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【徳川治済】
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尊号一件 最後は鷹司と定信で手打ちの調整
定信の反対に対し、朝廷では「徳川さんのほうではそうなっとりますけど、昔はそういうこともあったんどすえ」(超訳)と故事を引き出してきて反論します。
過去に複数例あるものですから、朝廷からすればきちんとした反証でした。
が、定信はあくまで「昔は昔ですし、過去の例は南北朝の動乱時にやむなくしたこと。今は今ですから、徳川の定めた掟に忠実でいただかないと困ります!」と言い張ります。
朝廷からすれば「東夷(あずまえびす)がなんと図々しい!」としか見えなかったことでしょう。
この静かな戦いは三年経っても埒が明かず、光格天皇はついに辛抱を切らし、勝手に会議を開いてしまいます。
「幕府の意向なんぞどうでもいいわ! 公家の中で、父上に尊号を贈るのに反対な者はおるか!」
そして圧倒的な賛成を得て、典仁親王を上皇としてしまったのです。
「このままでは幕府と朝廷の全面対決になってしまう……」
そんな風に憂慮した公家が、典仁親王の弟であり、光格天皇にとっては叔父である鷹司輔平(たかつかさ すけひら)でした。
輔平はどうにか幕府に渡りをつけて、事を穏便に収めるべく、定信に連絡します。
「私から陛下に上皇宣下を取り下げるようお話しますので、親王の待遇をもうちょっと良くしてもらえませんか」
しかし、定信からの返信はつれないものでした。
「幕府が政治を預かっているのですから、皇室や公家の処分を決めるのも幕府です」
結局、上皇宣下の取り消し・何人かの公家と勤皇家の学者に免職・捕縛するかわりに、典仁親王の領地を増やすことで、この事件は解決となりました。
この一連の騒動を【尊号一件】といいます。テストに出る……かも。
松平定信が追い出された理由は寛政の改革だけじゃない
さて、ようやっと治済に話が戻ります。
尊号一件で「例え朝廷や皇族であっても、敬称をつける決まりに例外はない!!」と強調してしまった定信は、当然ながら治済を「大御所」と呼ぶわけにもいかなくなってしまいました。
もしここで「どうぞどうぞ」と言ってしまったら、朝廷から「お身内には随分優しいですなあ」と言われてしまうからです。
そんなわけで定信は
「大御所というのは将軍位に就かれていた方が名乗るものですから、治済様には当てはまりません」
と言い続けることになります。
これで治済も家斉も完全に敵に回してしまったため、定信は幕府の中枢から追われてしまいました。
白河の 魚の清きに 住みかねて 元の濁りの 田沼恋しき
田沼意次よ、戻ってこい――なんて狂歌があるくらい、寛政の改革も成功していたとは言いがたかったですしね。
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女好きのバカ殿だったわけではない……と思いたい
定信は白河藩主としては成功を収めているので、領民にとってはよかったかもしれません。
憎き政敵を追い落とした治済は、その後も亡くなるまで豪奢な生活を送りました。おそらくは、政治へ大いに口を出しながら。
確実に多大な影響を与えているのに、具体的な逸話がはっきり伝わっていないあたりが何とも不気味です。
徳川家斉は子沢山な将軍として有名です。
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それほど漁色にふけったのも、父に逆らえないストレスからだったのかもしれません。
家斉は一生のうちに数回風邪を引いたくらいで、めちゃくちゃ頑丈な人でしたから、外出どころか政治すら自分の意志を出せないというのは、相当窮屈に感じていたでしょう。
まあ「子供をたくさん作って、跡継ぎはもちろん徳川の血筋全体をウチで固めるように」とも言われていたようですが。
「娯楽が少ないと夜頑張る」というのは、現代のあっちこっちの国でも同じです。
家斉が女好きのバカ殿だったわけではない……と思いたいところです。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
徳川治済/Wikipedia
尊号一件/Wikipedia