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【和井内貞行】
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卵を孵化させ稚魚を十和田湖へ……
二年経ち、卵を孵すことに成功した和井内は、いよいよ稚魚を十和田湖へ放ちました。
しかし、問題はこれからです。
魚の養殖で難しいのは、卵の孵化や稚魚の放流がうまく行ったとしても、そこから成長し、食べられる大きさに育って戻ってくるまで、何年もかかることです。
当然その間は出費>収入になりますから、和井内家のお財布は非常に厳しい状態が続きました。
生活を切り詰め、和井内はヒメマスの帰りを待つ間、新しい孵化場を作っています。
明治三十八年(1905年)の日露戦争を祝して……ということだったようですが、もし失敗した時すぐ動けるように、次の一手を打っておきたかったのでしょう。
そして、同じ年の秋のこと。十和田湖に、久しく見られなかった魚影が浮かびました。
和井内が放ったヒメマスが、大きくなって戻ってきたのです。
以降、ヒメマスは十和田湖に定住し、徐々に数を増やしていきました。
おそらく、周辺地域の食卓にも上るようになったでしょう。
今では十和田湖名物として、生食でも調理でも親しまれています。
また、他の湖へも卵や稚魚を出荷するようになり、日本各所でヒメマスの養殖が行われるようになっていきました。
十和田湖の国立公園認定にも尽力す
その後、見事この難事業を成功させた和井内には「緑綬褒章」が与えられました。
緑綬褒章(りょくじゅほうしょう)とは、「長年にわたり社会に奉仕する活動(ボランティア活動)に従事し、顕著な実績を挙げた方」(内閣府ホームページより原文ママ)に与えられるものです。
まさに和井内にぴったりですね。
似たようなものに、科学を始めとした学問やスポーツ・芸術分野の方に与えられる「紫綬褒章」などがあります。こちらはよくニュースになるので、ご存じの方も多いでしょうか。
また、観光客を増やして周辺の経済を潤すためか、和井内は内務省へ「十和田湖を国立公園に認定してください」という嘆願もしています。
こういうものの認定には非常に時間がかかるので、和井内の存命中にはかないませんでしたが、1936年に周辺の奥入瀬渓流や八甲田火山群とまとめて「十和田八幡平国立公園」に認定されています。
和井内は、2つの目標を達成したことになりますね。
忍耐と努力の末にこの大事業を成し遂げた和井内夫妻は、亡くなった後、十和田湖湖畔に夫婦神として祀られました。
今も「和井内神社」として存在しています。
この辺の時代における「神様」というと広瀬武夫のような「軍神」のイメージが強いですが、和井内夫妻のように民間事業によって祀られた人もいたんですね。
最近は老若男女問わず「失敗したくない」が行動の基準になっていることが多いですけれども、和井内のように粘り強く挑戦し続けることも大切ですよね。
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長月 七紀・記
【参考】
十和田湖国立公園協会(→link)
ヒメマス/ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑(→link)
うまいもんドットコム(→link)
和井内貞行/wikipedia