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【徳川家慶】
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徳川家慶は、そんな騒動真っ最中の6月22日に倒れると、そのまま息を引き取ってしまうのでした。
享年61。死因は熱中症と伝えられます。
家慶は正室である楽宮喬子女王との間に、長男・竹千代が生まれました。
もしもこの男子が将軍になれば、異例のことになったのですが、わずか一年にも満たないうちに亡くなり、その後も喬子は数度懐妊するも、流産と夭折ばかりで育ちませんでした。
家慶の側室・お琴には、異例のスキャンダルがありました。
夫である家慶の死後、落飾して妙音院となるのですが、ひょんなことから美男の大工・幸次郎と恋に落ちてしまったのです。
結果、妹の醜聞に怒った兄・水野忠央が、彼女を殺害したという説がささやかれています。
側室との間に子女は多数いたものの、成長した男子は家定と慶昌(一橋家第6代当主)のみ。
家慶の死後、側室・本寿院を母とする徳川家定が、第13代将軍の座を継ぐことになりました。
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烈公・徳川斉昭という内憂
振り返ってみると、徳川家慶の時代は、内憂外患に悩まされていました。
外患は前述の通り、欧米諸国からの開国要求です。
一方、内憂とは、後の幕末における政争の発端でもあります。
どういうことか?
例えば薩摩藩では【お由羅騒動】に幕府が介入し、島津斉興を隠居させるに至り、その後、徳川慶喜を将軍に推す島津斉彬が台頭してきました。
幕末薩摩で起きた哀しき内紛「お由羅騒動」 狙われたお由羅の方はどうなった?
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そして最大の問題は、もっともっと内側にありました。
水戸藩です。
明治になってから、旧幕臣たちはため息まじりにこう語っています。
「斉昭がなぁ……あれは結局、分家でありながら、本家を潰すように動いたんだ」
よりによって御三家から、徳川宗家を潰すような人物が現れるとは、にわかには信じがたい話。
しかし“大名個人”という立場からすれば、長州や薩摩、あるいは幕府なんかより、はるかに破壊力の飛び抜けていたのが徳川斉昭であり、その予兆は家慶時代からありました。
幕府が【寛政の改革】に取り組む最中、水戸藩の9代藩主・徳川斉昭も、精力的な改革に取り組んでいました。
家慶よりも若く、はるかに精力に満ち溢れていた斉昭。
その一例として挙げられるのが高島秋帆です。
大河ドラマ『青天を衝け』で玉木宏さんが演じ、劇中では強引な設定で史実より相当若返っていましたが、それも斉昭が見出した人物ということもあるのでしょう。
斉昭には「高島秋帆のような人物を見抜く目があった」と、好意的に描いているわけです。
しかし、ドラマはあくまでドラマ。
史実の水戸藩は、藩校の弘道館を中心に後期水戸学を高め、尊王攘夷思想の源泉を養う――。
字面だけ眺めると何やら崇高に思えるかもしれませんが、幕臣からすれば「ふざけやがって」と舌打ちをしたいような話でもあります。
なんせ、この危険な水戸学こそが、討幕の原動力につながってしまうのです。
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江戸幕府は斉昭に潰された!?
斉昭の辣腕で、混沌とした状態に陥った水戸藩。
家老の結城寅寿らが、幕府に相談を持ちかけたともされています。
幕府としても、将軍を押し除けて口を出してくる斉昭に対して少なからず反感がありました。
そのため天保15年(1844年)、幕府は斉昭に謹慎を命じます。
理由はざっと以下のようなところ。
・水戸藩の藩政が勝手気まま過ぎる
・あまりに驕慢だ
・幕政への口出しもやりすぎ
・御三家は模範となるべきなのに、そういう気遣いがない
幕府を中心に考えると「確かにその通り」と頷くところですが、過激化する水戸藩では受け取られ方に違いがあります。
彼らは【甲辰の国難】と呼び、恥辱として記憶したのです。
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徳川家慶の死後、斉昭は阿部正弘のもとで復権運動を起こしました。
結果、黒船来航という未曾有の危機の中、幕政をさらに混乱させ、水戸藩周辺で幕府を破壊するような揉め事が続発。
明治時代になって元幕臣たちがぼやくのも無理はなく、そもそも幕府崩壊への種は、徳川家慶時代から蒔かれていたと言えるのです。
西洋列強による外患。
水戸藩主・斉昭という内憂。
そして荒れ狂い、ときに妖怪となることがわかってきた民衆。
プライドは高いが、改革には懲り懲り――そんな家慶にはとても対処できない困難が山積みでした。
こうした問題は何ら解決されぬまま、結局、江戸時代は最終局面へと向かってゆくのです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
久住真也『幕末の将軍』(→amazon)
半藤一利『幕末史』(→amazon)
野口武彦『慶喜のカリスマ』(→amazon)
他