文明開化の鉄道

横浜の鉄道を描いた錦絵(三代目歌川広重)/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

文明開化で残ったモノ消えたモノ~鉄道 ガス灯 電気はどう始まった?

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二度の戦争を経て軍事輸送がより重視され

さて、順調に増えていった鉄道ですが、明治二十三年恐慌により私鉄会社も大打撃を受け、一時、鉄道業界は停滞します。

この頃まで鉄道関連は工部省の担当だったのが、新たに鉄道庁が作られて独立。

それまでの間にも、官営の新橋~神戸間&高崎~直江津間、私鉄の上野~青森間などが開業し、国内の交通は大いに発達していました。

江戸時代までは何十日もかかる距離だったのが、ぐっと短縮されたのですから、人やモノの流れ、そしてお金の動きが活発化することにも繋がっています。

さらに、日清戦争(1894年)&日露戦争(1904年)で、軍事輸送の有用性が改めて証明されたことや、世間の景気悪化などにより、十七社あった私鉄が国有化し、規格の統一も図られています。

日清戦争後には台湾と朝鮮、日露戦争後には中国北東部の一部へ、日本によって鉄道が敷かれました。この辺はいかにも、軍が絡んでいるという感じがしますね。

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ちなみに、日本の地下鉄が生まれるのはもう少し後のことです。

大正時代には構想があったようですが、関東大震災などにより着手が遅れ、昭和初期にやっと開業しています。

なお蛇足ですが、朝ドラ『わろてんか』で高橋一生さん演じる伊能栞が、後に阪急電鉄の経営者となる小林一三のモデルとされております。

彼は国営の阪鶴鉄道を私鉄化して、関西地方の発展に大きく貢献しました。

詳細は以下の記事をご参照ください。

小林一三
渋沢に負けぬ西の実業王・小林一三~宝塚も成功させた84年の生涯とは

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ガス灯~やっぱり初めては横浜なのね

もしかして我々庶民が最も文明開化を感じられたのは日用品かもしれません。

それがガス灯やランプです。いかにも明治や大正時代らしいロマンが感じられますよね。

ガス灯は書いて字のごとく、ガスを使った照明器具のことです。

街灯としては、横浜の事業家がフランス人に設計を依頼し、明治五年に初めて一定範囲で設置&使用されました。

幕末にもガス灯を使ったことはあったようですが、常設ではなかったので「国内初」とはみなされていません。

横浜で成功した後は、東京でも数か所に街灯としてのガス灯が作られ、その後は屋内でも使用されるようになりました。

また、光度の改良も行われています。

しかし、ガスの生産がまだまだ追いつかなかったため、一般家庭では明治時代を通してランプを使っていました。

このころ夕方にガス灯をつけて回る「点灯夫」という仕事があり、庶民の憧れの職業のひとつだったとか。

ガス灯自体が一般家庭にないものだったからなのかもしれませんね。

その後、電灯が登場し、さらに発電技術の向上によって遠距離への送電が可能になったことで、早くも大正時代にガス灯は廃れていきます。

現在では観光用に一部残っていたり、演出の一部として復刻させているるところもありますね。

消えていった文明開化の一つでありましょう。

 


電気~実は当時から水力発電が活躍していた

現代社会にとって最も重要かつ今も残っている文明開化は電気(電力事業)でしょう。

そもそもはアメリカで1879年に始まり、日本に初の電力会社ができたのはその四年後、明治十六年(1883年)のことでした。

資金不足のため、実際の開業はさらに三年後になりますが、発祥の地ではない割に早い段階から導入されておりますね。

電気は、お役所や富裕層への照明に用いられたことなどにより、電力会社の業績も順調に上がっていきました。

それを受けて大阪や神戸でも電力会社設立が進められています。

ちなみに、当時の電気料金は9ワットで17円/月でした。

お米10kgが1円+α、公務員の初任給が50円だった頃の話ですから、メチャメチャ高いです。

それでも「電気なら火事の危険が少なく、扱いが簡単」であり、多くの人にとって魅力でしたから、利用者はどんどん増えていきました。

当時の主力発電は、火力によるものです。

しかし石炭の価格上昇によってコストが激増し、電力会社の業績は落ち込み始めてしまいます。

そのため、京都市が「琵琶湖の水を利用して発電できないか」と考え、明治二十五年から水力発電が始まっています。

火力発電は主に夜間に行い、水力発電は昼夜を問わず発電・送電が可能となり、24時間連続での電力供給を可能になっています。

これらの技術向上によって、火力発電と比べて料金を3~4割も引き下げることに成功。これがさらに利用者増加に繋がり、電力会社の利益も向上したのでした。

水力発電に目をつけるのは、日本人らしい発想かもしれませんね。

明治四十四年には総発電出力の半分以上が水力発電でまかなわれています。そしてこうした状況はしばらく続き、1960年代まで、日本は水力発電を中心としていました。

「明治時代に生まれた方法が、高度成長期の時期まで主流だった」

そう考えると、なかなかにスゴイ話ではないでしょうか。

大量発電が可能になったことによって、それまで主に照明用だった電気が工業にも使えるようになりました。

発電所で電気を作って工場に送り、工場はモノを作って売り、そのお金を電力会社に投資して、また新たな発電所や技術ができる――まさに資本のサイクルです。

水力発電所は計画~開業まで数年かかるので、タイムラグもありましたが、工場が利益を得てまとまった金額を投資できるようになるまでの時間も考えると、そう悪い話でもなかったでしょう。

こうして、日本人の生活は少しずつ現代に近づいていったのでした。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典「鉄道」「電力事業」「ガス灯」
文明開化/wikipedia
鉄道/wikipedia
ガス灯/wikipedia

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