1936年ベルリン五輪/wikipediaより引用

いだてん特集 明治・大正・昭和時代

オリンピック負の歴史~スポーツと戦争&政治は切っても切れない関係なん?

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「スポーツに政治を持ち込むな!」

そんな主張を皆さん一度はお聞きになられたことがおありでしょう。
果たしてこの指摘は歴史的に見て正しいのか?

近代史を振り返ると、スポーツは決して好ましい環境にあるとは言えません。

例えば2019年大河ドラマ『いだてん』で永井道明が熱心に勧めていたスウェーデン体操を思い出してみましょう。

あの体操が誕生した背景には、ナポレオン戦争があります。
フランスやロシアを相手に苦戦したスウェーデンで、国民と兵士の体力増強をはかるため、あの体操が生み出されたのです。

ストックホルム大会に出場した金栗四三にせよ、三島弥彦にせよ。
当時のアスリートはこんな非難を浴びせられたものでした。

「かけっこという遊びのために、金をかけて行くのか?」

それに対する有効な反論としてあったのが次のような言葉です。

「いいえ、ただの遊びではありません。国民を強くする、富国強兵にかなうものです」

戦争が迫り、開催が危ぶまれた箱根駅伝も、
【軍事的な訓練である】
と言い張ることで、ようやく実現に漕ぎ着けています。

最後の箱根駅伝 ゴールの先には戦場が…幻の第22回大会(昭和18年)を振り返る

近代におけるスポーツと国家、そして政治。
それは斬って切り離せない関係があります。

そのことは、21世紀現在においてもそうではないでしょうか。

 

スポーツ狂時代

朝ドラ『わろてんか』でも、モデルにされた横山エンタツと花菱アチャコ。

彼らの人気演目といえば『早慶戦』でした。

 

ドラマでは野球を相撲に変えてしまいましたが、これは問題のある改変でした。

相撲には1千年以上の長い伝統がある。

相撲の歴史1500年をスッキリまとめ 明治維新で一度滅びかけていた!?

一方、野球は、明治以降に人気が広まったもの。
流行に敏感な若者が広めたというのが当時の認識であり、明治時代には野球有害論すらあったほどです。

相撲と同列に並べるには、両者の背景があまりに違いすぎました。

押川春浪(おしかわしゅんろう) 小説と野球と共に駆け抜けた39才の短い生涯

「スポーツ」という言葉が広まり、それと共に「スポーツ狂時代」とされるようになった1920年代。いくつかの環境変化も関係しております。

顕著なのがラジオ中継の盛況でしょう。
これにはスポーツだけでなく落語ブームも影響しました。

本来だったら球場や演芸場まで足を運ばねばならなかったエンターテイメントが、自宅にいながら楽しめるようになったのです。
急速に国民の間に広がっていきます。

エンタツとアチャコの『早慶戦』も、スポーツとラジオという要素が一致したからこそ国民の間でブームになったんですね。

となると当然
【利用価値】
が高まるわけです。

国家統合の象徴であるという政治利用。
その最たる例が、1936年のベルリンオリンピックでした。

 

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ナチ・オリンピック

1932年のロサンゼルス五輪。
1936年のベルリン五輪。

両大会において、メダル獲得数を飛躍的に伸ばした国があります。

日本、イタリア、ドイツです。
このころ五輪開催に名乗りを上げていた国を見てみますと…….。

1940年 日本・東京
1944年 イタリア・ローマ

この並びを見て、ピンと来ない方はいないでしょう。
第二次世界大戦における枢軸国です。

戦争と五輪は無関係であると主張したいところで、ここまで露骨な結びつきを見てしまうと、さすがに辛いものがあります。

1936年ベルリン五輪は、ナチス・ドイツを率いるヒトラーを礼賛するかのようでした。

 

