天明三年(1783年)12月16日、天明の大飢饉により江戸幕府が倹約令を発布しました。
前年も飢饉だったのですが、天明3年に日本史上稀に見る規模にまで拡大してしまったのは、この年の7月に浅間山の噴火が起きたことによります。
そして、さらに後述するように当時の人は知らなかった別の火山噴火の存在も…。
浅間山の噴火は田植え前だけならともかく、稲穂が出始める夏の時期にもあったのですから、たまったものではありません。
案の定、東日本のどこの藩も軒並み大飢饉。
この時代、江戸の米はほとんど東北の諸藩で作られていたのですが、江戸へ送るどころか自分達が食べる分もないありさまに陥ります。
牛馬や道端の草、土壁の中のワラまで食べつくしてもなお足りないような状態でした。
最終的には人肉食まで起きたといいますから、まさに地獄絵図……。
「陸がダメなら海があるじゃない」という気もしなくはないですが、そもそも当時は流通の問題もありますし、飢饉が始まったころの民衆には漁や釣りに出る余力もなかったでしょう。
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南方原産の稲を東北まで作付けした結果
ここまで悲惨なことになった原因は三つ考えられます。
一つは、江戸幕府が米の生産に集中しすぎたこと。
もともと稲は南方の植物ですから、ある程度気温が上がらないと育ちません。
ただ、江戸時代には既に米の品種改良が始まっていましたし、灌漑(かんがい)の充実などによって東北でも稲の栽培が可能になっていました。
これがうまくいったので、幕府は「米は主食だし、高く売れるんだからもっと量産しろ!他の作物は割合を減らしても構わん!」という方針を取り続けていたのです。
仮に火山の噴火が起きたとしたら、日照不足や冷夏に弱い稲はほぼ壊滅になるということをすっかり忘れて。
誰も予見できないこととはいえ、目先の欲にこだわるとロクなことがありませんね。
もう一つは、米どころ諸藩の対応の悪さでした。
江戸時代の大名は多くがド貧乏でしたが、この飢饉が起きる前にも財政難だった藩がたくさんあったのです。
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中でも津軽藩(青森)、南部藩(青森・岩手)はひどく、本来なら備蓄するはずの米まで通常の消費に回していたため、大飢饉の影響をモロにくらいました。
慌てて他の藩から米を買おうとしても、どこもそんな余裕はない状態。
そのため餓死者が続出してしまったのです。
アイスランド噴火で天候影響
最後の一つについては、幕府の手落ちとは言い切れない部分もあります。
天明の大飢饉と同時期に、はるか遠くのアイスランドで複数の火山が噴火していたのです。
2010年にもアイスランドの火山エイヤフィヤトラヨークトルが噴火し、EU諸国の空港が軒並み使えなくなるという非常事態がありましたよね。
あれよりさらに大きな規模の噴火でした。
火山灰やガスが北半球のほとんどを覆ったため、フランス革命の遠因ではないかとまでいわれています。
しかし、18世紀の日本でほぼ地球の裏側の情報が即座に手に入るはずもなく、対応が出遅れてしまったのです。
「日銀総裁」田沼の不運
この未曾有の危機を乗り切れなかったのが、当時老中で経済政策を担当していた田沼意次。
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意次はどちらかというと農業より商業に力を入れていて、それなりに成果も挙げていたのですが、飢饉対策はできていませんでした。
倹約令を出しても、もうどうにもならない状態です。
米屋を襲う打ちこわしが相次ぎ、治安は乱れに乱れ、その恨みは意次に向かいました。
逆に、この飢饉によって出世した人もいます。
当時、白河藩主だった松平定信です。
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この人のオチを知っている現代人からするとしっくりこないかもしれませんが、定信はこのとき領内に一人も餓死者を出さなかったといわれるほどの手腕を評価され、わずか30歳で老中へ抜擢されます。
西日本から食料を買ったり、自らも倹約して民の手本になるなど、やったことはシンプルながら、その対応の早さが白河藩を救いました。
なお、改革を進めていた上杉鷹山の米沢藩も餓死者を出さずに乗り切ったことは有名ですね。
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元々そりが合わない二人でしたが、飢饉への対応も成果も真っ二つに分かれたため、幕府と市井の評価は一致。
「意次はもういらん。定信を!」となり、老中が交代することになったのでした。
意次というとワイロや息子が暗殺されたせいで失脚したかのようなイメージが強いですが、決定打は大飢饉対策の失敗だったのですね。
まぁ、後の定信も、幕閣になってからもうまく行き続けたわけではないんですけどね。
さらに景気を締め付ける倹約政策を進めて、江戸の経済をどん底へと突き落とします。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
天明の大飢饉/wikipedia