明治維新が作った女の不幸

1915年の渡米時に撮影された渋沢栄一/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

渋沢栄一の妾たちはどんな境遇で生まれた? 明治維新で作り出された女の不幸

2025/07/05

大河ドラマ『青天を衝け』にも登場した、渋沢栄一の後妻・伊藤兼子。

没落した商家の娘である彼女は、芸者としての修行を積んでいるものとして描かれていました。

しかし、あれはあくまで大河ドラマの劇中設定。

史実の渋沢栄一はプロの美形女性をことのほか好み、何人も妾としましたが、そもそも彼女らが明治維新によって生活の境遇を変えられ、仕方なく“プロ”になった経緯などは描かれていません。

渋沢の妾たちはどんな境遇から生まれたのか?

ドラマに登場した女中くにや伊藤兼子を例に挙げながら、普段は注目されない歴史を見て参りましょう。

 


無粋になった渋沢栄一の遊び方

史実においては相当激しかった渋沢栄一の女性関係。

大河ドラマではとても描けないだろう……とは放送前から推察されてきました。

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実際のところ、渋沢の行状に軽く触れてしまったせいか、かなり修正されており、かつ当事者に失礼ではないかと思われる描写もあります。

まずは同居することになった女中・くに。

ドラマ『青天を衝け』においては、料理屋の廊下で偶然すれ違い、くにの方から「夫に似ている」と見つめる出会いが演出されました。

栄一の白い足袋を、くにが赤い糸で縫う――ドラマとはいえ、あまりに不自然な展開です。

劇中でのくには、あくまで給仕をする女中に思えます。

彼女は地味な身なりをしており、歌や踊りでもてなすプロの女性という雰囲気ではなかった。

にもかかわらず手を出した栄一。

女性の色香に迷わない、そんなキャラクターにしたかったのかもしれませんが、芸を売るわけでもない女中に突然手をつけることは、当時からすればルール違反であり、史実よりも栄一を無粋にしています。

現実に、そういうルール違反を繰り返した伊藤博文は、片っ端から女を履いて捨てるとして「箒(ほうき)」と蔑まれたものです。

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やすは“女衒”なのか?

後妻となる伊藤兼子(後に渋沢兼子)も登場しました。

彼女にしても初登場時からして「改悪ではないか……」という疑念が湧いてきます。

時系列でまとめてみましょう。

兼子の実家・伊藤家は、明治3年(1871年)頃から事業に失敗し傾き始めます。

父の八兵衛は明治11年(1878年)、失意のうちに死去しました。

ドラマにおける兼子は、明治12年(1879年)頃に登場。嘉永5年(1852年)生まれですので、27歳の登場ということになります。

父の死後、やむをえず芸者を始めようとしたと推察できます。

芸が好きだからそれを金にすると本人が言ったとはされますが、当時の感覚からしますと、27歳から芸者になるというのはあまりに遅い。

たとえそれまで三味線なり踊りなり身につけていたとしても、キャリアがないのにその年齢では厳しいものがあります。

史実によれば、兼子は斡旋業者である口入れ屋からこう言われてしまった。

「芸者は無理だが、妾ならば……」

推察できる材料は色々ありますが、年齢がネックという可能性が高い。

同時に気になるのが平岡円四郎の妻・やすです。

ドラマでは、栄一と兼子を結びつける役目を、芸者出身である彼女が担う雰囲気です。史実を踏まえると、いきなり妾になるように話をしそうに思えてきます。

こうした“出会い”を仲介し、金銭を得る職業には割と知られている呼び名があります。

女衒(ぜげん)――。

ぶっちゃけて言えば女性の人身売買であり、上前をピンハネする存在ですね。

フィクションではまず悪役。兼子を見た時のやすの慣れた言動からして、過去に相当売り捌いているようであり、ドラマを見ていて暗い気持ちになってしまいました。

現代であれば『新宿スワン』の世界観です。

 