この大会には、日本の民衆も熱い目線を送っていました。

「前畑がんばれ!」
という声が伝説にまでなった前畑秀子の躍進です。

女子平泳ぎで1932年ロス五輪の銀メダル、1936年ベルリン五輪の金メダルという快挙。

この大会で日本人が歓声を送った対象は、日本人選手だけではありません。
ヒトラーの雄姿も、強い印象を残しました。

あんなふうに団結したい!
晴れの舞台を開催したい!
そんな思いが、次回開催の東京五輪にこめられていたのでした。

しかし、軍部は冷ややかな目を向けていました。
運動会ごときでみっともないという苦々しい思いを抱いていたのです。

苦い思いを感じていたのは、彼らだけではありません。
日本の植民地であった朝鮮半島の人々も、悔しさを噛みしめていました。

孫基禎(ソン・ギジョン)と南昇竜(ナム・スンニョン)——。

孫基禎(ソン・ギジョン)/wikipediaより引用

南昇竜(ナム・スンニョン)/wikipediaより引用

金と銅、二つのメダルを獲得した陸上選手は、複雑な思いを抱いていました。
彼らのメダルは、日本のものとされたからです。

『東亜日報』に掲載された写真では、日の丸が塗りつぶされていました。

東亜日報1936年8月25日付2面/wikipediaより引用

いつになったら、祖国の選手が、日の丸ではない旗を掲げて走り抜けられるのだろう?
朝鮮半島の人々は、その思いを抱いていたのです。

こうした朝鮮半島出身者の記録において、国籍がJapanからKoreaとされるまでは、戦後に至るまで様々な苦労が続くのでした。

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利用される金メダリスト

こうした熱狂と、苦い思いの狭間で翻弄された人物がいます。

陸軍士官でありながら、馬術代表選手でもあった西竹一です。
ロサンゼルス五輪から、西は本人の天真爛漫な性格とは裏腹に、周囲から政治的な期待を背負わされておりました。

西竹一/wikipediaより引用

金メダルを獲得したロサンゼルス五輪で、西はこう言います。
「我々は勝った」

人馬一体と海外のメディアは解釈しました。

しかし、日本では違います。
「大日本帝国として勝利した」
と解釈され、広められたのです。

西はベルリン五輪において、メダルを逃してしまいます。
体調不良を抱えており、参加国も増えた激戦の中です。西自身としては納得のいく結果でした。

それなのに、こう邪推されてしまうのです。
「友好国のドイツに気遣って、手抜きをしたのだろう」

記録映画である『民族の祭典』には、障害にハマりながらも苦闘する西の姿が映っていました。
軍部は日本人の醜態だとして、カットを要求します。
しかし、西自身は人馬の苦闘を見せてこそだと反発していたのです。

西は東京五輪を目指していましたが、この大会は幻のものと化してしまいます。

メダリストとしての価値を失った西は、軍人として中国大陸、そして最期の地となる硫黄島まで、戦車部隊を率いて戦うこととなります。

太平洋戦争中も、彼は利用され続けました。
メダリストとしての名声を利用される一方で、その利用価値が薄れたあとは戦線に投入されました。

死後ですら、西は利用され続けました。
宮城を向いて自決した、その名声を惜しんだアメリカ軍が投降を呼びかけた――といった伝説が吹聴されたのです。

軍人として美化し、惜しまれた日本人がいたのだと思われたい。
そんなふうに利用されてしまった形跡が、彼の像から見られます。

これもスポーツの持つ残酷な一面でしょう。
勝利をおさめたからこそ、利用価値が出てきてしまったのです。

 

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銀幕での悲しき再会、競技場からの出征

ベルリン五輪のあと、記録映画『民族の祭典』が公開されると、日本中は熱狂に包まれました。

 

こんな素晴らしい五輪が、もうすぐ日本にやって来る――そんな興奮に包まれていったのです。

スポーツは素晴らしい。
日の丸のためならば死んでもいい。
そんな熱狂を味わった者が日本中にいました。

しかし、そう簡単に熱狂できない者もおりました。
背後にある政治色に違和感を感じる人もいたのです。

それ以上に、悲劇的な再会を果たし、涙をこらえきれない者もいました。
中国戦線で戦死した弟が、入場行進に映っている——そのことに気づき、あまりに皮肉な再会に愕然としてしまった人も、当時の日本にはいたのです。

戦火に散るアスリートは、もっと増えていきます。
スポーツの熱狂とともにあった施設も、皮肉な使われ方をします。

それが学徒出陣——。

出陣学徒壮行会(1943年10月21日)/wikipediaより引用

その壮行会が開催された施設の多くが、明治神宮外苑競技場をはじめ、スポーツで使用されてきたものでした。

かつてスポーツに声援を送っていた若者たちが、銃を担いで行進することとなったのです。

 

「平和の祭典」に落ちる政治の影

第二次世界大戦を終えると、日本にも徐々にスポーツの息吹が戻って来ました。
とはいえ、対戦前夜のファシズムとスポーツの結びつきを考えると、そこに向けられるまなざしは慎重にならざるを得ません。

五輪を誘致すべく田畑政治らが苦労したのも、まさにこうした警戒心が世界中に渦巻いていたからこそ。
今度こそ、オリンピックを平和の祭典とすべく、世界中が力を合わせるようになっていったのでした。

しかし、そうはならないこともあります。

1972年のミュンヘン五輪では、惨劇が発生しました。

パレスチナ人テロ集団「黒い九月」が、イスラエル選手団を襲撃。
犯人も含めて17名が犠牲となっています。

ロッド空港で犠牲者の棺を乗せたイスラエル軍用車/photo by David Eldan wikipediaより引用

このあと、熾烈極まりないイスラエル側の報復作戦が繰り広げられるのです。

 

