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【明治初期の外国人居留地】
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大阪:川口居留地では船の出入りできず……
大阪では海側の入り口にあたる、安治川・木津川の分岐点に居留地が作られました。
現在の地名では大阪府大阪市西区川口付近にあたり、その立地から、大阪居留地、または大阪川口居留地とも呼ばれました。
しかし、地形上大きな船が出入りできず、港が整うよりも先に、商人たちは神戸へ移転してしまったので、あまり発展することはなかったようです。
またか……(´・ω・`)
商売の拠点としては成り立ちませんでしたが、築地と同様(?)に宣教師たちの拠点となり、やはりミッションスクール発祥の地となっています。
当時の建物は現存していません。
近い時代(1920年)に竣工した川口基督教会で、何となく雰囲気をうかがうことはできます。
兵庫:神戸居留地は東洋で最も住みやすい
横浜と並んで、ハイカラな町として知られる神戸。
ここにも大規模な居留地が作られました。
兵庫港自体が横浜や長崎より9年遅れて開港したため、他の居留地の失敗点を学ぶことができ、国内どころか「東洋で最も住みよい居留地」だったといわれています。
それだけに西洋人にも好まれ、西洋の食文化やスポーツなども盛んになり、兵庫から広まったものが多くなりました。
ただ、衛生状況はあまりよくなかったようで、初期の頃はチフスが多発したといわれています。
「天然痘やコレラもヤバそう」な状況だった(そして日本側があまり良い対応をしなかった)ために、居留地の外国人たちが主導して病院を作りました。
やはり戦時中の空襲でほとんどの建物が焼けてしまいましたが、規模がデカくなりすぎて六甲山麓まで住宅地が広がっていたため、その付近の建物が戦災を免れて残っています。
いかにも貴族のお屋敷といった感じのものから、アパルトマン(家具付きアパート)までいろいろな様式の建物が並んでいて、外観だけでも面白い。
中にはドレスやシャーロック・ホームズ風のコスプレを楽しむことができるところもあるとか。
歴史的事件に絡むところでいうと、神戸居留地は1886年(明治十九年)のノルマントン号事件(イギリスの貨物船が日本人の遭難者を見捨てた事件)に関する査問会と予審が行われた場所でもあります。
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受験生の皆さんは「生麦事件は横浜、ノルマントン号事件は神戸」と関連付けておくといいかもしれません。
長崎:長崎居留地は欧米人が保養地に選ぶ
江戸時代は唯一の貿易港として知られていた長崎。
幕末以降は、横浜や神戸が賑わったため、一味違った発展をすることになります。
上海などに駐留する欧米人が、保養先として長崎を選ぶようになったのです。
元から出島に出入りしていた娼館などもありましたので、いろいろな面で都合が良かったのでしょう。
坂が多く景観が良いこと、近隣に雲仙温泉があることなども、保養地として好まれる一因になったようです。
居留地の周囲に中華街ができる
この他、箱館(函館)や新潟も開港されてはおりました。
外国人があまり多くなかったためか、どちらも居留地としては発展せず、フツーに市街地に住んでいたそうです。
いきなりお隣さんが外国人になって、面食らった人もいたかもしれませんね。
外国人居留地は、もう一つ変わった影響を残しています。
当時外国人は、中国を経由して来ることが多かったので、通訳などのために中国人が同行してくることが珍しくありませんでした。
「日本では漢字が使えるから」という理由だったそうですが……それって、日本に来た後トラブルにならなかったんですかね。
まぁともかく、そんな感じで外国人居留地の周辺には、中国人も多く住むようになります。
そして、日本と中国各地の間に定期船航路が作られると、さらに中国系の人々が増えていきました。
隣国とはいえ知らない土地ですから、同郷の人々がいるところに集まるのはごく自然なこと。ニューヨークのリトル◯◯も、元はそんな感じで始まったと言いますし。
そんな流れで、中国系の人々によって、横浜・神戸・長崎に中華街が作られました。
中でも横浜は飲食業を営む人が多かったため、今日までその状態が続いているというわけです。
同じ中国語でも地方ごとに全く違うことも珍しくないので、中国人同士でもうまくいくとは限らないそうですが。
それでも100年くらいは同じところでやってきていることになりますし、他の外国人があまり日本に定着しなかった事を考えると、エネルギッシュというかガッツがあるというか。
世界中どこに行っても中華料理が美味しいのも、なんだかわかる気がします。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
梅渓昇『お雇い外国人――明治日本の脇役たち (講談社学術文庫)』(→amazon)
小島英記『幕末維新を動かした8人の外国人』(→amazon)
外国人居留地/Wikipedia
旧川口居留地/Wikipedia
神戸外国人居留地/Wikipedia
居留地警察/Wikipedia
横浜中華街/Wikipedia