享保の改革

徳川吉宗/wikipediaより引用

江戸時代

享保の改革は失敗か成功か? 目安箱や米政策をはじめとした吉宗の手腕

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・足高の制……「あしだか」じゃない「たしだか」

「あしだか」ではなく「たしだか」と読みます。

現代でいえば、住宅手当とか交通費を会社が出してくれる感じの制度。

なぜ、こんなものが必要だったか?というと、当時は、身分の低い人が登用された際、対面を保つのが大変だったからです。

足高の制
給料UPだよ足高の制! 吉宗の人材登用術は革新的だったハズなのに

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衣食住等にお金がかかり、そのやりくりに四苦八苦させられるのです。

それを防ぎ、安心して仕事をさせるために吉宗が作ったのがこの制度で

「登用された本人の代、かつその職についている間だけ、少し加増する」

という内容です。

当時は現代でいうところの「手当」とか「経費」という概念はほぼありませんから、考えとしてはかなり画期的だったといえます。

 

・元文の改鋳……米の値段を上げるため

金貨と銀貨に含まれる金銀の含有量をあえて減らし、通貨の流通量を増やそうとしました。

通貨の価値下落によって、相対的に米の値段を上げ、米の収入で暮らしていた武士の生活をラクにしようとしたんですね。

しかし、そもそも新田開発によって米の生産量が増え、それに応じて値段も下がった――そんな背景があったので、なかなかうまくいきません。

江戸幕府は、幕府や諸大名の成り立ちが石高(=米)になっていたので、もうどうしようもないんですが。

 

・公事方御定書……裁判の判例マトメました!

何らかのトラブルがあったときに実施されるのが裁判。

そこで大切になってくるのが【判例】です。要は、過去の判断ですね。

吉宗の時代になると判例が積み重なっていて、それと基本の法律をまとめたのが公事方御定書です。

上巻は司法警察の法律、下巻は刑事法が主体ですが、民事関連も含まれています。

ただし内容は一般には公開されておらず、

・寺社奉行
・町奉行
・勘定奉行

の【三奉行】に限られておりました。

「過酷だった江戸時代前期の刑罰をかなり軽くしていて」という内容だったので、もしも庶民に知られたら「犯罪が増えるのではないか?」と懸念していたようです。

ナルホドというか、全然信頼してないな、っていうか。

幕府の考えが見えて面白いですね。

 

成功か失敗か?

江戸幕府は米(石高)に依って成り立っていました。

それがいつしか貨幣経済へのシフトが進み、幕府の財政が逼迫する事態に陥り、そこで対処したのが【享保の改革】となりますが、果たしてこれは上手くいったのか?

結論から言うと、成功だったと言えるでしょう。

というのも吉宗の治世では黒字化が進み、幕府の石高収入も約12.5%の増加になったのです。

また公事方御定書などによる法制度も以前より整備されるようになりました。

いつの時代も貨幣改鋳は悪手とされますが、米を中心とした物価の引き下げに一定の効果が見られ、庶民の生活は安定化。

徳川吉宗の名が評価される理由になっています。

 

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典「享保の改革」「火消」「目安箱」「上米の制」「足高の制」

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