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【後光明天皇】
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一休さんのトンチ以上の痛快エピソード
頭の回転の速さを示す逸話もあります。
あるとき、後水尾天皇が病気になったという知らせが届きました。
お父上のことですから当然後光明天皇は心配してお見舞いに行こうとします。
が、幕府から「天皇がお出かけされるときは一言事前に言っていただくことになってますよね?^^」(意訳)と横槍を入れてきました。
そこで後光明天皇は一時お見舞いを取りやめます。
もちろん、引っ込んだわけではありません。
なんと御所から後水尾天皇の住まい(院御所)まで渡り廊下を作らせて「繋がってる建物の間を移動するのは外出じゃないからいいよね^^♪」(意訳)と幕府に言い返したのです。
まさに常識を飛び越えた発想で、やっぱり幕府は何も言えなかったとか。
たぶん親子揃って大爆笑してたんじゃないでしょうか。水入らずでいいですね。
父の後水尾天皇よりも早く痘瘡で…
ちなみに父の後水尾天皇は、後光明天皇よりもずっと長生きしています。
後光明天皇は1654年に痘瘡で亡くなったので仕方がありません。享年22。
総合して見てみると、後光明天皇は良くも悪くもお父上に似ているということになるでしょうか。
後水尾天皇はお父上(後光明天皇からするとおじいさま)である後陽成天皇と仲が悪かったそうなので、そこは似なくてよかったですけども。
今は写真があるので、どの方とどの方が似ているかすぐわかりますけれど、そういうものがない時代でも「ああ、親子だわ」と思えるところがあるというわかりやすい例ですね。
かえって親近感がわいていいのかも。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
歴史読本編集部『歴代天皇125代総覧 (新人物文庫)』(→amazon)
高森明勅『歴代天皇事典 (PHP文庫)』(→amazon)
山本博文『ビジュアル百科 写真と図解でわかる! 天皇〈125代〉の歴史』(→amazon)
後光明天皇/wikipedia