冷戦や政治対立は、その後も、五輪に暗い影を落とし続けました。

1976年:モントリオール→アパルトヘイトを行う南アフリカ参加への抗議によるボイコット、「二つの中国」問題による中国のボイコット
1980年:モスクワ→ソ連のアフガニスタン侵攻への抗議によるボイコット
1984年:ロサンゼルス→米軍のグレナダ侵攻への抗議によるボイコット(モスクワボイコットへの抵抗措置)

ボイコットのための不参加という、政治的な意見表明がなされるようになったのです。

五輪ボイコットを色分け(赤がロス、青がモスクワ、黄色がモントリオールの各大会をボイコット)/wikipediaより引用

パレスチナ問題にせよ、冷戦にせよ。
その根をたどれば第二次世界大戦があります。

いくら政治と無縁だと言いつのったところで、こうした事実は厳然と突きつけて来ます。

もうひとつ、考えたいことがあります。
いくら政治とスポーツは無関係だと言ったところで、政府からの援助がなければ五輪へと選手は派遣できません。

これはつまり、政府が首を縦に振らねば、スポーツ選手は何もできないということでもあります。

 

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スポーツと愛国、そしてレイシズム

むろん害悪ばかりではありません。
スポーツが人を結びつけた例もあります。

戦争に巻き込まれ、目指していた東京五輪を逃したどころか、日本軍の捕虜となったルイス・ザンペリーニ。
1988年の長野五輪で聖火ランナーとして走り、戦争を乗り越えた平和の象徴として、感動的な場面を演出しました。

 

戦争が引き裂いてしまった祖国が、もう一度統一されて欲しい——。

韓国と北朝鮮の、そんな願いが込められた「統一旗」が、スポーツ大会で使用されました。

韓国と北朝鮮の統一旗/photo by Timothy Friesen wikipediaより引用

2018年平昌大会では、女子ホッケーチームがこの旗のもと、協力して戦っています。

※南北統一チームのもたらした絆を描く『ハナ 〜奇跡の46日間〜』

しかし、これがマイナス面に出てしまうと、レイシズムや対立を煽るきっかけとなり、暴力すら誘発します。

フーリガンの暴力行為。
スポーツに熱中するあまり、特定の国を嫌うようになってしまうこと。
スポーツは、悪意ある陰謀論とも結びつきやすいものです。

その一例として、
「五輪で日本がメダルを獲得した競技は、白人に有利になるようルールを改正される」
「あの競技は、特定の国に有利になるよう不正が行われている」
というものがあります。
大抵は陰謀論の類いで、冷静に検証すれば過ちだとわかるものです。

五輪やワールドカップを通した愛国心の煽り方があり、かつ危険であったことは、第二次世界大戦前のベルリン大会を筆頭として証明されてきました。

そのため、スポーツにはその過ちを繰り返すべきではないという毅然とした態度もあるものです。
サッカーの試合等では、レイシズムを行った観客は観戦ができなくなります。

過去の教訓が活かされているのですね。

 

都市計画と財政

スポーツ施設は、都市計画や人々の暮らしに根付いたものとして、慎重に作られてきた歴史があります。

無計画な建設は、都市の生活を破綻させかねない。
そのため最近では厳しい目線が注がれるようになっています。

近年、ヨーロッパでは五輪招致を中止する流れが増えてきています。

高騰する開催費用もありますが、都市計画において慎重さが求められてきているからです。
住民の意見を尊重しない建造物等は、反対運動により阻止されるリスクがあります。そんなものを抱えてまで手を出すほどの意味があるのか、そう問われているのです。

高騰する費用も大きな問題です。

予算は、ロンドン大会で5倍、アテネ大会は16倍に達し、ギリシャの財政破綻を招くこととなりました。
そうしたリスクを避けるため、五輪を回避する流れも最近は強まっています。

五輪の招致合戦と民主主義の成熟度は、反比例の図式を見せるようになっているのです。

21世紀の五輪は、異なる様相を見せつつあります。
この後、どうなってゆくのでしょうか。

文:小檜山青




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【参考文献】
幻の東京五輪・万博1940』夫馬信一
『日本史リブレット スポーツと政治』坂上康博
『異議あり! 新国立競技場――2020年オリンピックを市民の手に (岩波ブックレット)』
『ふたつのオリンピック 東京1964/2020』ロバート・ホワイティング
『オリンポスの使徒―「バロン西」伝説はなぜ生れたか』大野芳

 



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