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【享保の改革】
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公事方御定書……裁判の判例マトメました!
何らかのトラブルがあったときに実施されるのが裁判。
そこで大切になってくるのが【判例】です。要は、過去の判断ですね。
吉宗の時代になると判例が積み重なっていて、それと基本の法律をまとめたのが公事方御定書です。

公事方御定書(上巻)/出典:国立公文書館(→link)
上巻は司法警察の法律、下巻は刑事法が主体ですが、民事関連も含まれています。
ただし内容は一般には公開されておらず、
・寺社奉行
・町奉行
・勘定奉行
の【三奉行】に限られておりました。
「過酷だった江戸時代前期の刑罰をかなり軽くしていて」という内容だったので、もしも庶民に知られたら「犯罪が増えるのではないか?」と懸念していたようです。
ナルホドというか、全然信頼してないなっていうか、幕府の考えが見えて面白いですね。
成功か失敗か?
江戸幕府は米(石高)に依って成り立っていました。
それがいつしか貨幣経済へのシフトが進み、幕府の財政が逼迫する事態に陥り、そこで対処したのが【享保の改革】となりますが、果たしてこれは上手くいったのか?
結論から言うと、成功だったと言えるでしょう。
というのも吉宗の治世では黒字化が進み、幕府の石高収入も約12.5%の増加になったのです。
また公事方御定書などによる法制度も以前より整備されるようになりました。
いつの時代も貨幣改鋳は悪手とされますが、米を中心とした物価の引き下げに一定の効果が見られ、庶民の生活は安定化。
徳川吉宗の名が評価される理由になっています。
しかし、根本的な解決とはなっていないでしょう。
米をいったんお金に換えるという仕組み上、諸藩や武士の収入は米価によって左右されてしまいます。
石高がいくら増えても、武士一人一人は豊かにはならず、結局はお金に振り回されることに……。
その点を踏まえて貨幣経済の重要性を説き、実践に導入していったのがその後の田沼政治ということになります。
田沼意次の政策については以下の記事をご参照ください。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典「享保の改革」「火消」「目安箱」「上米の制」「足高の制」