう。

日本が誇る北斎が描写していたなんて、なんとも興味深い話ではないですか。

ぎょう虫検査がなくなった学校でも、こうした話を教えれば、生徒たちの知的好奇心も刺激されると思うんですけどね。

そうなったら「ぎょう虫ドリル」も売れるかも?なんてね。


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文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
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