明治・大正・昭和

ジャパニーズウイスキーの歴史~世界五大ウイスキーへの苦闘150年

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竹鶴ノート誕生

感銘を受けた竹鶴は、ネトルトン本人を訪ね、教えを請いました。

しかし、あまりに高額な授業料を請求され、断念せざるを得ません。

そこで竹鶴は、多くの蒸留所を尋ね、修行させて欲しいと頼み込みます。

1920年(大正9年)。

念願かなってついにホワイトホース社のヘーゼルバーン蒸留所で、見習いとして働くことができるようになりました。

ホワイトホース社会のグエンエルギン蒸留所・竹鶴が働いた場所とは異なります/photo by Andrew Wood wikipediaより引用

3ヶ月間の見習い期間で、様々な技術を学ぶうちに竹鶴は周囲にも認められ始めます。

「やるでねえが、あの日本人。他の奴らはやりたがらねえこどもやりたがる。てえしたもんだ」

蒸留所の人々はそう言い合いました。

清掃作業は誰からも嫌われるものでしたが、竹鶴は洗いながら構造を覚えるため、進んで作業していたのですね。

3ヶ月間の見習い期間、竹鶴は常にノートを取っていました。

上司の岩井喜一郎に報告するためのノートは「竹鶴実習ノート」、あるいは単に「竹鶴ノート」と呼ばれております。

この一冊のノートこそ、日本のウイスキー誕生には欠かせないものとなるのでした。

ちなみに岩井は、後にこのノートを元にウイスキーを製造しておりまして、「マルスウイスキー」ブランドとして残っています。

知名度では劣るものの、その品質は本物。

ウイスキーファンなら一度は味わってみたい逸品です。

ノートそのものは、後にニッカウイスキーに返還され、余市蒸留所で展示されております。

 

「ウイスキー、うちでやってみなはれ」

この年、竹鶴は、スコットランド人の愛妻・リタを連れて、日本へ帰国します。

ここで竹鶴は、思わぬ壁にぶつかりました。

当時の日本は、第一次世界大戦の特需が終わり、反動の不況に襲われていたのです。

摂津酒造も到底新事業に取り組むだけの余裕はありませんでした。

ウイスキー作りがかなわぬまま、竹鶴は1922年(大正11年)に退社。教師として働く生活に入ります。

くすぶる竹鶴の手を差し伸べたのが、鳥居信治郎です。

幼い頃から丁稚奉公先で洋酒を扱っていた鳥居は、洋酒に強い憧れを抱いておりました。

1899年(明治32年)には、20才の若さで「鳥居商店」(後の壽屋ことぶきや・サントリー)を起業。

1907年(明治40年)販売の「赤玉ポートワイン」(現赤玉スイートワイン)で大ヒットを記録し、上り調子のビジネスマンだったのです。

当時話題をさらった「赤玉ポートワイン」のヌードポスター/wikipediaより引用

赤玉ポートワインのヒットで、不況など気にならないほど潤沢な資金があった鳥居。

これからは本格的なウイスキーの時代だと確信し、スコットランドから醸造学の権威である博士を招聘することにしました。

しかし、博士はこう言ったのです。

「わざわざ私を招かなくとも、竹鶴という若い日本人が、ウイスキー作りについて学んだはずですよ」

「なんや竹鶴君のことか! すっかり忘れとったわ!」

実は鳥居は、摂津酒造に腕のいい竹鶴という技師がいることも知っていましたし、竹鶴の留学時に見送りもしていました。

灯台もと暗しとはこのことでしょう。

鳥居は4千円、現在ならば何千万という多額の年俸を提示し、竹鶴を鳥居商店に雇い入れます。

「ウイスキー作り、うちでやってみなはれ」

こうして日本産ウイスキーへの一歩を踏み出したのです。

 

山崎蒸留所誕生

鳥居が日本初の蒸留所として選んだのは、山崎でした。

現在も山崎ブランドのウイスキーは、酒好きにとって憧れですね。

サントリー山崎蒸留所遠景/photo by Bergmann wikipediaより引用

さて、この山崎。

なぜ選ばれたのか?

というと、もちろん理由があります。

・名水の地である

古くから名水の地として有名で、千利休が茶室を構えたことでも知られています

・験担ぎ

豊臣秀吉明智光秀を破った「山崎の戦い」は、この付近で行われました。

勝負事の分かれ目になる「天王山」の由来でもあります。

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これからウイスキーで勝負を賭けよう!というときに、この地を選ぶというのは野心まんまんではないですか。

かくして1924年(大正13年)、記念すべき日本初のウイスキー蒸留所が創業を開始しました。

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