落語にせよ、講談にせよ。人情味に溢れた明るい女衒なんてまず出てきません。

男ならば典型的な悪党。

女ならば、がめつい婆さんがド定番の役割です。

やすを明るく優しく思いやりのある「女衒」として描くのであれば、それはそれで凄まじいチャレンジというわけですね。

なお、彼女の夫である平岡円四郎は、京都で主君・慶喜の妾を斡旋していたという噂があります。

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「奥」には女性の権力があった

『青天を衝け』では、幕府が崩壊して、収入源を失った幕臣たちが描かれました。

こうした男性失業者だけではなく、女性失業者もあふれていたのが明治維新後の日本。

江戸時代以前、政治の場に女性はいないようで、そうではありません。

幕末を代表する女性・天璋院篤姫を思い出してください。

篤姫を大奥に送り込み、その周囲の女中たちも固めてゆく。女性が頂点に立つ大奥が力を有していたからこそ、こうした政治闘争が有効であったのです。

篤姫/wikipediaより引用

篤姫にせよ、将軍・家茂の妻であった和宮にせよ、維新の混乱に際しては存在感を見せています。

彼女たちが残した書状からは、嫁いだ徳川家を守るという誇りと意志が見えた。

こうした価値観は多くの人に共有されていました。

兄・孝明天皇の意志を尊重する和宮。一方でヘナヘナとすぐに意志を変えてしまう“二心殿”こと徳川慶喜。

そんな状況から、

かずのこは無事でにしんがへたりたる

という戯れ歌もあったほど。

しかし、明治維新後、こうした奥にいた女性たちはどこへ消えてしまったのか。

 


公私混同をなくし、女権を排除せよ

公私を分離してこそ、西洋にも負けぬ国家である――。

明治政府はそう掲げ、新たな政治体制をめざします。将軍家や大名家にあった「奥」、宮中にいた女官たちをなくすことを目指したのです。

結果、将軍家の大奥は主家ごと廃止。

天璋院や和宮だけでなく、大奥にいた女中たちも追い出され、生きる術を模索するしかなかった。

皇室も例外ではありません。

明治維新は「王政復古」を掲げたとはされています。

だからといって、日本の伝統的な皇室のあり方を取り戻そうとしたわけでもありません。

現在も皇族が身につけるティアラや馬車といったものは、どう考えても日本の伝統とは関係がありません。そもそも京都の御所を東京に移したことからして、伝統を変えています。

結果、京都から東京へ移る際、女官たちは暇を出されました。

明治4年(1871年)、薩摩閥の吉井友実は日記にこう記しています。

「数百年来の女権唯一日ニ打消シ愉快極まりなしや」

意味は以下の通りです。

天皇の命令が女官を通じて出される。数百年あった伝統的な女の権利が、たった一日で消えてしまった。なんとも愉快なことではないか――。

薩摩の男尊女卑が皇室に対しても悪しき方向で発露してしまっている。

ドラマなどではほとんど注目されない細部かもしれませんが、明治政府の無茶振りが見えてきますね。

 

わきまえた女を求める明治時代へ

東洋には東洋の、男女観がありました。

家庭を司り、守る。女性ならではの技能や収入を得る手段を持つものもいる。

そうした価値観が「これからは西洋である」と否定され、一方で、西洋に根付いていた女性の権利は「日本にそぐわない」と却下されてしまう。

結果、権力者にとって都合の良い女性像が形成されていったのが明治という時代です。

実例もあります。特に理不尽な例を見ていきますと……。

◆投げっぱなしの津田梅子ら女子留学生

渋沢栄一と並んでお札の顔となる津田梅子は、明治政府の場当たり的な対応に振り回された典型例です。

明治23年(1890年)ブリンマー大学在学時の津田梅子/wikipediaより引用

薩摩閥の黒田清隆は西洋の活躍する女性を見て、これからは女性も強くあるべきだとして、女子留学生を募集しました。

しかし、それがそんなに素晴らしいアイデアならば、薩長土肥の関係者から女子留学生を出せばよいのに現実はさにあらず。幕臣や佐幕藩ゆかりの“負け組”ばかりでした。

男子留学生が藩閥出身者ばかりだったことを踏まえますと、本音が見えてきます。

かわいい娘を海外に送るなんて親は鬼かと散々言われたものです。

しかも、留学先でしっかりと学んで帰国しても「西洋かぶれの結婚適齢期過ぎた女」と陰口を叩かれる始末。

津田梅子ゆかりの津田塾大学が私立であることにも、公的支援もろくにないまま奮闘した苦労が伺えます。

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◆女医が減り、女性たちが地獄をみる

江戸時代まで、漢方を学んだ女医はおりました。婦人病や妊娠出産に関することなれば、むしろ彼女たちが活躍したものです。

それが明治以降、漢方よりも西洋医学が重視されるようになり、その教育機関から女性は排除されました。

女性は西洋医学を学べない。女医の受難時代が到来したのです。

そうなると脅かされるのが女性の健康。

女性特有の疾患となると「男の医者に診察させるなど、とんでもない!」と家族が言い出しかねませんし、本人だって我慢してしまう。

結果、重大な病状に直面する女性が増えたのです。

勇気をもった女医志願者たちが現れ、この状況改善に立ち向かいます。

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◆好きで身売りをしたわけじゃない! 遊女の嘆き

日本の遊郭が政治の道具となった事件が発生します。明治5年(1872年)の「マリア・ルス号事件」です。

さまざまな思惑が絡んだ事件の顛末は以下の記事をお読みください。

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考えたいのは、事件の結果として出された「芸娼妓解放令」という一連の法律です。

遊女の境遇、借金を抱えて身売りされる状態は変わらないのに、法律だけは慌ただしく変えられる。

そのため彼女らは、

好きで勝手に身を売っている

と見なされたのです。

落語等にその典型があり、江戸時代まで遊女は同情されました。

「あの子も家のために苦海に身を沈めたんだ。親孝行だ、泣けるねぇ……」

こうした“苦海”の話が明治以降は好きで身を売っていると自己責任論にすり替えられてしまうのです。

彼女らの陥っている身の上をなんとかしようと活動したのは、プロテスタント教徒や、柳原白蓮のような婦人解放を掲げた活動家でした。

◆嗚呼、女工哀史

古来より、機織りは女性の伝統的な仕事でした。

それが工場ができる時代となると、金儲けの手段として着目され始めます。

産業革命は、それまで家庭にいた女性を引きずり出し、金を稼ぐ労働力とする、そんな力も持ち合わせていたのです。

近代の女性は、都合のいい規範に縛られ、労働力として買い叩かれる宿命を背負わされました。

近代資本主義国家の宿命とも言えるでしょう。

富岡製糸場の始まり自体はさておき、資本主義が進化してゆけば、女性の搾取が悪化するのは目に見えていたことでした。

資本家の理想とは、休みなく家庭を顧みることなく働く男であり、それをサポートしながら自らも安価な労働力となる妻。

その結果、現代日本で大きな歪となっています。

女性の社会進出が遅れ、かといって少子化にも歯止めがかからない。

超高齢化社会がすぐそこまで迫っているのは、実は歴史の流れでもあったと言えそうです。

 

渋沢が理想とする女性像は、当人にとってはどうか

『青天を衝け』には、渋沢栄一にとって理想的な女性が大勢出てきます。

しかし、その理想とは当人にとってはどうだったのか?

千代は、なまじ賢妻でありたいと意気込むため、夫からの見返りを求めません。

夫が京都に向かい留守にし、女遊びをしようとジッと耐え忍ぶだけ。妻妾同居も受け入れる。まさに都合の良い女性です。

しかし、彼女自身の感情はどこにあるのでしょう?

くにも、もしも女性一人が生きていくだけの力や能力があれば、妾になんてならなくてもいい。

稼ぐ能力がない女にとって、妾となることは“セーフティネット”という考え方もあるとか。

でも、そうなのでしょうか?

生きるために誇りを捨て、冷たい目に耐え忍ぶことが、彼女にとって幸せなのか。

渋沢栄一が望んだ討幕の結果、くには生きていく手段を奪われた。その夫は戊辰戦争から帰ってこないとされています。

伊藤兼子だって、女性が商売を引き継げる社会であれば、別の道もあったのかもしれません。

『青天を衝け』における女性の活躍とは、あくまで渋沢栄一はじめとする男性の横で微笑み、彼らの機嫌をとることに終始しているように思えます。

わきまえた女として振る舞う、そんな極めて保守的な女性像ですね。

大河ドラマはそんな役割を担っているのですか?

同じ時代を描いた作品でも『八重の桜』はまるで違っていました。

凛として自分の道を進む新島八重、それを演じる綾瀬はるかさんの姿勢には男女関係なく胸を打たれたはずです。

あれから8年も経て、権力者に都合のよい女性像を示されたところで、今を生きる人々の心に響くとは思えません。

21世紀の現在、行き過ぎた資本主義の見直しが提唱されています。

そんな時代だからこそ、明治維新礼賛と「資本主義の父」として渋沢栄一を顕彰する是非については考えたいところです。

もちろんその中には、ジェンダーについても含まれます。

明治政府や渋沢栄一の思想が、はたして真の平等を実現できるのかどうか。

考えてみることも有用ではないでしょうか。


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【参考】
国立歴史民俗博物館『新書版 性差(ジェンダー)の日本史』(→amazon
横山百合子『江戸東京の明治維新 (岩波新書) 』(→amazon
長野ひろ子『明治維新とジェンダー』(→amazon
鹿島茂『渋沢栄一伝』上下(→amazon

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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